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#229 保育問題は労働問題

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、こども家庭庁が昨年9月に公表していた「令和5年4月の待機児童数調査のポイント」を見て考えたことをお話しします。

2013年〜2023年における全国の待機児童数の推移
https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/f699fe5b-bf3d-46b1-8028-c5f450718d1a/8e86768c/20230901_policies_hoiku_torimatome_r5_01.pdf

上表の通り、2013年には22,741人にのぼる待機児童数ですが、昨年4月時点で2,680人にまで減少し、5年連続で最小人数となる傾向とのこと。
2017年のピーク26,081人から比べると、10分の1まで減ってきています。

約86.7%の市町村区で待機児童はなしとなっており、待機児童数が50人以上の自治体は、全国で6自治体まで減っているようです。

待機児童数が未だ多いのは、2023年には12万人以上の転入超過となっている東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)が中心なのかと思いきや、東京圏以外でも直近の人口増加率が高いところが上位にランクインしています。

待機児童数の多い上位10地方自治体

このような自治体に対しては、「保育施設側の受け手の確保(=利用定員の拡大)」が課題とされており、今後も共働き世代や女性就業率は増加見込みがあるから、更なる受け皿確保が重要、という締めくくり方がされているのですが、ここまで見てきて違和感を感じた部分がいくつかあったので、深ぼっていきたいと思います。


「女性就業率増加→保育園確保が必要」のロジック

まず、保育園の「量」の確保は、女性就業率が増加しつつあるから、そこに構えるための「受け皿」として(結果的に)必要である、という前後関係があるように見えるロジックが、私にはあまりスッと入ってこなかったところです。

様々な意見があるところと思いますが、「保育園は誰のためにあるか?」という問いの答えとしては、私は子どものためというよりも働く親のためにあると考えてます。

そして、マクロで捉えるのであれば、人的供給制約がますます進み、あらゆる業界で人手不足による歪みが生じていることを考えるならば、あらゆる現役世代がより働きやすい環境を整備することが大切で、そのためには「子どもを気持ちよく預けて、安心して仕事ができる」環境を整える、という考え方になるのではないかと感じています。

「女性就業率が高まっているから、受け皿の数を確保する」ではなく、「親が安心して子どもを預けられる場所を確保することで、社会全体で現役世代が気持ちよく仕事ができる環境を作ろう」という方がしっくりきます。

共働き世帯の増加や女性就業率の高まりも、特に若い世代においては「収入面に不安があるから」そうなっているわけで、「労働・雇用問題を解決するための手段としての保育環境の充実」というロジックで語られていかないと、次に話す「質」の向上にはなかなか論点がいかないと感じています。

「量」の話ばかりで、「質」の論点が出てこない

待機児童数が全国で連続して20,000人を超えていた2010年代前半においては、まずは保育園の「量」を確保を優先すべし、という論調が前面に出てくるのは分かるのですが、一貫して「待機児童数」のみにフォーカスが当たっているのも気になりました。

もちろん、このレポートが「待機児童数調査のポイント」とあるので、「数」を中心に語られる面があるのは仕方ないと思うのですが、そもそも「待機児童数」が減少傾向にあれば、それでオッケーなのか。

怖いのはむしろ、「2017年には26,081人いた待機児童数が、2023年には2,680人まで10分の1に減少した。残課題は、最後の1割を救うことだ」という論調が見え隠れしていることです。
待機児童でなくなった9割の世帯や、はじめからどこかの保育園には行かせられてはいるけれども、通勤経路を考えるとかなり行かせにくい保育園を利用されている方や、保育園の思想や考え方が合わず苦しんでいる方は全て「解決済問題」として見落とされている可能性を強く感じます。

上述した通り、私は保育園の社会的価値は「労働・雇用問題を解決するための手段」であると考えており、保育士の方には、国全体の労働力を下支えしてくれている点で頭が下がる思いでいっぱいです。
それだけでなく、自分の子どもが毎日楽しそうに保育園での出来事を話してくれたり、トイレトレーニングや箸の使い方のサポート、どろんこ遊び後や、おねしょをしてしまった後の洗濯まで対応してくれたりと、本当に感謝の気持ちばかりです。

一方で、私もこれまで引っ越しなどを経験し、一時保育を含めて複数の保育園を経験し、全ての保育園と必ずしも相性がバッチリというわけではありませんでした。
知り合いと話をしていても、最初から相性抜群のマッチングが成立しているわけではないが、「保育園側とも上手くやらないと子どもが意地悪されるかもしれない」という不安から、保育園とのやりとりにモヤモヤしつつも、なかなか言い出せない人が多くいるのを知っています。

そうなってくると「親が安心して子どもを預けられる場所を確保することで、社会全体で現役世代が気持ちよく仕事ができる環境を作ろう」という目的から離れてしまい、「ただでさえ日々の生活のために働いて忙しく過ごしているのに、保育園を利用することで親の負担が純増になる」というおかしなことが起こってきます。

個人的なモヤモヤ体験

あまり踏み込みすぎるつもりはありませんが、私が感じたことのある具体的なモヤモヤ体験をいくつかご紹介します。

まずは、一時期ある事情から子どもを一時保育に通わせていたのですが、その際の延長保育料の支払いです。
標準料金での一時保育利用時間では、就業規定にある労働時間よりも短かかったため、子どもを朝9時から夕方16時半とかで預ける時にも、毎日延長保育料を支払う必要がありました。

延長保育料を支払うこと自体はいいのですが、支払い手段が現金のみだったんですね。しかも、延長保育料は確か「1時間あたり275円」とかで、それを毎日現金ピッタリで持っていかないといけなかったのです。

275円をピッタリ用意するためには、「100円玉を2枚、10円を7枚もしくは50円玉を1枚と10円玉を2枚、そして5円玉1枚」が毎日必要になるわけです。
キャッシュレス生活が当たり前で、サイフを5年以上持ち歩いていない私にとっては、こんな数の硬貨を持ち合わせていないのです。「両替商か!」と心の中で突っ込みながら、硬貨を工面する日々を3ヶ月続けました。。

また、日々の生活で大変なのが、保育園の荷物の準備ですよね。オムツのサブスクサービスの便利さを知ってしまってから、別の保育園に通わせた際に、オムツのサブスクを導入していなかったので、「ぜひ導入してほしい」とお願いをしました。
しかし、園からの回答は「昨年度も同じ声が上がり、当時の保護者にアンケートを取ったところ、サブスク不要という声も上がったので導入を見送った」というものでした。

昨年度の実績で、私が使い始めた今年度1年間我慢しないといけないのも変だし、サブスク不要な人は使わないだけでいいのに、、その判断基準を続けている限り、サブスク使える日は永久に来ないぞ・・と違和感ばかりでしたが、「決定事項だから」ではなす術なく諦めるしかありませんでした。

こういう個別のモヤモヤが解消されていくためには、やはり保育サービス分野においても一定の競争が必要なんだと思います。
保護者から選ばれる保育園とそうでない保育園が出てくれば、園側も「質」を追求する動きに必然的になりますし、優秀な保育士を囲い込むために非効率なオペレーションの排除や待遇改善が必要になります。

競争がない世界では、構造的にその環境の価値観をアップデートする必要性が生じにくくなってしまいます。公教育もその代表格でしょう。

私よりもはるかに壮絶体験をしたことのある保護者の方も多いと思いますから、「量」だけでなく「質」の向上に向けた議論の総量を増やしていく必要があると考えています。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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