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自分はまた自分だけのために生きられるのか

紫原明子さんのnote。なぜこれほどまでに、今自分もその気持ちを味わっているような温度で文字にできるのか、優しく切ない魔法をかけてもらっているかのようだ。

これはおそらく繰り返されてきた普遍的な親子の形。
「おおかみこどもの雨と雪」でも、狼になる道を選んだ子供の手を放す描写があったことを思い出した。


その時も思ったのだ。歯を食いしばって。

「これは、大成功の子育ての形だ」と。

子供が自分で自分の道を選ぶ。
自分で選んだ道が「親と一緒にいる」だったらいい。
でもそのような決意の過程を経ずに、親元を離れられない方がよほど苦しい。
若い時のしばらくはそれでいいと思えても、それは行き止まりに続く道になる可能性が強い。

私も18歳で大学進学を機に親元から遠く離れた。

だから歯を食いしばって決意した。自分の子供たちもきっと18歳で家を出そう。「仕事にも学校にもここから通えるのに」と言われても、きっと出そう。
だって自分の親が、歯を食いしばって、そうさせてくれたのだから。

18歳でする一人暮らしがどれほどの自由をくれるのか、誰よりも自分が知っているのだから。

残された側になる。

遠くない未来に、紫原さんと自分も同じ寂しさを味わう。

子供のためと思って大きめのマンションを用意したのに、ギャーギャー同時に話しかけてくる複数人と会話するスキルも手に入れたのに、大人数の料理をすることにも慣れたのに、その全部を縮小する必要性が出てくる未来。

せっかく大きく増築を重ねたスタジアムが、あっという間に減築すべき無用の長物になる。

その切なさにどれほど柔軟でいられるだろうか。

育児は親を確実に成長させてくれる。いろんなキャパシティを増大されてくれる。

でもその力は、減らす必要なんかどこにもなくて、また新しい人と強くつながる力にすることができるのではないか。

紫原明子さん自身に、十分その「大きなスタジアムのまま、新しい関係性を紡いで、大試合をする」ための基礎が出来上がっていることを強く感じる。

尊敬する。
できれば私もそうありたい。

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