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可愛かった家族自慢をさせて下さい。

“#我が家のペット自慢”新しいお題ですね。

今は一人暮らしで何も飼っていませんが、もし買うとしたら爬虫類(リクガメ)か鳥類かなぁ。

鳥だったら部屋で好き勝手飛ばしてやりたい。

もうだいぶ昔になりますが、インコを飼っていました。

そのミナミセキセイインコの名前は、、、、彼の承諾は得られないので、仮にピーちゃんとしておきましょう。

ピーちゃんは友達の家から雛で譲られてきました。

鳥の世話というのは
・毎日の餌吹き&補給
・水替え
・鳥かごの下の新聞紙交換
というのが主な世話内容です。

それと夜になると春~秋は薄手の布を、冬は毛布を夜の9時頃に掛けてあげるといった感じでした。

餌吹き?何それと鳥を飼われているか方も思うかもしれませんが、ピーちゃんにあげていた餌は殻付きの飼料だったので、食べた後に餌箱に空き殻が残ります。

それを毎朝、フーッと吹いてあげて庭に飛ばし、足りない分を補給してあげるということが必要でした。

当時小学生だった自分がこの仕事を任されており、毎朝餌吹きと補給を行っていました。

餌吹きも吹きか方が悪かったり、風が吹いたりすると殻を吸ってしまうことがあり、これはこれでコツがいるものだと当時の眼鏡屋(非眼鏡)は思っていましたが、網戸越しに餌吹きを行うというテクニックを編み出して以降は、常勝無敗となりました。

インコの飼い方を調べると、長く伸びた爪は線香で焼くとか、風切り羽は切っておくとか記載してありましたが、我が家では行われませんでした。

成長するにまかす。

野性下においてないことはしない、そんな主義があったわけではないと思いますが、特に何か手をかけたことは無かったと記憶しています。

イヌだと家族のヒエラルキーを理解して、誰がボスかを理解するみたいですが、インコにおいては餌やりで接する機会の多い自分に一番なつき、寄ってくれました。

譲り受けてから暫くはかごの中でしたが、ある時ふと、“手乗りにしたい”と思いつき、手乗り化計画を始めました。

この時で多分半年も経っていないと思います。

手乗り化計画の開始から成功まで、どのくらいかかったかは憶えていませんが、そんなにかからなかったと思います。

鳥かごに手を突っ込んで手乗りにさせるという、実に小学生らしいシンプルな作戦でしたが、当時の眼鏡屋が素晴らしかった点は、試みる中で素手ではなく手に靴下をはめてトライしたという点。

当時の眼鏡屋の靴下(恐らく仕様済み)に惹き付けるものがあったのか、ピーちゃんは靴下をはめた手に“乗る”ということが出来るようになりました。

靴下をはめた手から、靴下無しの手に、それから徐々にならして鳥小屋の外に。

当時の記憶が正しければ、そんなプロセスはすっ飛ばしました。小学生だもん。

靴下に乗せたまま鳥小屋の外に!(室内飼育です)

手乗りインコ、爆誕です。

嬉しかったのでそのまま手にのせて、台所の母親に報告しに行ったのを覚えています。

最初の内は恐る恐る鳥かごの外に出てくるピーちゃんでした。

かごの上を離発着の場として部屋内を周遊してまわるだけだったのが、徐々に慣れてくると寄り道したり、戻らなかったり。

そこまでくると部屋の中はピーちゃんの遊び場です。

国語の教科書を齧ったり、そこら中にフンをしたり、鏡の中の自分を他鳥と思い込み執拗につついたり、フンをしたり。(そのためピーちゃんのこつく鏡は曇ってました)

今思えば衛生的にはあまり良くなかったと思います。

食事の際は鳥かごに戻していましたが、家族の生活空間で飛び回るというのは良いとはいえません。

でもそれをNOとしなかった両親には、今思えば感謝です。

ピーちゃんは基本的に飼料での飼育でしたが、人の食べ物も結構つつきにきました。

特に麺類には情熱を燃やしておねだりすることが多く、ウドン、パスタ、ラーメンなど種類を問わずつつきにきました。

ある時気付きました。
彼らに眠る野生の記憶において、細長い食物とは何かなと。

雀や鳩が何を食べているかを思いたどり、ちょっとげんなりしましたが、ピーちゃんの可愛さの前には無力で、ついついチキンラーメンなんかも与えていました。
(本当に麺類好きでした)

序盤の紹介で“彼”と紹介しましたが、ピーちゃんはオスです。

オスのインコは声真似が出来ることがあるのですが、うちのピーちゃんは全く出来ませんでした。

その代わり言葉が一部通じる、、、気はしました。

例えば夜になって鳥かごに布を掛けても騒ぐ時、
「ピーちゃん、シーーッ!」
と言うと、鳴き止んだり。

本当に?と思われるかもしれませんが、実際に当たり前に静かになったので眼鏡屋は、鳥には一部言葉が通じると思っています。

小学校、中学校、高校とピーちゃんとの生活は続きました。

相変わらず一番なついているのは自分で、鳥かごの外に出してもすぐに肩や腕、時には頭に乗ってきます。

大学に入って、名古屋にきて一人暮らしを始めてからピーちゃんとも離れました。

その頃からあまり羽ばたくなくなったと、実家からのメールで聞くように。

チョンチョンと跳ぶようになっそうですが、その姿を見ることは出来ませんでした。

名古屋にきた最初の夏、ピーちゃんが亡くなったと知らされました。

部活の合宿の帰りだったので、先輩の運転する車内でそのメールを見たのを覚えています。

その場で泣き叫んだ、わけではなくただただ涙を堪えたのと、実家のその場にいないことを悔やんだことは覚えています。

その年の暮れに実家に帰りました。

鳥かごにピーちゃんはもういません。

ひどく寂しかったのを覚えています。

不思議な事が起こりました。

夜、深夜付近になると、ピーちゃんのいた鳥かごから気配を感じます。

カタッ、、、カタッ、、、

普通なら異常なことですが、不思議と怖くは無かったです。

あぁ、そこにいるんだなと。

カタッ、、、カタッ、、、

だからいつものように声をかけました。

「ピーちゃん、シーーッ!」

と、当然であるかのようになり止む音。

いや、嘘だろうと思われるでしょう。
実際にこの話をしてみても、皆そんな反応です。

ですが、これは体験したことをそのまま書いています。

あぁいるんだなと。

当時はまだ携帯電話で撮れるのは粗い写真で、手元にはその写真すら残っていません。

今だったら鮮明な写真で、動画でピーちゃんの姿を残せたでしょう。

人の記憶って案外あてにならないものです。
“我が家のペット自慢”というお題を見て、せめて今の記憶を残しておこうと思い、真剣に記憶をたどり書いてみました。

願わくば全てのペットと飼い主に素敵な体験がより多く残りますように、と投稿を締めます。

ここまで読んで頂き有難うございました。

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