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【今でしょ!note#111】給料を上げるために下げる

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

2024年、早くも3月に入ってしまいました。
3月といえば、会社員の皆さんにとってはお馴染みの春闘の季節です。

インフレへの切り替えが進み、2月には日経平均株価もバブル前の最高値を超えて、過去最高値を更新している中、大手企業を中心とした各社の今年度の賃上げには注目が集まっています。

私は、なかなか賃上げがドラスティックに進まない理由の一つとして、「1度上げてしまうと下げられない」というのが結構強い理由であると捉えています。
企業経営にとって、人件費は大きな費用の一部ですから、費用増となる人件費を上げにくいというのは分かるのですが、同じようにもう少しドラスティックに下げることもできれば、上げることへの躊躇も減ります

会社の中での役職や給料も同じで、「一度役職や給料を上げてしまうと下げられない」というのが、若い人の抜擢や給料UPの足枷になっているのであれば、しっかり「下げる」側の議論も必要です。

実情として「そんなことしたらハレーションが大きい」「日本的な企業文化には合わない」というのは分かりますが、だからと言ってこの議論に真摯に向き合っていかないと、「若くて優秀な人の離脱」という中長期目線では一番の痛手を被るはずです。
その時に一番大変な状況になるのは、今の20〜30代くらいの世代になるはずなので、「人事や給料について、本来はどうあるべきなのか」という点を議論してみたいと思います。


「役職」ではなく「役割」に応じた給料にする

外資系企業では割と当たり前かと思いますが、プロジェクトの中での役割と成果に応じて報酬が決定され、それはプロジェクトに応じて柔軟にしておくべきと考えます。

つまり、Aさんがあるプロジェクトではマネージャーの役割を担うこともあれば、あるプロジェクトではメンバーの役割を担うこともある、みたいなアサインです。
当然、マネージャーの役割は、プロジェクト全体の成果により直接的に影響する決定責任が伴いますから、報酬は高めに設定します。

日本型企業でよくあるのは、「部長」がプロジェクトマネージャーをして「課長」が各チームのマネージャーをする、みたいな固定的なアサインです。
これだと、管理職以外の人がプロジェクトマネージャーやチームのマネージャーの役割を担うことができないので、どうしても成果に応じた給料は頭打ちになってしまいます。

各プロジェクトの成否は、会社の売上に直結するところになるので、当然そのプロジェクトのマネージャーには、その人であれば成功できるであろうと判断できる実績は必要です。
でも、全体一律のルールで、管理職でないとプロジェクトの中で責任が大きい役割になれない、となってしまうと、優秀な若手の抜擢機会を失ってしまい、優秀な人ほど、そのような機会を与えてくれる他の会社に移ってしまいます。

ただでさえ、会社の中の人口ピラミッドも「高齢化」が進んでいるので、会社の中では若い人のポストが不足気味です。
これまで「課長」→「部長」→「事業部長」とシンプルな役職だけで済んでいたものが、「副部長」、「部長代理」、「副事業部長」、「統括」、「総括」・・・などと、無理矢理作り出した中間的な役割が増え、エスカレーションルート、レポートラインが複雑になっている面もあります。

たくさんのよく分からない役職を次々と作っていくくらいであれば、かつてから存在する役職名に「降格」させて、給料もダウンさせた方が、より会社にとっても、給料を上げるべき人には上げる、ということがやりやすくなると考えます。

「降格なし」の本人にとってのリスク

一度管理職に就いた人が、会社にいるうちは役職定年を迎えないと管理職から降格しない仕組みは、その人本人にとってもリスクが大きいことです。

健全に労働市場の市場原理が働いている前提であれば、社会の変化に応じて必要とされる能力やスキルも当然変わっていきますから、それに応じて自分の能力をアップデートし続けないと、基本的にはその職務経験や能力は劣化していきます。

しかし、会社員にとって、その人が自身をアップデートし続けることをやめて、相対的に市場価値が落ち込んでいたとしても、給料が急激に落ちるということは基本的にありません。
自己研鑽しなくても収入が下がらないため、自己研鑽するインセンティブとならず、また年齢も上であるが故に、自分の足りないところに気付くきっかけとなる、周りから「叱られる」機会も失っていきます。

これがいわゆる「茹でガエル化」を起こしていて、本人は自分の価値が劣化し続けていることに気付けず、定年を迎えます。
少子高齢社会・人生100年時代で、「シニア活用」もより進んでいくでしょうから、定年を迎えたあと、再就職先を探すことになりますが、本人の自己評価と、労働市場におけるその人に対する評価には大きくギャップが生まれており、ファーストキャリア終了後、セカンドキャリアに移行するタイミングで、ようやく「茹でガエル化」していたことに気付くのです。

でも、この10〜20年の「茹でガエル期間」に他人と付いてしまった差を埋めることは簡単ではなく、また誰からも叱られない「茹でガエル期間」が、その人を要らないプライドの塊にしてしまっている可能性もあるため、そこから新しい知識やスキルを身につけて、挽回していくことはかなり難しいでしょう。

下げるべき給料を下げることが、全体の健全化に繋がる

需要と供給のバランスによって、モノの価値・値段が決定されるのは、経済学の基本です。
どのような役職であれ、パフォーマンスを発揮しているのであれば、その人の能力に対する需要が高まるわけですからその人の価値=給料は上がるべきですし、パフォーマンスを発揮していないのであれば、その逆です。

また、上げる方向しかない一方通行の給料・役職を前提にしてしまうと、上げたいものも上げられない、というのも割と当たり前の話です。
上げたいものがあるならば、下げるものはしっかり下げる。
日本が徐々にインフレ社会に転換しつつある中で、マクロでの賃上げには当然賛成なので、しっかり上げていくために、上げやすくするための手段として「下げる」ことの重要性を説いています。
「日本型企業文化には合わない」とか言ってしまえばそれまでなので、しっかり議論してここに向き合う必要があります。

給料が下がれば、収入を上げるためにどのようなスキルや経験を身につければ良いか?と考えて行動していけばいいだけの話です。
これができないのであれば、給料が下がっても文句いう筋合いはありません。

会社員として一社からの収入に依存している状態が不安定だと考えれば、複数の収入経路をどう確保するか、という発想にいくはずです。
自分のスキルや経験を掛け合わせてどのような価値を提供できるか、どこに自分をポジショニングするのが、自分の価値を最大化できるか?という発想に繋がり、社会全体として適切なリソース配分に向かっていきます。

以上、「給料を上げたいならば、下げることにもしっかり向き合おうね」という話でした。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!

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