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人に気遣うことをやめる


小さい頃から気の利く子だと周囲の大人に褒められて生きてきた。

それがものすごく心地よくてとてもいいことをしているように思えた。

でも最近は気を使うことに違和感を感じる。

なぜなら全員が全員同じことをして喜んでくれるとは限らないから。

自分ではいいことをしているつもりでも受け手によっては捉え方が変わる。

相手が何を求めているのかを考えないといけない。


人に気遣うことが全て悪いとは言わない。

しかし相手は選ばないといけないと思う。

気を使われることを拒む人がいるからだ。

猫をかぶっていると見透かされてしまう。

面白くないと。

本性を隠すことで相手を騙すことになり失礼にあたる。

自分をどう評価するのかは自分ではなく他人。

ありのままの自分を好きで居てくれる人を増やすべき。


気を使いながら人に期待している自分がいる。

人には言わないが私なりの気遣いを周囲の人間にしている。

気づかれないことが利他の心だと思っている。

でもたまに気が利かない行為に対して「なんで?」と疑問に思ってしまう。

「俺はこんだけ与えているのに」と自分よがりになってしまうのだ。

誰かに頼まれたわけでもないのに、、、

結局のところ見返りを求めている自分が未だに存在する。

そんなことを繰り返していても自分を追い詰めるだけ。

自分が本当にやりたいこと自分の為にしたことが誰かの為になっていることが本来あるべき姿だと思う。

誰かの為と思って行う時点でその背景には情けが含まれておりそんなものに価値などない。


気遣いは自己満に過ぎない。

そして自分自身に嘘をつく行為になり兼ねない。

それを繰り返すうちに無意識な行為となって他人に期待をする癖がついてしまう。

そうなっている自分に気づき本気で気遣うことをやめるとここに誓う。

決して簡単ではないがありのままの自分でいいんだと思えることでものすごく身軽になる気がする。

承認欲をうまく使える人は使っていけばいい。

でも少なからず私は動機が目的になってしまうので一刻も早く捨て去りたい。

人に気遣わないようになることは大きな1歩だと思う。

自己中心的であれ、他人にいいことをするなと言っている訳ではない。

人に期待するぐらいならそんな行為なんて捨ててしまえと自分に嘆いている。

くどいようだが自分の人生は自分だけしか生きることができない。

いい人であろうとするとどうしても他人の人生を生きてしまう。

そんな人生面白くない。ものすごくダサい。

1度きりの人生をどうするかは自分次第。















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