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「これステマかな?」…どういうわけか"広告っぽさ"を感じてしまう、あの違和感を紐解く話

宣伝色の強いテレビ番組を見ていて、「これ、絶対企業からお金もらってるよね」と感じたり。ウェブの記事で「PR表記ないけど、これ広告記事じゃないの?」と、ふと疑問に思ったりすることがあります。

そんな、思わず疑念を抱いてしまうコンテンツが、ここ数年で一段と増えている印象です。コンテンツをつくる現場で、いま何が起きているのでしょうか。メディアの中で、幸運にも「作るシゴト」と「稼ぐシゴト」をどちらもガッツリ経験させていただいた私自身の経験と、業界関係者へのヒアリングも踏まえて、分析してみました。

豪華な接待相手はまさかの身内…?「社内営業」の実態

メディアの中でいま何が起きているのか紐解いていくと、業界特有の事情が見えてきます。中でも、一般的な感覚からすると少し違和感のある「社内営業」の実態があります。

一般的な社内営業は、良い人間関係を築き、仕事を円滑に進めるため、決して悪いことではありません。しかしメディア企業でありがちなのは、少し度を超えた…「お金を稼ぐ部署」が、「作る部署」を、VIP並みに接待する構図です。

↑夜な夜な繰り広げられる社内接待(イメージ)

世界中ほぼ全てのメディア企業において、大きな収入源は「広告費」です。メディアの「稼ぐ部署」は、日々、クライアント企業(広告主)や広告会社さんと向き合っています。

そんな、メディアの「稼ぐシゴト」の中で、必ず直面するのが「編集コンテンツで取り上げてほしい」というニーズです。編集コンテンツとは、いわば広告ではないコンテンツのこと。テレビ局なら「視聴率の高い有名なバラエティ番組」などを名指しされることも多いです。そのような依頼が、クライアント企業(広告主)からメディアに求められるニーズの、実に9割以上。番組で取り上げられた翌日に大行列ができたり、スーパーで売り切れが続出したりするなど、その影響力の高さはよく知られています。

一方、メディアの「稼ぐ部署」が売りたいのは、番組の中で流れる「CM枠」です。ここに、需要と供給のミスマッチが生まれます。

そこに目をつけた優秀なクライアント企業(広告主)の担当者は、こう言います。「CM出す代わりに、番組で取り上げてもらえるように、掛け合ってくれない?」と。

そして優秀なテレビ局の「稼ぐ人」は、なんとか広告を獲得するため、社内調整に動きます。ここで、「作る人」への“社内接待”が発生するわけです。

ひとつの商談で数億円が動くこともあるテレビ局では、社内接待のレベルが半端じゃありません。「VIPをおもてなしする」レベルで…夜な夜な、豪華な"社内接待"がおこなわれています。

メディアの倫理観の象徴、「ファイアウォール」とは

このように同じ会社の仲間でありながら、それぞれに向き合う対象が異なることによる、作る部署と稼ぐ部署の微妙な関係は、メディア企業特有の「構造的な問題」と言えるのではないでしょうか。

そんな問題を解消しつつ…社会的な責任を全うするため、メディア企業には「倫理的規範」が存在します。その重要な要素の一つが、「ファイアウォール」という考え方です。これは広告チームと、編集チームの間には、見えざる「ファイアウォール」が存在する、というもの。コンテンツの公平性やクオリティ維持のため、「稼ぐ人」と「作る人」が、互いに領域を侵してはならないという原理原則が、メディア企業で働く一人ひとりに求められています。

↑コンテンツの公平性・クオリティ維持のため、「広告と編集の “ファイアウォール” は不可侵」が原則

ちなみにこのファイアウォールがあることで、広告チームと編集チームは何かとバチバチしがちです(笑)…例えば、よくCMを見かけるような大企業の“不祥事"が発覚したタイミング。編集チームは徹底的に取材し、少しでも隠し事があれば追及の手を強めていきます。一方、そんな報道によるバッシングで、大事なクライアントが苦しめられる姿にヤキモキする広告チーム。そのような渦中のタイミングでバッタリ、社内で顔見知りにすれ違った日には、、、

(稼ぐ人)「もうこれくらいで勘弁してくれ。こっちにもクレームが来てる。CMすごいもらってるし…」

と苦言を呈せば、もう一方も黙っておらず、、、

(作る人)「冗談じゃない。それでもメディアの人間か?少しは自覚を持ってくれ」

…そんな具合に、この2つの部署は互いに分かり合えず、しばしばぶつかり合う関係にあります。仲が良かった同期と仲違いしてしまうことも…泣

こうしたヒリヒリする関係性も、すべては社会的な責任を全うするため。その姿勢が支持され、メディアは世間からの信頼を獲得してきました。ところが昨今、大小含め多くのメディアにおいて、その軸足が揺らいでいます。

上述したような現場レベルでの「社内接待」もその一つ。さらに、現場レベルにとどまらず、「上層部の指示」として現場に落とされているケースも。

ファイアーウォールの一線を超えてしまう、代表的な事例として、コンテンツの中に自然な形で広告商品を取り込む「プロダクトプレイスメント」という手法があります。

上層部の指示で…「ファイアウォール棄損」の闇

数年前から、社会的に「ステルスマーケティング」に対して厳しい目線が向けられるようになりました。「作る人」の中には、「これはさすがにステマになるから無理」と、「稼ぐ人」からの依頼をきっぱり断るケースももちろんあります。上述のような"社内営業"を、ファイアウォールを盾にお断りするかたちですね。

ファイアウォールがしっかり機能していれば、ここで話は終わります。しかし昨今のメディア企業を取り巻く厳しい収益環境のために、ここからおかしなことが起こります。

クライアント企業(広告主)は、多額の広告予算をちらつかせながら…、そして「おたくじゃなくて、別のメディアさんに広告お願いしようかな」といった脅し文句をちらつかせながら…(←これは営業マンにとって相当にキツい)、番組で商品を露出させてほしいと、「プロダクトプレイスメント」を要求してきます。ちなみにステマか、プロダクトプレイスメントか、というのはとても微妙なグレーゾーンで、明確な線引きができないケースが多いです。

社内で「作る人」からお断りされても、諦めきれない「稼ぐ人」は、上司を頼り、ひいては社の上層部の判断を仰ぐことになります。

ここで上層部は、難しい判断を迫られます。厳しい収益環境。ビジネスを維持していくために…。広告収益を最大化するために…。背に腹はかえられぬと、最後に達する結論は

「これはステマではなく、プロダクトプレイスメントである(by偉い人)」

・・・こうして、まさに"経営判断"として、巧妙なプロダクトプレイスメント施策が推進されていく。タレントがもっともらしく商品をPRしたり、不自然にもランキング上位に広告商品がランクインしたり…。様々な関係者にヒアリングしてきましたが、多くのメディアの現場で、実際にこのようなことが起きているのが実情のようです。

信頼は、お金で買えない。失われつつある規律を、メディアは再定義すべき時

以上の話をひとつにまとめると、下のような構図となります。

↑メディアにおける理想と現実

まさに、メディアにおける理想と現実です。

この現実が、タイトルのような「これステマじゃない?」といった疑念や混乱のもとになっている可能性は否めません。さらに言えば、メディアの信頼を失墜させる、大きな要因となっているのではないでしょうか。

私たちが「ニュース」だと思って触れているコンテンツの実体が、実はお金によって作られたコンテンツだとしたら・・・これは非常に大きな問題だと言えます。

お金と引き換えに、これまで築き上げてきた信頼が、急速に失われつつあるメディア。規律を見直し、再定義すべき局面を迎えています。

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