一人称
私は独立前のフューチャーエレクトロニクス時代も含め、半導体業界に10年近く身を置いてきました。この間、成功や失敗をたくさん経験しながら、営業や調達のスキル・人脈を自分なりに築いてきたと自負しています。
私1人で始まったトナリズムも、今ではグループ全体で社員が30人を超えるまでになりました。社員一人ひとりの頑張りはもちろんですが、私自身が蓄積してきたノウハウをみんなとシェアすることで、会社全体のパフォーマンスを高めることができたと思っています。
しかし、私のやり方を社員がコピーのように実践するだけでは、個人としても組織としても成長が止まってしまうと思うんです。そもそも、私のやり方が常に完璧なわけでもありません。
「さらなる成長を遂げるには、何が必要なのか?」私は最近、社員一人ひとりが「一人称」で働ける組織になることが大切だと考えるようになりました。何事においても、人は自分が出したアイデアや自分で決めたことに、一番情熱を注げるし、やりきれると思うんです。
それなのに何から何まで、私やマネージャーたちが口を挟み、物事を決めてしまったら、社員のやる気を損ないますよね。これは何も大きな事業に限りません。例えば、何かのサービスの名称を決めるにも、ロゴを決めるにも、本当は「こっちがいいのかな」と思っても、できる限り言わないようにする。「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、誉めてやらねば、人は動かじ」。これは山本五十六が残した有名な言葉ですが、会社を経営するようになった今、すごく分かる気がします。私自身もそうですからね。
もちろん、会社の業績を左右するクリティカルな場面では、しっかりと口を出さなければなりません。示された結論や数字の根拠がおかしな場合には、かなり細かく社員に尋ねます。(私は相当しつこいので、かなり嫌だと思います笑)。しかし聞かれた本人が自分自身の仕事を振り返り、新たな気付きを得るきっかけになるので、非常に重要なプロセスです。
そもそも多くの場合、こうしたミスが起きるのは、本人が「一人称」で仕事に取り組めていないから。しかし、社員の属人的な問題として片付けるのではなく、組織の問題として捉えなければいけません。果たして、自分の仕事に愛着や情熱を持って取り組む社員を、正当に評価する仕組みづくりができているのか?それは、給料という形かもしれないし、任せる仕事の中身なのかもしれない。いずれにしろ、あらゆる問題の原因をたどれば、行き着く先は経営者である。つまり、全ては私のせい。カッコつけではなく、本当にそのように考えています。
社員一人ひとりが、「会社事」ではなく「自分事」として仕事に取り組む。その結果、会社を儲けさせることで、実は自分自身も大きなリターンを得ることができる。これは、私自身が豊通マテリアルやフューチャーエレクトロニクス時代に身をもって感じたことです。
仕事を頑張る人のことを「社畜になっている」「会社に搾取されている」と揶揄する風潮もありますが、少なくとも私は会社員のときに、自分自身のことをそんな風に考えたことはありません。むしろ頑張った分、自分のスキルや評価は上がるし、転職先で自分を売り込みやすくなります。
「経営者は社員を奴隷だと思っている」以前私はとあるSNSにそう書かれました。そんなはずがないですよね、失笑です。もしかするとそう思っている経営者はいるのかもしれませんが、どう考えても成功はできないでしょう。少し過激な表現を使いますが、私は市場の奴隷であり、「トナリにいる信頼を世界中の人々へ」という当社のミッションの奴隷です。そしてそんな自分の仕事にプライドを持っています。
「半導体ソリューションを軸に世界を進化させ、あなたが大切な人のトナリにいられる時間を増やします」。なんか素敵だな、やってみたいな。そう思った人は、ぜひ当社の求人に応募し、私に会いに来てください。
自分にしかできないことを「一人称」でやろう。