ミャンマーの思い出:希望と絶望

2018年。英語の先生の仕事を辞めて、ミャンマーに目指していきました。
ミャンマーで日本語の講師として働いて住むことを決めて、世界を広げてみようと考えて旅に出ました。

ミャンマーは熱い国。昼でも夜に限らず何時でも、数分歩くだけで汗が流れる。すぐ喉が渇く。そこで注意しない所は、水道の水は飲めないことです。ボトル水のみ飲んでいました。毎日2リットルのボトルを買っていました。財布と携帯にペットボトルという常に手の近くにある不可欠の物品でした。


ミャンマーの料理は美味しいい。辛いものが好きな人には天国です(私は辛口なので、大満足できました)。何でも美味しかった、安い飲食店でも、レストランでも、お菓子でも、お酒でも。


食べ物も良かったけど、何よりも印象的なのは人でした。ミャンマー人は大抵シャイですが、すぐに仲良になれます。一度、スーパーに買い物していたとき、地元の女性の方から呼ばれた


「だいじょうぶですか?」

で、日本語で話してきました!彼女は日本に行ったことないのに、日本語はペラペラで問題なくコミュニケーション取れました。


実は、ミャンマーでは日本が憧れています。そして日本語を勉強する人はす多い。ヤンゴンだけでは30か所の日本語学校が経営している。教師はほぼミャンマー人です。

「Japan. Good country!」タクシーに入ったら、そう言われた。


「Myanmar, great country!」と私は言い返しました。

それはお世辞抜きな発言でした。本当に美しい国だと今もそう信じています。

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スーレー・パゴダ ヤンゴン都市の中心に建っている仏教徒の礼拝所 
特に夜が綺麗だった

観光地と言うとスーレ・パゴダが思い出に残っています。一晩、同僚の誘いでスーレに参拝しました。夜空を背景で40メートル立つ、金で塗ったパゴダがキラキラ輝く景色は一生に忘れません。このパゴダではお釈迦様の髪の毛が保存されてると同僚に教われました。

その夜も、ホテルに戻る前に親切な同僚に言われた


「イヌに気をつけてね」

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実は、イヌが危ない。


ミャンマーでは野良犬が数多で、噛まれたら狂犬病にかかることもあると。イヌは可愛いけど、慎重しないといけない。

イヌと水道の水を注意しなければいけない。私が行ったときにのミャンマーはそれぐらいでした。治安も大丈夫で夜でも女性は一人で歩けるような日本以上の安全性でした。

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このような途上国であるものの、色々な未了的なものが在る東南アジアの国です。社会的や経済的の問題は存在してあるなか、希望を持っていたミャンマー人は前向きで笑顔いっぱいでした。「夢」があるからです。夢があると、苦労を乗り越えられる、それが「夢」の力だとミャンマー人の友達から学びました。


特に若者は働き者で、勉強も熱心で、明るい未来に向かってたと信じていられました。そして政府も改善しつつ、社会もより自由になって、徐々成長している雰囲気でした。

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アウンサンスーチー国会顧問(75歳)国民民主連盟は2020年11月の選挙で80%の投票を受けたが、軍事派の野党は認めなかった。

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スーチー氏の父上(1915-1947)、アウンサン氏。ミャンマーをイギリス帝国独立活動のリーダー。1947年に暗殺されたが、現代でもミャンマーでは広く尊敬されてる

この明るい未来のシンボルはアウン・サン・スーチーでした。図書館の中や、一般人のお家の中でもスーチーさんの写真を飾っている場所がありました。一人の男はスーチーの似顔絵をタトゥーされたことも見当しました。


ジュンタの時代は乗り越えたと皆がそう思っていました。十年前のミャンマーは恐ろしい独裁主義の一国でした。軍隊は純然たる権威をもち「敵」だとみられたら人々はすべて犯される。捕まれたら拷問は当たり前。安全だと思われる家庭は全国に一戸もない。いつ、軍人が戸前に現れて、自分か愛している誰かを誘拐しにくると、不安が漂っていた時代だそうでした。


政治的に関係していない人でも、文句言うだけで疑われる恐れもある。それか、容疑者の知り合いだから攻められてくる。理由何でもよくて、軍隊は庶民を監視して圧政を敷く。


これはミャンマー人では誰でも知っている歴史です。しかし「歴史」という風に当時話していました。スーチーさんのお陰で、この怖い独裁政治はおしまいだと気楽に言っていました。



それで、2020年2月1日にクーデター



先週の月曜日の出来事につれてミャンマー人の大勢の人の人生はガラリと変わりました。軍隊はどんな恐ろしい目的を持っているかまだ分かりませんが、もうすでに国に酷いダメージを与えました。それは人々の「夢」と「希望」を奪ったことです。

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ミン・アウン・フライン司令官(65歳)、ミャンマー軍隊の将軍でクーデターの指導者


日本に住んでいるミャンマー人は時を失くさずデモや講義活動を行っていますが、絶望はすぐ近くに辿っています。

私も、愛してやまないミャンマーに何か力になりたいが、自分の無力が重く感じています。しかし、ブログを読んでくれた皆さんに少しミャンマーについて関心をもってくれたら有り難いです。

ニュースにミャンマーの話題でたら、チャネルを変えなくて少しでも共感を持って見てください。いまミャンマーで起きてることは国際問題・人権問題で、日本とは無関係だと言うことは間違えです。


皆さんも生活で個人的に悩みや苦労があると、Note毎日読んでいるから分かっています。しかし世界のニュースに耳を閉じないでください。ミャンマーでも、同じ人間が苦労して悩んでいます。