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私たちは、本をどう読むか

私たちにとって「本」とは何か。

スキルアップのために。
資格取得のための本や、ビジネス書を読む。

娯楽として。
好きな小説や、雑誌、旅のガイドブックを読む。

自分ひとりの経験だけでは知り得ない情報を、安価に好きなだけ手に入れることができる。

本との関わり方がそれぞれある中で、私たちは書いてあることをモノにしようと、本を飲み込むのに必死になっていないだろうか。

朱子学を学んだ書生。
日夜勉強して写した写本は数百巻。
写本を船で故郷へ送ったが、船が難破してしまった。
学問は全て海へ流れ、身についたものは何も無く、愚かさは勉強前と変わらなかった…

※書生 : 学問を身につける為に勉強している人
※難破 : 暴風などで船が破損し、航行できなくなること

福沢諭吉「学問のすすめ」 

ただ書いてある事を丸呑みしても、自分には何一つ残らないという教訓。

本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的に辿るにすぎない。
だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。
一日を多読に費やす人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。

ショーペンハウアー 「読書について」

なんとなく、本を読むことは「良いこと」だと思っている。

しかし、私たちは本を読んで学んだことを、実際の場面で活かせているだろうか。

本を読むことで知識を得た気になり、実際の行動に移す場面で、「まだ知識が足りない」と読書に逃げる。

まさに私自身がそうである。

今の自分を変えてくれるような魅力的なタイトルに惹かれて本を読み、本の情報を取り込み続ける。

外の世界に溢れる情報で自分の時間を埋めていく。
自分を見ないようにするのが現代人。

アンナ・レンブケ 「ドーパミン中毒」

何か物事に対処しなければならない時、本を読むことでは何も解決しない。

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