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年越しの瞬間は時空の狭間にいました

 彼女が12月31日と1月1日の狭間に呑み込まれてから、もうすぐ8688時間になろうとしている。
 いつも世の中を斜めに見ている癖に、変なところで素直な子だった。大晦日が終わろうとしていたその瞬間も、彼女は「カウントダウンで浮かれてる連中を批判するには、まず自分がやってみないと駄目だ」と謎の理由をつけて、リビングのテーブルの上からフローリングに向かって飛び降りたのだ。
 彼女は「年越しの瞬間は地球上にいなかった」という安易なジョークを見事体現してみせたけれど、年越しから362日が経とうとする今も、まだフローリングの上に着地することができていない。
 あの時から全く変わらない表情で、丸一年をかけ、彼女は緩慢に落下を続けている。軽やかに踊る毛先や、重力を忘れて翻る衣服も、まるで空中に固定されているかのようだ。
 3日後に再び地球に降り立つ彼女の元には、大勢の人々が詰めかけていた。各国の報道陣。科学者や役人。新興宗教の信者。中継映像を見守る世界中の人々。かつて友人の私とルームシェアをしていた安アパートは、増築に増築を重ねられ、今ではちょっとした博物館のような有様になっていた。
 無理もない。この1年で、世界は想像もできない災禍に呑み込まれたのだ。 
 2月の終わりに発生した全世界同時多発飛行機事故によって、当時空にいた数万人の消息が一斉に途絶えた。5月には先進各国における行方不明者数が全人口の0.5%に達し、現在も加速度的に増え続けている。急激な人口の減少であらゆる産業が立ち行かなくなり、各国で第二次世界大戦以来となる食糧配給制度が復活し始めている。
 消えてしまった人々はどこに行ったのか。世界は今後どうなってしまうのか。
 その答えを握っているのは彼女なのだと、世界中の人々は信じて疑わない。年越しの瞬間にジャンプしてしまったせいで別の時空に迷い込んでしまった彼女が、私たち人類が知り得ない情報を掴んでいるのだろうと。とんだ希望的観測だ。
 着地した後、彼女はどう振る舞うのだろう。自分を救世主のように見つめる何十億もの視線を受け止めて、何を語るのだろう。
 まあ、ひねくれた彼女のことだ。
 きっと皆が望むような結果にはならないだろうなと、私はこっそりと苦笑する。

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