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写実を描く意味:ホキ美術館

浸水被害を経てリリューアルオープン。写実絵画にはあまり親しみがなかったけど、描くとは何か。テクニックも、思想も、そこには描く意味がある。

昨年の台風で浸水被害に会い、多くの絵画がダメージを受けたようだ。それを克服し、リニューアルオープン。初めて行きましたが、見たことのある名作も、ホキ美術館が掘り起こした才能も、たっぷり堪能できた。外観によらず、中にはいくつものギャラリースペースがあり、量的にも多く展示されていたことは意外だった。

まずは、ホキ美術館といえばこの絵、という、森本草介。どこまで近づいて見ても滑らかな肌、乱れることのない風景。画家本人の言葉として、空は青ではなくセピアであること、描くほどに自分の好みに近づいていくことが語られていましたが、このような写実を目の当たりにして感じたことそのものでした。まずは題材を準備する、これにはモデルを雇って家に来てもらう、自分の思う服を着せ、アクセサリーを付ける、(実際は知りませんが)写真を撮る、そして時間をかけて描きこんでいく。このプロセスいずれもが画家の理想を作り上げ、描きこむことそのものだと感じました。そこに表現されるのは画家の思う美しさや理想であるのだと思いました。これは例えばよくできたポートレートや、偉人の肖像画にあるその人自身の存在そのものを描き出すありようとは全く異なるものだということが、実物を目の当たりにしてはっきりと感ぜられました。どちらかというと、ファッションフォトのレタッチに近いのかも。

そんな中、写実の意味を感じたのが上のサイト内にある、大畑稔浩《気配―冬》という作品でした。時間を感じさせる樹木が画面を横切りながらも、どこかにはありそうな風景。ただ、この絵を目の当たりにしたとき、冬という季節の荘厳さであったり、樹木にも、道にも、積み重なった時間の尊さのようなものを感じました。おそらく写真に撮ってもここまでの力はないんじゃないかと思いました。対象の持つ力と、画家の持つ理想に向かう力が一つになったときに、真に迫る絵が完成するのだということを体感しました。


技法的にはスフマート的にどこまで寄ってもリアル、というタイプと、点描的に、寄ったら筆跡が見えるけど、離れたらどこまでもリアル、という2パターンが有るのも面白かった。

時間がなくて(というか千葉市美術館に寄るのを優先して)足を運べなかった美術館裏の森もいい空気感を感じた。遠出して行くにはいいリフレッシュになりました。


表題写真。ホキといえば、このカンチレバーですよね。まぁ絵の保護を考えるとしょうがないんだけど、カンチレバー部分に当たる展示室、足元の光を間に合せのスクリーンで覆ってる感じはちょっと残念だった。建築、展示室が申し分ないだけに。細かいけど、星のようにランダムに(でもどこか規則的に)埋め込まれた天井の照明がパターンとランダムを行き来してるようでいい感じでした。

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