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「恋人未満」が決まった夜

日が沈んで夜風が心地いい。遠くで音楽が鳴っている。フジロックは夜が一番楽しい。

プラスチックカップに入ったビールの泡はもう消えていた。現地で合流した男友達Kと芝生の上に腰をおろして、遠くのステージを見ている時だった。

「俺さぁ…」
「ん?」
「…Mに告白された……ぽいんだよねぇ」
「は?」

突拍子もなく言われたので、思わずフリーズした。

「いや……直接『好きです』とか『付き合ってほしい』みたいな文言じゃないんだけど…」と言いながらiPhoneを触っている。

「こういうのが、きた」

画面に映ったのは、見慣れた女友達Mのアイコン。そして、吹き出しの中には私が知らない彼女がいた。「好きです」というような決定的な言葉はなかった。でも、明らかに好意を感じるものだった。

予測していなかった事態に思わずクラクラした。多分、その一瞬だけで3回くらいDMを読んだ。何度目を通しても、可愛らしくはがゆい想いが詰まっていた。

「はい」

自分を落ち着かせるように、Kの腰あたりに視線をやりながら静かにiPhoneを返した。なぜか顔は見れない。

額に手を当てながら、Kと彼女と3人で過ごした時間を手探りにかき集める。高田馬場のロータリーで「理系っぽい人が好きなんだよね」と私に打ち明けた日も、高円寺で飲み明かした日も、きっと彼女の目に映っていたのは彼だった。

正直、私は隣にいながらその好意に気がついていた。でも、気のせいだと思いたかった。

だって、Mはフジロックに来ていない。もともとKを彼女に紹介したのは私だったし、趣味だって……頭を回転させては嫌な気分になった。

「なんて返せばいいと思う?」

Kが聞いてくる。フェスの会場にいるのに音楽は全く聴こえてこない。浮かれた会場を見つめて「さぁ…」と返すしかなかった。

私は今どんな顔をしているのだろう? なんとなく、見られたくなかった。

しばらくの沈黙の後「次、電気だからさ、レッドマーキー入ろうよ」と言って、すべてを保留にした。考えたくなかったのだ。

耳を裂くような重低音に夜通し身を任せた。「もっと前行く? こっちの方がステージ見えるよ」。別になんの気なしに、手を引く。そういう会話しかしたくなかった。

フジロックの帰り道、暗闇の道路を車で走りながら、ずっと悶々としていた。なんで私がペースを崩されなきゃいけないのだろう?

Kとは趣味も合うし、映画もライブもよく一緒に行った。大人数で飲んでも自然と近くにいたし、空気を読まない発言をする彼の面白さを、私は知っていた。「モテそうですねって言われるのは、全然褒め言葉じゃない」という話でよく笑いあった。

多分、私と彼は似ていた。というか、相性が良かった。考えてることはわかるし、見てる方向も、好きなものも似通っている。こういう人はあまり出会わないので、末永く仲良くしていたい。その先に、恋愛という落とし所があってもいい。

のんびりした私は、そう思っていた。

でも、青天の霹靂のような出来事に、甘い考えはパリンと割れた。

Mも仲のいい友人だ。じゃあ、2人が付き合ったらいいんじゃないか? 友人の幸せを願うのは、いいことだ。必死に自分を説得した。一方で頭の中では、チクチクした感情も湧いていた。

「付き合って欲しくない」

道徳心で必死に隠そうとしていたものの、この感情は頭の底にあった。

すべてが嫌だった。考えるのも嫌だった。

東京に着くころ、KにDMを送った。

MのDMの内容は曖昧だったから
①これは告白なのか、好意があるのかを確認する
②そうじゃなかったら、適当にやり過ごす
③告白だったら、ちゃんと考える。好きだったら付き合えばいいし、そうじゃないなら断る
これでいいんじゃないですか

投げやりな提案をした。全然可愛くないと思う。あとは当人たちに任せたかった。私は介入したくない。責任もとりたくなかった。

私はKとMの間に何が起きたのか知らないことになっている。2人がどうなったのかも聞いていない。

その後、一度だけ「Kと高円寺のデニーズにいるんだけど、来ない?」とMを誘ったことがあった。でも、彼女は姿を現さなかった。

多分、私はKのことが好きだった。もしかするとMはそのことに気がついていたのかもしれない。だから私のペースを無視して、DMを送ったのだろう。

それから一年ほど経ったある日。Kの家の近所で飲んだ帰り、腕を掴まれた。彼がどんな気持ちで、力を込めたのかはわからない。

どうして今そんなことするんだ。

瞬間的にそう思った。ただ、酔っただけかもしれないし、別の意味があったのかもしれない。でも、今ではなく、あのフジロックの夜、そうして欲しかった。無論、私もレッドマーキーに誘うのではなく、いじわるな選択肢を掴みとるべきだった。そうしたら、きっと何かが違っていた。

「どうしたの」と言って、手を振りほどいた。

遠藤周作は「自分が好きだということを、明日言おう、明日言おうと思っているうちに、女の子をとり逃してしまうことを『間抜け』と言う」と書いている。

私もKも間抜けだ。どんなことも言い訳をしては先延ばしにしてしまう。心地よい関係を手放すリスクを負うのは勇気がいる。でも、そうやってダラダラしていても時が経つだけだ。「間」が違ってしまえば、朧げに見えていた未来なんて消えてしまう。

Kはしばらくして東京を離れた。


Photo credit: t.kunikuni on Visual Hunt / CC BY-SA

これはcakesで連載していた「匿名の街、東京」のアーカイブ記事です。
公開日時:2018年10月25日

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