学びのシェアNo.7~特別支援への考え方~
Moi!
気づけば自分のフィンランドでの生活も、残り2週間となってしまいました、、、ラストスパートです!
そして、今回のテーマは特別支援教育です。
実は、自分がフィンランドに来る前から、すごく知りたいと思っていたことの1つに、”学習に困難を抱える子に対して、どのように支援をしているのか”というのがあります。
これが知りたいと思った大きなきっかけになっているのが、今年の上半期に関わっていた、Learning for AllというNPOでのボランティアの経験です。
自分は、このLearning for Allのボランティアで学習でつまずきを持つ中学生に対して、個別の少人数指導をしていました。そこでこんなことを感じました。
"子どもたちの抱える困難は、どうしてもその子自身の努力だけで解決できるとは限らない。"
"そして、そういった子供たちの抱える苦しみやもどかしさは時に見過ごされ、周りの人からサポートを受けられず、放置されてしまう。"
では、義務教育とされている現在の学校は、どうあるべきか?
今の私は、学校が担うべき役割は、第一にすべての子どもを受け入れるセーフティネットであるべきだと思っています。
何か苦しさや生きづらさを抱えている子供たちを、もれなく見つけ、受け入れて、サポートする。
それが学校を考える上での土台であってほしいと思うんです。
自分はLearning for Allでのボランティアを通してそう感じるようになりました。
それゆえ、フィンランドの学校で”学習に困難を抱える子に対して、どのように支援をしているのか” にすごく興味があります。
フィンランド学校教育においては、”落ちこぼれを出さない”という考え方が大事にされているとも聞いたことがありました。
そして、私はフィンランドの特別支援教育の実践の中に、その一端を見たのです。
※※※今回のNoteですが、書きたいことが多すぎて約7000文字の大作となってしまいました!笑 ですのでお時間のない方は、以下の目次の ”特別支援の考え方” からお読みください! 自分の伝えたいことは主にここにつまってますので!※※※
子どもを支えるシステム
まずは基本となるシステム面についてです。
フィンランドの基礎学校の1~6年生では、日本同様、基本的にほぼすべての教科を担任の先生が教えます。一部の教科についてはその専科の先生がいることも珍しくありません。
加えて、フィンランドの特別支援教育を強く支えている方々がいます。それがSpecial Teacher、Resource Teacher、School Assistantです。
◎Special Teacher
日本でいえば特別支援教育の先生にあたります。Special Teacherは担任の先生を務めることができる教員免許に加え、特別支援教員としての専門的な免許も保有している先生です。この先生は常勤の先生にも関わらず、担任を持たず、毎日各クラスを回って必要な子に必要な支援をしています。
支援の内容は、そのクラスの担任と逐一相談しながら決めており、時には1人をピックアップして個別指導をしたり、時には数名をピックアップして少人数授業をしたり、はたまた担任が何かしら困難を抱える子を個別指導する代わりにSpecial Teacherがクラス全体の授業をすることもあります。
このSpecial Teacherは、法制度上、各学校に必ず1.5人はいなければいけないとのことです(週の半分だけ学校にいる場合は0.5人と数える、とのこと。)。つまり、各学校の特別支援教育の要と言える先生なのです。
◎Resource Teacher
日本には、これにあたる先生がいるのか、自分はちょっとわかりませんが、、、
Resource Teacherはクラス担任を務めることができる教員免許を保有する常勤の先生でありながら、Special Teacher同様、担任を持たず、毎日各クラスを回って必要な子に必要な支援をしています。役割はおおよそSpecial Teacherと同じですが、大きな違いは、特別支援教員の免許を持っていなくても務めることができるということ。
今まで、特別支援教員の免許を持っている人だけが特別支援教育に関わっていたところを、5年ほど前からこのResource Teacherのシステムが導入され、担任を持たずに特別支援に専念できる教員をより多く配置することが推奨されてきているのです。
なお、現在自分のお世話になっている学校には2名のResource Teacherがいらっしゃいます。
◎School Assistant
日本でいえば学習指導員にあたります。
School Assistantとして働くには教員免許は不要ですが、その代わり働く前に1年間の研修を受ける必要があります。彼らの役割は様々ですが、主に担任が進める授業中のサポートをしたり、支援が必要な子へ個別指導をしたり、時には欠勤している先生の代行をして授業することもあります。
現在、自分のお世話になっている学校には6名のSchool Assistantが、基本的に毎日勤務していらっしゃいます。
(↓↓↓ School Assistantの方へのインタビュー記事もあります! ↓↓↓)
このように、+αの支援を必要とする子たちに対して支援できる、臨機応変な先生方が数多くいらっしゃるので、多様な子供たちに対してより柔軟に、個別的に支援できる土台が整っているのです。
子どもを支える実践
では、どのようにしてそのような先生方が子供たちを支援しているのか、いくつか実際に行われている支援の方法を紹介します。
◎自分の信仰する宗教について学ぶ権利
自分がいつものように5年生の美術の時間に同行しているとき、ある光景を見ました。
美術の授業をしている教室の隣の教室で、ある男の子とSchool Assistantの一人が、二人ともヘッドフォンをしてパソコンに向かっているのです。
あとでそのSchool Assistantの方に何をしていたのか聞いてみました。
すると、どうやらその男の子はオンラインでイスラム教についての授業を受けていたようなのです。
どういうことかというと、(大雑把ですが)キリスト教が国教であるフィンランドでは、学校の宗教の授業では、基本的にキリスト教をメインに学ぶのですが、その男の子はイスラム教を信仰しているため、宗教の授業としてイスラム教について学ぶ必要があったのです。
しかし、学校にはイスラム教について教えられる先生はいないため、遠方の先生とオンラインでつなぎ、授業を受けていたのです。そして、それをSchool Assistantの方がサポートしていたのでした。
もしSchool Assistantの方がいなければ、その男の子の”自身の宗教についてきちんと学ぶ権利は"失われていたかもしれません。しかし、School Assistantの存在(だけではないけれど)のおかげで、その権利は守られているのです。
◎困難を抱える子どもを見つけるスクリーニング
しばしばフィンランドの学校ではテストがないと言われますが、実際はそんなことはありません。
しっかりとテストはします。笑
(↓↓↓ テストに関してのNoteもあるのでぜひ ↓↓↓)
中でも、困難を抱えた子供たちを救うという意味で重要な役割を果たしているテストがあるとのことです。
それは毎年各学年で行われる学力調査のようなテストです。
ここで問われているのは知識の量ではなく、その発達段階において身につけるべき最低限の能力です。
先生方は、このテストの結果をもとに何か学習に困難を抱えている子がいないのかどうかを判断することもあるようで、これが1つのスクリーニング機能になっているようなのです。
◎Special Teacherによる少人数指導
自分のお世話になっている学校のSpecial Teacherに丸一日同行させていただいたことがあります。
その日の、あるクラスの国語の授業を紹介します。
まず授業の開始時刻になると、Special Teacherはそのクラスの教室に向かいます。そして担任の先生となにやら相談し、クラス全体に何かを話すと、数名の子どもが手を挙げます。
Special Teacherはその中から数人を選ぶとともに、手を挙げていない子の中からも数人を選びます。今回は全部で5名。選ばれた子たちは、国語の教科書をもって別の教室に移動します。
(Erityisopetus = Special Education)
授業は、Special Teacherが教室の前方に立ち、教科書に沿って解説をしていく形で進んでいきます。指導の形式や内容は、その子供たちの実態をふまえて、担任の先生と相談した上で決めているそうです。
今回この少人数授業を受けたのはどんな子たちなのか。1人は母国語がフィンランド語でもスウェーデン語でもないため、国語の読解などに困難を抱えている子、他の2人は学習ペースがゆっくりなため、普段の授業だと置いていかれがちなスローラーナーの子たちです。残りの2人は? これはまたのちほど…
基本的に、Special Teacherは毎週同じ時間に同じクラスをみるので、Special Teacherのサポートが必要な子は、毎週Special Teacherからの支援を受けられるのです。
◎3段階サポート
フィンランドの特別支援教育には、3段階サポートという概念があるそうです。これは、こどもたちの抱える困難に応じて、3段階を経ながら支援していこうとする考え方です。
まず1段階目は、クラス担任がその子の課題に取り組むことから始まります。当然、まず初めに学校の中で子供の困難に気づくのはクラス担任でしょう。そして、クラス担任としてできる範囲でその子に対して補修なり支援なりをします。また、子どもの親とも連絡を取り合って、必要に応じてミーティングをしつつ、協力して取り組んでいきます。
そしてこれだけでは不十分だと判断された場合、Special Teacherらの出番です。これが第2段階。Special Teacherらの個別指導だったり、スクールナース、スクールサイコロジスト、スクールソーシャルワーカーなどの専門的な知識を持った人たちも関わってきます。実はこういった専門職の方々も学校に必ず1人はいなければいけないと法律で定められており、毎日ではないものの、定期的に学校にいらっしゃいます。
そしてそれでもまだなお、不十分だと判断された場合、3段階目に移行します。3段階目では、子どもの親や担任、校長といった関係者たちの合意の下、より支援が充実した特別支援学校へ転校することとなります。
この概念において特に重要なのは、第2段階の存在です。第2段階では、子どもたちは ”その学校の中で” 特別な支援を受けられるのです。このインクルーシヴ的な取り組みが非常に大切なのです。つまり、"学校の中で"そういった支援ができるからこそ、子どもたちが何かにつまずいたとき、すぐにサポートに移ることができるのです。
さらに、第1段階と第3段階の間にこの中間層があることで、子どもたちが明確に何らかの困難を持っているのか、持っていないのか、という判断をする必要もなく、特別な支援を施すことができるのです。いわば、グレーゾーンの子たちを、白黒はっきりさせずとも、”可能性がある” の段階で支援することができるのです。
近年はADHDやディスレクシアなどの発達障害の存在が認知されるようになってきたおかげで、そういった困難への理解が深まりつつあります。しかしその反面、そういった障害を持っているのか、そうでないのかという診断に固執しすぎてしまい、はっきりと”障害である”と言えない子については、必要な支援が施されにくい風潮があるように思います。
それゆえに、こういったグレーゾーンの子を支援できるという環境は非常に大事なのではないかと思うのです。
特別支援の考え方
ここまで、システムや実践について紹介してきましたが、自分がフィンランドの特別支援について学んでいる中で一番驚いたのは特別支援への考え方です。
◎先生の認識
Special Teacherに特別支援教育の目指すところを聞いてみました。
すると、先生は
「私たちが目指すのは、どんな困難を抱えた子どもであっても、最低限のラインまでもっていくこと」
と断言されました。
「たとえどんな子であっても、Goodだからね」
と。
先生は実際にその考え方を体現していらっしゃいました。自分には言葉はわからないですが、特別支援の教室に来て学習する子どもたちとSpecial Teacherの関わり方を見ていると、先生の持つその期待と子供を受け入れる姿勢を感じ取れます。
そしてさらに言うならば、この考え方はなにも特支援教育に限ったものではなく、フィンランドの教育全体にも言えることのようです。
1つ例として、算数の教科書の使い方にその考え方が垣間見えます。
算数の教科書は、各単元ごとに最低限レベルの部分と発展レベルの部分で構成されています。
基本的に、先生は最低限レベルのページはすべて全員に取り組ませます。
(↓↓ 最低限レベルのページ ↓↓)
その上で、発展レベルのページについては、範囲を子どもたちに提示した上で、その中から好きなものを好きなだけ取り組ませます。
(↓↓ 発展レベルのページ ↓↓)
発展レベルの問題はバリエーションが非常に豊富で、子どもたちはその中から好きなものを選んで取り組むことができます。すべてに取り組む必要はありません。その上、発展レベルの問題に取り組んでいる間、先生はほとんどその子たちを見ません。正直に言って、かなりほったらかしです笑
ではその間、先生は何をするのかというと、最低限レベルの問題の理解が不十分な子供たちに徹底的につくのです。
よりサポートが必要な子を優先して教えていくのです。
このように、フィンランドの学校教育では、特別支援教育に限らず
「どんな困難を抱えた子どもであっても、最低限のラインまでもっていくこと」
という考え方が根底にあるのです。
◎子供たちの認識
では子供たち自身は特別支援についてどう思っているのでしょうか?
自分はSpecial Teacherに同行していて、疑問に思ったことがありました。
「子どもたちは、あからさまに特別支援の教室に連れていかれて、嫌な気分はしないのかな?」
Special Teacherから返ってきた答えはこうでした。
「しないと思うよ。何なら、みんな行きたがってるから。子供たちにとっては、特別支援の教室に行くのは恥ずかしいことではなく、”そこに行けばできるようになる”というポジティブなことなの。だから、実際、この前授業の初めに一緒に特別支援の教室で勉強したい人を募ったら、多くの子どもたちが手を挙げたでしょ?」
そう、前述した国語の授業の5人のうち、のこりの2人は、自ら志望して特別支援の教室に来ていたのです。
特別支援の教室には、困難を抱えているがゆえに先生からピックアップされる子がいるのと同時に、困難を抱えているわけではない学力的には上位に位置しているような子がきて勉強することもあるのです。
つまり、子どもたちにとって特別支援の教室は、「そこに行けばできるようになる」という場所であり、そこに行くことはすべての子どもが持つ権利なのだと認識されているのです。
それゆえ、担任の先生も子供が特別支援の教室に行くとき「行きなさい」とは決して言わず、「行っておいで~」と送り出すそうです。
◎最後に
フィンランドに来る前、私は「フィンランドでは学力の格差が小さい」というのを耳にしたことがありました。
ここまでのシステムや実践・考え方を見てきて、それは決して偶然ではなく、フィンランドの教育の根本的な狙いの一つなのだと感じました。もちろんそれは、いわゆる”できる子”を見捨てる、というところにフォーカスしているわけではありません。すべての子どもに最低限のものを必ず届けるということを徹底しているということです。
そして、きっと子供たちも先生たちも、程度の違いはあれど、それが”公正”であり、学校の役割の一つであるということを感覚的に理解しているのだと思います。
「どんな困難を抱えた子であっても、その子はGood」
「特別支援は”できるようになる”場」
「すべての子どもの権利」
そういった、ポジティブな感覚を大人も子供も持っているのです。
なんて素敵なんだ。笑
もしこの感覚が日本でも当たり前になれば、現状様々な困難を抱え、苦しんでいる子供たちにとって、もちろんそうでない子供たちにとっても、学校はより”行きたい場所”になり、”生きやすく”なっていくのではないでしょうか。
自分はどんな子でも安心して通える、思う存分学ぶことのできる学校を作りたいです。
だから、ここで見た実態と先生たちの想いを強く保持してこれからも学び続けていきたいと思います。
ということで、今回は以上になります!
今回も読んでいただき、ありがとうございます!Kiitos!
ではでは、Heihei!
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