微塵の躊躇なく自分の命を差し出せると知った日
高校時代、気狂いかと思うほどに勉強をしてた。
毎朝7時から長文英語対策の校長先生の講義に参加していて、英語の本が読めることも嬉しかったけど、たまに脱線して話してくれる先生の経験談がとても好きだった。
その日は「愛」について。
家に強盗が押し入って子どもが殺されそうになったところを母親が必死で守り抜いて包丁で滅多刺しにされたという事件の話から始まった。
その事件を知って、先生はこの世に母親の愛ほど強いものはない、と感じ、一生忘れることができなくなったそうだ。
だけど、それを聞いた当時15歳の私がまず思ったのは
いやいやいや、、、
滅多刺しって…
私そんなの絶対堪えられないわ…
いくら子どもの為でもそれはマジで勘弁してほしい…
だった。
所謂HSPで、小さな頃から痛いとか怖いとかが大の苦手な私からしたら、朝からそんな恐ろしい事件の話を聞いて卒倒しそうだったし、母親の愛の素晴らしさに感動なんてものは全くできなかった。
というか、それどころじゃない。
滅多刺しとかマジで無理だから…‼︎‼︎‼︎泣
が頭の9割を占めて、残り1割は
『私が母親になったら、そんな恐ろしい思いをして自分の命を投げ捨ててまで子どもを守り抜けるんだろうか…』
という疑問というか不安だった。
少なくとも当時の私には到底出来なさそうで、自分は母親には向いてないんだな、、と静かに思った。
そのほんの数年後。
彼がお腹にいるとわかった時、ふとした瞬間に先生のあの話を思い出して、その母親の気持ちが何の迷いもなく理解できた。
あぁ…そういうことだったのか…
と、校長先生の気持ちも当時よりもずっとわかることができた。
命にかえても、この子を守りぬく。
自分が滅多刺しになろうがなんだろうがそんなことはどうでもいい。そんなことは心底どうだっていい。
この子が生きられるなら、笑っていられるのなら、何だってできる。
そうか。
と色んなことがすんなり腑に落ちた瞬間だった。
別に私が妊娠して人間的に急成長したからそう思えた訳じゃない。
ただ、望むことはいつだってシンプルなだけだと思う。
校長先生はとても真似できないと言っていたけど、世の母親からしたら何も難しいことじゃない。
ただ、自然に、そう思ってしまうだけ。
それほどに愛しい、愛しい、尊い存在。
毎日のあまりの忙しさに、ついつい本当に大切なものを見失いそうになる。
本当はいつだって目の前にある。
本当はいつだって人生最大の願いは叶え続けてもらっている。
そのことを改めて胸に刻もうと思う今日このごろ🌻
ついにきました、夏休み。
今年もたくさん、一緒に遊ぼう😍✨
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