見出し画像

手紙

誰かに手紙を書きたくなりました。
あなたはいつかのあの人かもしれないし、未来の私かもしれないけど、
きっと私は今、生身の人間ではないあなたに、話を聞いてほしいのです。

”生身の人間ではない”と書きましたが、
あなたも私も、もちろん生身の人間です。
ただ、私がこれを書く時、対話しているのは空想上のあなたであり、
あなたがこれを読む時、対峙しているのはただの紙切れであって、
私が言いたいのはつまり、そういうことなのです。

ここまで書いていて、あることを思い出しました。
いつか、私はあなたに手紙を書いたことがありましたね。
私は手紙を書くのを好む類の人間なので、
そのこと自体は特に珍しいわけでもないのですが、
私が手紙を書くのには、どうやら理由があるようです。

あなたは、どんな時に手紙を書きますか。
それとも手紙なんて、めったに書きませんか。

私はきっと、生身のあなたに対峙できない時、手紙を書くのだと思います。
物理的に対峙できない時、この紙切れは封筒に収まって、切手を貼られ、あなたの元に届きます。
そして精神的に対峙できない時、
――きっとこちらの方が私にとっては重要な意味をもつのですが――
私は空想上のあなたに、私の思いを届けるのです。

つまり、今日筆をとった私は、生身のあなたに対峙し、対話する勇気をもたない私です。
紙の上ではいくらでも素直に思いを綴ることができるのに、それを生身のあなたに伝えることは、どうしてこんなにも困難を極めるのでしょう。
勘違いしてほしくないのですが、私はあなたが”理解してくれない”と思っているわけではありません。
寧ろその逆で、”きっと理解してくれる”と信じています。
そうでなければ、こうして筆をとることもしないでしょう。

なのに、何故こんなにも、
生身のあなたに言葉を届けるのを怖いと思ってしまうのか――、
そう、これは恐怖に近い感情なのです。

私はもう、ある程度の年を生きてきたので、
”人は分かり合える”と無邪気に信じているわけではありません。
寧ろ、”分かり合えない”と知ってから、
本当の優しさをもつに足る人間になれると信じるようになりました。
あなたと生身の対話を通じて、お互いの領域を守り、あなた自身と私自身を大切にしながら、あなたと私の関係を築き上げていくことが、最も創造的で肝要で、それ自体が”生きる”ことなのだと、分かってはいるのです。
あなたの守りたい領域は? 触れてほしくない場所は?
反対に、必ず理解してほしいことは? 忘れないでいてほしいことは?
それは、時として変化を伴うものでしょう。
矛盾を孕むものも多くあるはずです。
それでも、あなたから得たその情報を、私は何より大切にし、守り、抱えながら生きていきたい――。
でも、それを生身のあなたに尋ねる勇気がないのです。

この恐怖はどこからくるものなのでしょう?
”理解してくれる”と信じきれていないのでしょうか?
そもそも私は一体何を、”理解してもらいたい”のだろう――。

もしかするとそれは、今の私にとって、この”紙面上の世界”が
他ならない私の”守りたい領域”だからなのかもしれない――。

あなたには領域や信念を提示しろと求めながら、
私は自身のそれをあなたに伝える準備ができていたでしょうか?
恐怖を感じてしまうのは、触れられたくない範囲まで
”明け渡そう”と無理に努めているからなのでは?

こうやって、自分の思考をまとめる過程をあなたに伝えられる、
手紙という手段が私はやっぱり好きなようです。
生身のあなたと対峙できない今の私が、
次に生身のあなたと対峙し、対話を試みる時、
一体どんな変化に出会えるのか――。
その楽しみが恐怖をほんの少し上回ってきたこの辺で、
今日は筆を置くこととします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?