キャンプ孝行2

     日記より27-8「キャンプ孝行」2        H夕闇
                  八月十二日(土曜日)雨
 遠い昔(子供たちが未だ幼く、K団地に住んでいた頃)居間(いま)に家族が揃(そろ)ってテレビを見た時の思い出が有る。「遠き落日」と云(い)う正月映画、野口英世の伝記を渡辺淳一が描いたのが原作だった。映画のロケ地は知らないが、主人公の古里は猪苗代だから、多分この当たりの浜だろう。東北地方の寒村からアメリカ留学し、医学研究で名声を博した偉人が、故郷に錦(にしき)を飾る場面。むすこを積年の苦労で育て上げて湖の畔(ほとり)に待つ老母へ、身を立て名を上げた男が走り寄り、親子が涙ながらに再会する感動的な大団円だ。
 その画面を見詰(みつ)めるK団地の我が家では、女たちが(母も姉妹も)啜(すす)り泣きを始めた。すると、テレビの最前列に座っていた惣領(そうりょう)むすこが、後の方へ少しずつ(目立たぬように)いざり去る。その様子を僕が横目で伺(うかが)っていると、かれは部屋の後方まで皆の視界を逃れてから、コッソリ目を拭(ぬぐ)った。
 貰(もら)い泣(な)きするのを(譬(たと)え家族にも)知られたくない男児の心情に、僕は合点(がてん)が行(い)った。そして(思春期には未だ早かったが、)長男の成長を感じたものだ。

 その男の子が、今や両親を自分の車に乗せて、旅行へ連れ出した。はやりのオート・キャンプ。道具など新式に備(そな)え、テントを立てて、僕らを持て成してくれた。晴天のみならず、吾妻(あずま)山(やま)の景色や会津盆地の涼しさにも恵まれて、良い親孝行のキャンプになった。先月下旬から危険な暑さを齎(もたら)した炎天が、猪苗代湖では案外に清々(すがすが)しかった。
 茜(あかね)色の夕焼け空に夜の帳(とばり)が下りて、松林に深い暗がりが訪れる頃、木々の黒い影を透かして仰ぐと、そこに星空が拡がっていた。
 広い浜に出れば、満天の星。天の川がボーッと煙(けぶ)り、北斗(ほくと)七星と北極星がハッキリ見分けられた。その他の名を知らぬ無数の星々も、濃い暗闇(くらやみ)の底からクッキリ大きく浮かび上がる。
 むすこが夕餉(ゆうげ)の火を起こすと、夜空に著(しる)く煙(けむ)りが上った。薪(まき)の臭いが懐かしい。パチッ、パチッと爆(は)ぜる音が間遠(まどお)にするのも、いかにもキャンプの夜らしい。
 やや離れた隣りのテントは、バイク三台で来た青年たち。遅くまで静かに話し込んでいたが、端(はた)が迷惑するような音楽など決して聞こえなかった。反対側の一行は、年配女性二人でツーリングらしい。
 早寝の妻は軈(やが)て焚(た)き火(び)を辞(じ)し、父と子でビールを更に煽(あお)ったが、次ぎに僕もテントの中へ。未だ宵(よい)の口(くち)(八時頃)だったろう。その後むすこが一人で始末(しまつ)したらしく、翌朝には我が家の食卓が綺麗(きれい)に片付いていた。
 車の座席に納まっている丈(だけ)だから、僕は疲れた自覚が全く無かったが、(夜中に冷えて目を覚まし、伜が寝袋を用意してくれたのを除けば、)昏々(こんこん)と約八時間も眠った。普段から五時間程の睡眠で足りる僕には、極めて珍しいことだった。

 翌朝テントの中で目を覚まして腕時計を見るのに、カンテラの明かりは要(い)らなかった。白んだ天幕の内で聞き耳を立てると、静かな湖畔の森の陰から野鳥の声が響いた。きのう(十一日)の払暁(ふつぎょう)である。
 旅先では、早朝に夫婦で散歩するのが習い。小用の後、妻を起こし、汀(なぎさ)を東へ辿(たど)る。家内は先の森影を目指して、双眼鏡を携(たずさ)えた。何やら鳥の種類を盛んに言われたが、粗方(あらかた)は忘れた。
 只、小川の河口で川蝉(かわせみ)を見たのは、確かである。それと、白鷺(しらさぎ)が広々とした湖上をユッタリ渡って行った。鳥の群れが水面(みなも)に舞い、悠々(ゆうゆう)と宙に浮かぶ者たちは磐梯山(ばんだいさん)の雄姿を背景とした。
 だが、湖面に水鳥が浮かばないのは、意外だった。テント脇(わき)の老木には洞(うろ)が有ったが、きつつきは(家内の期待に反して)現れなかった。
 大きな山(やま)蟻(あり)が足を這(は)い上るのを気に病(や)み、本に集中できない。樹下のテーブルには、蛙(かえる)も来た。けれど、蚊(か)取り線香を二つ焚(た)いて、蚊は気にならなかった。
 遠い対岸で前夜フラッシュしていた照明は、風力発電の風車と知れた。当世の白い三枚羽が、緩く回転している。民謡に聞こえる会津磐梯山は、山腹の森林がスキー・コースに抉(えぐ)られて、痛々しい。その頂(いただ)きに笠(かさ)雲(ぐも)が掛(か)かって、曇(くも)り。尤(もっと)も曇天は朝だけで、間も無く夏の空が青々と晴れた。入道雲は銀に輝く。
 渚(なぎさ)の散策から戻って、湖畔の読書。林間の焚き火でコーヒー。自然の涼風(すずかぜ)も味わい乍(なが)ら、前夜の残りのパンを平らげた。
 のん気に出発したが、伜は盆休みを一日早く取ったのであって、世間では連休初日(山の日:金曜日)だった。帰路で驚いたことに、朝からキャンプ場へ詰(つ)め掛(か)けた車の列で、入り口の林道には、数百メートルの渋滞が出来ていた。

 むすこの愛車Ⅾは、山道をグイグイ登った。七年間これが一家を乗せて逞(たくま)しく走り続けて来た、と思えば、有り難い。但しエア・コンが故障し、窓を全開。風を切る音が会話に支障だが、山気が快(こころよ)い。
 浄土(じょうど)平(だいら)。ここも小学校の修学旅行で来たらしく、僕ら夫婦にはボンヤリと見覚えが有った。只、(嘗(かつ)ては無かったが、)葛(つづら)折(お)りに登る急坂に、木製の階段が設(しつら)えられて有る。
 赤煉瓦(れんが)を思わせる茶色っぽい(中には黒い)火山礫(れき)。その中を足取りも怪しく息せき切って登った苦労と恐怖感を、体が遠く記憶していた。山腹の登山路も、その向こう側へ落ち込む噴火口も、足元が崩(くず)れたら、お陀仏(だぶつ)だ。実際ガレ場の岩屑(いわくず)に足が沈み込み、今にもズルズル崩れ落ちそうだ。妻など立(た)ち眩(くら)みがし、身が竦(すく)むと言う。それなのに、立ち入り禁止の柵(さく)も無い。これで、けが人が出ないのだろうか。
 そんな崖(がけ)の際(きわ)で、三人組みの男女が大層はしゃぎ、危なっかしいポーズを取って、タイマー撮影。チョイと後へバランスを失ったら、惨事になり兼(か)ねない。じゃれ合う会話は、日本語らしい。もう悪ふざけする年(とし)恰好(かっこう)でもあるまいに。もし滑落(かつらく)しても、助けてなんかやるものか!自業自得(じごうじとく)の巻(ま)き添(ぞ)えで二次災害を蒙(こうむ)るなぞ、真(ま)っ平(ぴら)御免(ごめん)だ、と腹が立った。
 コロナ後のインバウンドが復活とか。五月に五類へ移行してからも、感染者は漸増(ぜんぞう)中なのに、お盆で人出も解禁の雰囲気(ふんいき)だ。三年も我慢した反動で、世間は急に弾(はじ)け、心無い観光客が悪ふざけ。少年時代の懐かしい思い出が悪戯と愚行で汚されたような印象を、僕は受けたようだ。        (日記より、続く)

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