ソーシャルクリエイターは、優里「レオ」に現代の社会問題を見る

優里さんのファーストアルバム『壱』に収録された
「レオ」
https://youtu.be/iYXt3NU1Vao

私はこの曲にみたものは、命のやり取りの滑稽さと、心の葛藤、それら包み隠す愛情深さでした。

「ショーケースの中過ごしてた」
「誰もかれもが過ぎ去っていた」
「怖かったんだ あの日君に連れられるまでは」
ー優里 ファーストアルバム『壱』収録「レオ」より引用ー

これは、
「僕」つまり売れ残っていた犬が
「君」の家に迎え入れられた描写と思われます。

そして、「僕」僕とに名前をつけた「君」は、きっと共に子供で、一緒に成長していったのでしょう。
いつも一緒で、1番の遊び相手。


でも人間は歳を重ねるごとに選択肢が増えていって
大切なものも増えていく。

君が大きくなるほどに 僕との時間は減るが道理
遠くに君の友達同士 仕方がないよなぁ
ー優里 1stアルバム『壱』収録「レオ」より引用ー

1番大切だと思っていた犬との時間が減っていく。

それでも「僕」にとっては「君」が一番
君の幸せが、僕の一番の幸せなんだよ。

それはきっと人間にとっては「あるある」なんでしょうね。
特にこの日本社会では。
※「僕のワンダフルライフ」という映画では、海外ではライフサイクルに犬が同居できる仕組みが当たり前なんだなあと思い知らされました。
※日本の法律では、あくまでペットは「所有物」扱いです

名前はレオ 名前呼んでよ
君がつけてくれた名前だから 君がくれた名前でよかったよ
もう泣かないでよ 名前呼んでよ
忘れないでよ それでいいんだよ
あの日より大きな手で撫でてくれた
新しい誰かにまた名前つけて
ー優里 1stアルバム『壱』収録「レオ」より引用ー

家族と過ごし、友達ができて、学びに外へ出ていく。
そして新しい家族ができて、子供が生まれて、名前をつける。
人間にとっては当たり前のサイクル。

その「新しい」「当たり前」に犬が取り残されることもしばしば。

それを、「僕にとって一番大切なのは、一番大切な君の幸せ」だと「仕方が無い」と、成長や変化を喜び愛情で包み込んで見送ってくれるのが犬という存在。


私が今一緒に時を重ねている犬は
2ヶ月の可愛い盛りで買われて
4ヶ月で捨てられた犬です。

そんな犬の元々の名前は「レオ」

そこには中学生くらいのお兄ちゃんがいて、とても可愛がってたようです。それを奪った身勝手な親。

私は、そんな名前呼ばない。
「レオ」なんて呼ばない。

どんな時でも傍に居て 君が言うなら あぁ
寂しいけれど 悲しいけれど
傍に居ると決めた大事な人
ー優里 1stアルバム『壱』収録「レオ」より引用ー 

一緒にいるよ
彼が心から傍にいたいと思う人に出会うまで。
そしてその時は寂しいけど悲しいけど見送るよ。
だからただただ、幸せになってほしい。
傍に居たいと思う大事な人と幸せになっていいんだから。
それまでは、一緒にいるよ。ねぇ幸せだよ。



私が犬と過ごし「あぁ愛しいな幸せだな」と思うたびに、それと同時に湧き上がるのです。

こんな愛情深く愛しい存在をもの扱いし
いらなくなったら、不都合だったら捨てる。
そんな社会に対する苛立ちが。

でもそんな事関係なく、彼らは
「でも今幸せだよ」って笑うんです。
たまらない気持ちになります。

それでも、こんな想いもう誰もしなくていいと私は思うんです。
ただ「可愛くて幸せ」だけでは、残念だけど私の中では終わらない。
「仕方がない」とは思わない。
「どうしようもない」なんて絶対に思わない。
難しくても、誰もが無理だといっても、見て見ぬ振りは違うと思う。
そんな理不尽や不条理を、気付いた者が一生我慢してやり過ごさなければならないこの社会が大嫌いだ。
だから私はソーシャルクリエイター/社会起業家を志した。

そして言葉を紡ぎ、本を書いた。
伝わる人から、また伝わる人へ届きますように。

どうかもっと世の中が「大切」で溢れますように。
当たり前は、変えられる。
「一人一人が大切なものを大切にする」
そんな当たり前のことをするだけで
絶対に変えられるから。

どうか多くの人に届きますように。
そして、「レオ」が大切にし大切にされていた彼が心の傷なく大人になれていることを心から願う。