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【自己分析】なぜ自己開示をするのか

noteを始めて1週間。
ありがたいことにこの1週間で多くの方と繋がることができました。たくさんの投稿の中から見つけてくださってありがとうございます。

感謝

山門文治さんの「予告:あなたのnote 記事のビューとフォロ一増えます」にピックアップしていただきました。また、たよろよろ図書館DATABASEさんの「画像や文節やタイトルに惹かれる記事さんやnoterさんや公式ページさん 059」にも掲載していただきました。こちらに掲載していただいからこそ、多くの方と繋がることができました。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

あくまで自分の趣味の延長で、誰かに“いいね”してもらうために始めた活動ではありませんが、こうして外に出すことによって共感や評価をいただけたことは素直に嬉しいです。自分は何が得意で、どういった特性があるのか、そういった自己っていうものはどうしても他者比較でしか分かり得なくて。だからこうして自分がずっと内で抱えてきた“好き”を、今回外に出して他者評価にかけてみたのは良かったなと思います。

自己理解の必要性とは?

そんな他者比較でしか分かり得ない(と思っている)自己を理解することは、自分が楽に生きていくために必要なことだと思っています。自分の得意や特性を理解した上で、それに合う仕事やライフスタイルを選択していく、それが楽に生きることに繋がって、自分にとってはそれが“幸せ”であると思っています。

例えば私が好きなMrs. GREEN APPLEの大森元貴さん。彼は耳が良くて、ズバ抜けた音楽センスを持っている。自分の得意を仕事にして、それで今みなさんもご存知の通りチャートを総なめにして、お金もがっぽり稼いで、同じ熱を共有できる仲間に囲まれて生きてる。彼にとってそれが幸せなのかは分かりませんが、自分から見てそれは非常に賢い生き方だなと思います。大森さんがもし仮に普通に会社員をやられていたら、今ほどの収入も地位も無かったかもしれません。

人間にはどうしても得意不得意が存在して、自分が不得意な分野で一生懸命頑張ったとしても、たどり着ける領域には限りがある。社会で成功されている方の多くは、自分の特性や長所を理解して、その上で職業を選択して、効率の良い努力をされた方なのかなと思います。自分が不得意な畑で頑張り続けても、その頑張り自体は尊いものでも、最終的に辿り着けるゴールは、得意を磨いた時の方が必ず高いはずです。自分は自分の得意を磨いて効率良く成長していきたい。努力の方向性を間違えてしまうことが怖い。自分が掲げる幸せのために、自分の得意や関心がある道を見つける必要性があると考えています。

なぜ自己開示をするのか

その自分の得意や関心を知るために必要なのが、自己開示だと思います。前述しましたが、自己というものは他者比較でしか分かり得ません。

例えば、私は英語を話すことができます。自分で「自分は英語が話せる」という事実を理解することはできますが、英語が得意なのか、それが自分の強みなのかは社会(他人)の基準がないと分かり得ません。私の場合は、自分の英語能力を検定試験にぶつけて、高校生の時に英検準一級という結果を得ました。準一級は国際基準であるCEFRに換算したらB2レベルで、準上級者であることが分かります。また、大学中級レベルとされる準一級を高校生で取得した点を考えると、高校生というフィールドの中では「英語が得意だ」と主張しても問題ないレベルであることが分かり得ます。こういう外との比較を通して、やっと私は「英語が話せる」から「英語が得意だ」に持っていくことができ、自分の特技・強みとして英語の語学力を挙げることができます。

文を書くことも同じです。私はこうして自分の考えや感じたことを文章でダラダラ書くことに辛さを感じません。でも中には、こうやって文章に起こすこと、グルグルと思考することがめんどくさいと感じる人もいると思います。自分と反対の人がいることを知って初めて、それが自分の特性になります。私は考えることや文章をダラダラと書くことが好きですが、そうではない人と出会うまで、それは食事や排泄をするのと同じように、ごく自然な人間の習慣だと思っていました。でも、自分が当たり前にやっていることを外に出してみて初めて、それが自分の“好き”であることに気がつくことができました。自分が当たり前にやっていることも、もしかしたらそれは当たり前ではなく、自分だけの“好き”や特性かもしれません。

もっともっと簡単な例を出すと身長ですね。私は168cmですが、自分1人では168cmという事実しか分かり得ません。でも周りと比べてみると日本人女性の中では高い方だったり、韓国に行ってみたら平均層ぐらいだったりという「高い」「低い」といった評価を得ることができます。168cmという事実だけでは特性にはなりません。他者比較を通じた評価がついて初めてそれは特性になるのだと思います。


自己開示をしていきたい!

自己紹介noteにも書きましたが、これまでも自分は何が好きで何が嫌いなのか、そういったことを言語化することにこだわってきました。そして今度はこのnoteを通じて、そういう自分が仮定した自己を外に出して他者評価にかける、それを通じて自己というものを理解していきたい。理解して自分が楽に生きていきたい、そう考えています。自己開示は、自分にとっては恥ずかしい行為でもあり、そこに抵抗がないかと言われたら嘘になります。それに自己を否定される可能性があることも怖いです。でもだからといって内にずっと抱えていても、自己を理解することはできないと思います。内に抱えすぎて宝の持ち腐れになってしまうことも怖い。就活をする中で自己分析というものを強いられる大学3年生の今だからこそ、そういう恥や恐怖を少し捨てて、自己開示をしていきたいと思っています。

もちろん当たり前に、自分の中にある事実、自分が考える自己を外に頼らずに自分自身で抱きしめてあげることも同様に大事だと思います。こっちに関しては韓国留学の話と絡めてまた今度。

おわりに

こうして言語化してみると全てが当たり前のことですね。でもだからこそ大切にしていきたいことでもあります。改めて数多くのnoteの中から見つけてくださって、また繋がってくださってありがとうございます。コメントも気軽にください!ぜひ意見交換したいです。これからもどうぞよろしくお願いします〜!!!


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