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Teamをより良くするために大切な自己理解について①

「Teamをより良くする」縛りで世の中に奉仕していく企画。

前回は関係性を育むためにまずは相互の価値観理解が大事だという話を書いてみました。

今回は相互理解をするためにも、自己理解を深めていこうという話をしたいと思います。

以下の「セルフ・アウェアネス」という本を参考にしてまとめていきます。二部構成にしたいと思います。

第一部:自己理解がなぜ大事か?
第二部:自己理解を高めるためにどのような行動をすると良さそうか?

なぜ「セルフ・アウェアネス」が求められるのか?

「セルフ・アウェアネス」とは「自己に意識を傾けること」

近年のリーダーシップ論では、「自己の強みや専門性」を活かして「他」を動かすという側面が重視されてきています。

その典型は日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクターの中竹さんがよくおっしゃっている「オーセンティック・リーダーシップ」です。

「オーセンティック・リーダーシップ」とは「自分らしさを大切にするリーダーシップだ。具体的に言うと、自分らしさを発見し、メンバーに弱みも含めて偽りなく自分をさらけ出すスタイルを指す」

今までのリーダーシップ論は、リーダーはいかにして人々を圧倒し、権力を持って人を動かすか、というものが主流で、今もビジネス界主流のリーダーシップと言えるでしょう。

しかし、この強いリーダーシップスタイルによる弊害や行き詰まりが露見しはじめています。

それは企業の倫理観が問われるようになってきたためです。

象徴的な出来事が、2001年に起きたエンロンの不正会計事件。それまでのリーダーシップ研究では、リーダーの取るべき行動やリーダーの役割といった「doing」に焦点を当てたものが中心でした。ビジョンを掲げ、自ら率先してメンバーたちを導き、鼓舞したり励ましたりして関係性構築を測ることがリーダーの取るべき行動であり、自分は何をしたいのか、自分がやっていることは正しいのか、といったことが顧みられることはありませんでした。

しかし、ひたすら利潤と自己利益だけを追い求めた結果、不正会計事件を起こしたエンロンが破綻に追い込まれた後からは、企業理念やコーポレートガバナンスの重要性が指摘されるようになり、軌を一にするようにリーダー自身のあり方、「being」に光が当たる様になりました。

カリスマ型リーダーは、自己愛が強すぎるあまり、時に自己陶酔して自分を見失い、人として大切な倫理観を失って道を踏み外してしまうことがあります。そうならないためにも、自分の内面に意識を傾け、それを透明にしていく努力が必要だと思われる様になってきました。

また、政治、社会、経済の不確実性が高まり、何が正解かわからない時代に入ってしまっていることがあります。

このような「正解のない」時代のリーダーシップのあり方として、オーセンティック・リーダーシップに加えて注目を集めているのが「シェアード・リーダーシップ」という概念です。シェアード・リーダーシップとは、一人のリーダーだけでなく、メンバー全員がリーダーとして、それぞれの強みを発揮してチームに貢献し、チームを前に進めていくリーダーシップのあり方を指します。

このシェアード・リーダーシップも、オーセンティック・リーダーシップ同様にセルフ・アウェアネスが基軸になっています。メンバー自身が、自分自身についての内省を深め、自分の強み弱みを伝えることが出来なければ、チーム内で価値を発揮していくことが出来ないためです。

セルフ・アウェアネスは人生100年時代にどう働くを考える上でも大事

日本人のマネージャーたちは「あなたは仕事人生を通じて何を成し遂げたいですか?」、「何がやりたいのですか」という問いに答えられないことが多いです。要は"I want"が答えられないことが多いです。

一方で、「私はこれまで生産管理の仕事をしてきました」、「法人営業なら出来ます」といった何をやってきたか、何ができるのかは答えられます。

「何がやりたいのか」という質問に対する答えは持っていないことが多いということです。

また、残念ながら一つの組織に守られ、しがみついて生きる時代は、もう長くなさそうです。

今後転職することがより当たり前になると、「自分は何がやりたいのか」に向き合わざる追えなくなります。

自己認識には二種類ある

二種類とは、自分自身が自分を明確に捉えているか(内面的自己認識)と他者が自分をどう捉えているか(外面的自己認識)です。

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内面的自己認識は自分の価値観、情熱、願望、環境への適合、反応、他者への影響力について自身がいかに明確にとらえられているかを表す。

内面的自己認識は、仕事や人間関係への満足度、自己および社会的コントロール、幸福に相関する。不安、ストレス、憂鬱とは負の関係にある。
外面的自己認識は、内面的自己認識であげた項目について他者が自分をどのように見ているかに関する理解である。

自分が他者にどう見られているか理解している人は共感力と他者の視点に立つ能力に長けている。

外面的自己認識は役職が上がれば上がるほど、難しくなってきます。フィードバックをしてくれる人がそもそも少なくなってきますし、人事権を持っていたりすると部下は意見を伝えてくれることすらしなくなる傾向にあるでしょう。

一方で、頻繁に愛のあるフィードバック(上司、同僚、部下、取締役会から等)を求めるリーダーは内面的自己認識を高め、より他者から有能視される傾向にあるようです。

内省によって自己認識が必ずしも高まるわけではない

一般的な通年では、内省、つまり自分自身の思考や感情の原因を探ることは自己認識を高めると考えられています。結局のところ、己を知るには「なぜ自分はこうなのか」と省みる以上に良い方法はないだろう、というわけです。

ただ、内省する人は自己認識度が低く、仕事の満足度と幸福感も低めという研究結果もあります。

これは内省が全面的に非効果的ということでなく、内省の仕方に問題があリます。

この問題を考えていくために、内省でもっとも多く使われる問いの「なぜ」について考えて行きます。

人は自分の無意識の思考、感情、動機を探ろうとしても、その大部分をそもそも知ることが出来ません。そして意識上で認識できないものが非常に多いため、人は「真実だと感じらえる答え」を作り出すことがよくありますが、それが往々にして間違っていることがあります。

例えば、新任マネージャーが、部下に怒りをぶつけるという、彼女らしからぬ振る舞いをしたとしましょう。彼女はなぜを考えると、自分が管理職に向いていないという結論へ飛躍するかもしれません。ただ、本当の理由は重症の低血糖だったりします。

「なぜ」を自問することの問題は、その答えがいかに間違っているかだけでなく、自分の正しさを過信してしまうところにもあります。人間の思考が理性的に働くことは稀で、判断にバイアスが伴わないことは少ないです。

また、「なぜ」という自問によるもう一つの弊害は非生産的なマイナス思考を招くことです。

非常に内省的な人ほど、あれこれ考え込んでしまいがちであることがわかりました。

例えば、業績評価が悪かった従業員が「なぜこんなに悪い評価を受けたのだろう」と自問すると、自分の強み/弱みの理性的な評価よりも、自分の恐れ、欠陥、不安に焦点を当てた解釈に至ることが多いです。(この結果から、頻繁に自己分析する人ほど憂鬱や不安に陥り安く、幸福感が乏しくなります)

では「なぜ(why)」が内省の正しい問いかけでないとしたら、もっと良い問いはあるのでしょうか?

それは「何(what)」という問いです。「何」の問いは客観性と未来志向を保つ一助となり、新たな洞察に基づいて行動を起こす後押しとなります。

要は「なぜそうなったか?」ではなく、「さぁ次は何をするか?」と問うことが大事です。

さいごに

内面的自己認識(自分自身が自分を明確に捉えているか)と外面的自己認識(他者が自分をどう捉えているか)を高めた上で、相互理解し合えるととてもいいですよね。

ただ、内面的自己認識のやり方にも罠がありますし、外面的自己認識は愛のあるフィードバックと思って聞かないと素直に聞けないこともあると思います。

事柄の事実を把握し、次どう行動するかを考え続けることが大事なんだろうなと思っています。

次回は自己認識を高めるためにどうすると良いかについてまとめていこうと思います!

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