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研磨が繋ぐボールと東京体育館とスクリーン

春が時々夏の顔を見せる4月。みなさんお変わりありませんか。
毎年気温が20℃を超えてくると、騙されてうっかり衣替えをしてしまうんですが、日本には梅雨があって長袖を全部しまうと後悔することを今年の私は知っています。まだですよ。まだ長袖は必要です。

季節を捉えるのが下手な私は、2024年2月16日に公開された映画を4月中旬に見るという、あいかわらずギリギリな映画鑑賞ライフを送っています。漫画の締め切りをクリアして、ハッとして調べたら、冬に買っておいた映画の前売り券がまだ使われずに残ってる!

「劇場版ハイキュー!」をやっと見てきました。

漫画「ハイキュー!!」の音駒戦(33 - 37巻)が劇場版アニメとなっているのですが、なんのダイジェストも人物紹介もなく、日向翔陽と狐爪研磨の出会いから始まるスクリーン。合宿に積極的に向かうでもなく「暇つぶし」とゲーム機をいじる研磨。バッグをあさってタブレットをコツコツ触ってゲームをスタートさせる音、私はその最初の「音の臨場感」と「ゲーム好きで陰キャな少年の仕草」の確かさにまずハッとしました。

アニメ版からも漫画版からも切り取られたこの「劇場版ハイキュー!!」は、研磨が媒介となってスクリーンのこちらとあちらを繋ぐのだとビシンと感じたのです。

春高バレーの会場での烏野高校と音駒高校のいわゆる「ゴミ捨て場の決戦」がこの劇場版のメインの出来事です。
でも、当たり前ですが映画を見にくる多くの人は春高バレーの試合のコートに立ったことがありません。応援するために東京体育館の椅子に座ったことさえない人が大半です。
なのに、すぐに試合が始まります。

示されるのは短時間の翔陽と研磨の出会い。そして途中途中で挟まれる、黒尾(音駒高校主将)と研磨の子供時代のエピソード。
その他は、この日のために練習を重ねた気力体力の充実した高校生男子のバレーボールシーンのみ。
でも、東京体育館のコートと映画館のこちら側のシートは、狐爪研磨の「どうしてだかここに来ちゃった」というフワッとした感情で繋がっているようでした。

特段バレーが好きということもなく、むしろ「疲れる」と公言している研磨。幼馴染の黒尾がやっているからバレーを続けているという変わり者な彼は、いくつか繋がりを増やしてこの試合に挑んでいました。


私はバレーは学校の授業でやったきり。まともにアタックを打ったこともなければ、トスをすればいつも突き指をしてしまいます。春高バレー3回戦のハイレベルな戦いにリアルでついていけるはずがありません。
でも、どこかで人生が違えば、インドアな研磨がバレーボールを手にしたように、私もコートに立っていたかもしれない。
そんなことを思うのです。

だれかが「お前がやってくれなきゃ困る」と私の手をとって、転ぶと痛い砂利のコートにつれていって、その後頼もしそうな先生のいる体育館に連れて行って、うっかり人生が変わったかもしれない。
そうしたら春高バレーは私の舞台だったかもしれない。

そんな、陰キャを陰キャのまま違うルートに連れて行った先の大歓声。
激しいラリーと早鐘のように打つ心臓と止まらない思考回路と、拭けども拭けどもあふれてくる汗に、ミルフィーユのようにさまざまなキャラクターの想いが重なっていきます。

私のはもうだいぶ出遅れたレビューなので、CDBさんの素敵なレビューを貼らせてもらいます。

こんなに輝かしい渾身の試合を見ている私たちは、この映画から一体何をもらったのでしょう。
それは、語彙を駆使しても尽くしても、「幸福」というひねりのないものになってしまうような気がしてならないのです。

我が家の本棚にも紙で「ハイキュー!!」全巻が並びます。
コロナ禍で学校に行けない間、子供たちと一緒に「ハイキュー!!」を読み漁った日々が思い出されます。
「バレーボールを買って」と漫画を読んだ子供達にせがまれて、Amazonで黄色&青のバレーボールを買い、人に会うことを禁止されている中で、家族でバレーボールをしていました。

遊具使用禁止の黄色いテープの貼られた公園で、家族で円陣をつくってのバレー。
もちろんトスもレシーブもなかなかうまくはできないけれど、できないからこそ翔陽や影山のすごさ、バレーの試合を成り立たせる鍛錬の素晴らしさを感じました。

そし家族でいつも言っていました。
「砂利のコートしかない公園じゃなくて、体育館でやれたらもっと楽しいだろうね」

アニメの中でも、砂利の河原でのバレーから体育館でのバレーに。
そこで思う存分チームメイトとバレーをする研磨の気持ちが、自分の気持ちにつながります。

誰のことも憎くない。
誰のことも敵じゃない。
それでも勝敗をつけなければならない。
ゲームクリアはゲームオーバーより悲しい。
もっとずっとバレーをしていたい。

映画を見ながら高まって行くのは、今の試合の一点、今の過ぎて行く一瞬に対する愛しさでした。

研磨がコートに倒れて、周りのみんなに心配されながらも口にする「たーーのしーーーぃ」。その後の翔陽のガッツポーズ。

あの場面はまさに、生きててよかった、頑張ってきてよかった、この瞬間のために生きてきた、そんなシーンだったのです。

ぜんぜん自分はバレーしてないくせに、自分の片割れがあそこにいるようで、研磨の「たーーのしーーーぃ」こそが観客がもらえる最高の「幸福」なのじゃないかと、この作品自体の幸せを思いました。

近所の中学校ではバレー部が人気で、野球部とサッカー部は部員不足・・・みたいな話を聞くと、物語の後押しというものの力を感じます。

思う存分一生懸命になっていい、というメッセージを受け取ってバレー部に入る学生さんたちに共感しつつ、私は「もっと思う存分キャラクターを愛していいし、漫画を楽しんで描いていい」というようなメッセージを受け取りました。

もっとがんばろう、もっと没頭しよう。
そんなふうな気持ちをたくさん浴びて、映画館を出たらまだ春は続いていて。
どこまでも背中を押されるような気持ちが、明るい陽の光に反射するようでした。

恐ろしいことに、これが前編で後編が続くらしいのです。

マイナスの感情がほぼ出てこない新時代のスポーツ漫画は、スポーツアニメは、速度を一切落とさぬまま、それでもまた私たちの手を取って、春高バレーの体育館に連れて行ってくれることでしょう。
楽しみです。


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