#264 本多清六に学ぶ!人生経営 「続ける効能」
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
「人生の最大幸福は職業の道楽化。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない」
これは、日本の明治〜昭和時代を生きた本多清六の言葉です。
本多清六は、その生涯にわたり、洋行19回、その足跡を6大州に印し、数にして370冊以上の著書を出版された方です。
東京帝国大学農科大学教授をしながら、東京府市、内務、文部、農林、鉄道の嘱託顧問を務め、日比谷公園、明治神宮、国立公園、行路樹の設計改良、都市計画委員、庭園協会の会長などを兼ねました。
渋沢栄一の顧問として、秩父セメント、田園都市、日新ゴムなど多くの開拓植林事業に取り組んだほか、各地水力発電所の風景破壊問題を解決された方で、一体どんなエネルギーがあれば、そこまでの多動力を発揮できるのか?と感じさせる偉人の一人です。
そんな本多清六が残した「私の財産告白」は、現代を生きる私たちにとっても、学びになることが多く、内容も面白い話ばかりです。
この本から得た気付きについて、何日かに分けて解説していきます。
今日は、「続ける効能」編として、お楽しみください!
凡人にとって、続けることに勝るものはない
本多清六は、25歳で日本とドイツの大学を卒業し東京帝大の助教授になった時、先の人生計画を立てています。
それは、「40歳まで勤倹貯蓄して生活安定の基礎を築き、60歳まで専心究学、70歳までお礼奉公、70歳から晴耕雨読の楽居」というものです。
これを成し遂げるための具体的なアクションとして、「毎日一頁以上の文章執筆」と「月給4分の1以上の天引き貯金」を定めました。
毎日一頁以上の文章執筆
前者の文章執筆は、アルバイトとして印刷価値のあるものを毎日1頁ずつ書き続けて、50歳に及ぼうという計画です。
42歳の時に腸チフスにかかり、38日間休まざるを得なかったのですが、その期間以外は毎日書き続けました。
しかも、その38日分を取り戻すために、1日3頁以上に目標が上方修正され、1ヶ月で1000頁の執筆量になったとのこと。
1頁あたり32字詰め14行だったそうなので、毎日448字あたりの文章を、途中から1344字になった、ということですね。
当時、文章を書くと言っても、紙に文字で書いて、それを運搬して他人に伝達するのは手間でしょうから、スマホやPCを開いたらすぐに文章化できて、多くの人にリアルタイムで届けられるようになった今は、本当に便利ですね。
また、ここで大事なのは、「量」よりも「期間」ということです。
1日500字の文章を1ヶ月書き続けました!て人は少なくないですが、25歳から85歳で亡くなるまでの実に60年間、毎日文章を書き続けたってところに強力な希少価値が生まれます。
「量」に関しては、当初500字弱、途中から1500字弱というのが、無理なく続けられるラインのいいところなんでしょうね。
「無理なくできる」ことと、「楽しんでできる」ことが、長く続ける秘訣。
本多清六は、自身のことを「凡人」と称してますが、生まれつき超優れた才能を持ち合わさない多くの人が何かのエキスパートになりたい、と思った時の差別化戦略として、「誰にも求められないことを、とにかく続ける」というのは、非常にシンプルかつ強力な戦術になりえるのです。
結局、85歳で亡くなるまでこのアルバイトを続けたので、60歳で大学教授を定年になった後も原稿料や講演料の副収入があり、半分は小遣い、半分は貯金に回したとのこと。
人生100年時代でリスキリングの重要性が叫ばれて久しいですが、リスキリングって定年が見えてきて学び直し、では本来は遅くて、先の時間が長いできるだけ若いうちから始めるほうが効果大ですよね。
継続期間が長く取れて、継続の恩恵が複利で大きくなるからです。
そして常に、「今が一番若いとき」。だから、思い立ったら吉日。
月給4分の1以上の天引き貯金
25歳で東大農学部の助教授に就いた時は、月給58円ほどの収入で、当時では普通の暮らしはできるレベルのものでした。
しかし、ドイツから帰国してから、「大変な月給取りになった」と考えた寄食者が増え、全家族9人に。
この調子では、いつまでも貧乏から抜けられないと考えた本多静六は、「やむを得ず生活を切り詰めるのでなく、積極的に勤倹貯蓄をつとめ、逆に貧乏を圧倒してやろう」と考えます。
そこで、最初から4分の3の収入を前提とした生活基準とし、4分の1を貯蓄や投資に回し始めます。
複利の恩恵が少ない初期段階こそ苦労があったものの、徐々に金が金を生み出すサイクルが出来上がり、40歳で大学の給料より貯金の利子や株式配当がずっと多くなりました。
「貯金とバイトで雪だるまの芯を作り、現実な投資へ。投機ではダメ」との考え方のもと、貯金がある程度の額になったところで、他の有利な事業への投資に回し続けた結果、60歳近い頃には、はるかに大きな財産になります。
「雪だるま式」のところでは、昔も今も金があるところにはいい知恵も出てきますから、面白い投資口も考えつきやすかったそうです。
貯金でコツコツと貯める、までは、割と真似しやすいですが、それが小さくても固まりになったところで、しっかり投資に回す。
投資は、2割利益が出たらそこでおしまいにして深追いしない。こういう地道なことの連続が大きな財産に繋がったとのことで、ここでも短期的なものに一喜一憂せずに、中長期で腰を据えて継続することの強さが垣間見えます。
なお、本多清六は、60歳の定年のタイミングで、「大財産や名誉は幸福そのものではない」との考え方で、財産のほとんどを社会事業に喜捨し、再び簡素生活に戻っています。
それでも、前述した執筆活動や相談料を副収入とし、再び貯金を作れる状態となっています。
85歳でも日に新たにますます張り切って、世の中をあるがままに見て、愉快に面白く戦い続け、感謝のほかないとの境地に至っていたそう。
「老後に年金もらえるかな・・・」と不安を感じながら生きるよりも、今やるべきことを見極めて集中することの大切さを教えてくれます。
定年に備えて今やるべきこと
30代のうちに定年後のことを考えるなんて早いのでは・・・と考える方もいるかもですが、本多清六が人生計画を立て、「継続」を始めたのは25歳の時です。
いまの私は一回り後でこれに気付いてようやく少しだけ実行に移しつつあるわけで、もう「気付いたら始める」、これしかないわけです。
今の会社にずっといたとしても管理職の役職定年は50代前半ですから、あと15年程度。入社してからちょうど半分の折り返し地点までは来たわけです。
人生逆算思考、バックキャストで考えると、真にやるべきことが見えてくるし、やりたいことをやるのに案外残り時間が少ないことに気付きます。
私も、50歳になるまでに、何かの本を1冊でいいから出してみたいです。
子どもが将来、「これ、ウチの親父が出した本」て言えるものがあるって、カッコいい!
ただそれだけの理由です。笑
少なくとも、本多清六が最期まで、「日々学びがあり毎日活気がある」人生を送れたのは、生活基盤と執筆の継続そのものを面白がってやれてることがあるのは間違いないので、1つの生き方のロールモデルを見せてくれる良書です。
それでは、今日もお疲れさまでした。
それではまた!
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