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Ambivalence~私の先生続編~

元々創作の数が多いわけではありませんでしたが、2011年日本大震災の後、こんな小説を書いててよいのか悩みました。というより書けなくなったというのが事実です。でも純粋な創作として続けたい気持ちもあった。そんな複雑な気持ちを主人公に重ねて書いた作品です。あれから10年相変わらず悩みは尽きませんが、自分の書いた先生に癒されました。

2012年9月24日 (月)
ambivalence-1

2011年3月

私は大学への入学が決まり、
さらに念願の一人暮らしを許して
もらえたので、毎日ワクワクしていた。

すべての入試が終わった後、
充分な手応えを得ていた私は
先生と一緒に日帰り旅行に行き、
人気のない神社で石段から飛び降りて、
前と同じ左足を捻挫 した。

まだ怖かったので、
あんまり高い段からは飛べず、
1週間ほど松葉杖を使ったくらいの
捻挫だったけど、

お医者さんから
「靱帯が少し伸びてるから、
足首 が不安定になりがちで、
捻挫を繰り返す可能性があるので
気をつけてくだい」と言われ、
内心「やったー」と思っていた。

卒業式を迎えるころには足は治り、
物足りないような寂しいような
気持ちはあったものの、
引越や入学などの準備でバタバタしてたし
先生も忙しそうで
なかなか会えなかったので、
自然と衝動は抑えられた。

すべては一人暮らしを始めて
落ち着いてから....


そう思っていた3月のあの日

世界は変わってしまった


先生は仕事を辞めてボランティアに行き
消息不明になってしまった。


自分はなにもできなかった。

先生の
「ちょっと行ってくる。さよなら」
という短いメッセージを何度も読み返し
よくわからないけど、
先生を追いかけなきゃ!
と家を飛び出した時に
交通事故にあってしまったのだ。

左肘を骨折して手術、
1週間の入院。

あんなに包帯やギプスに
憧れていたのに、病院着を着た
たくさんの入院患者さんたちを
見ても何も感じなかった。

むしろ、実際の怪我は生々しく、
辛いものだとしか思えなかった。

退院した私は自宅に籠っていた。

左手はほとんどギプスに覆われて
不自由ではあるけれど、
身体は元気でご飯も食べられる。

ただなんの役にも立たない
宙ぶらりんの状態。

テレビやネットで映像や情報を漁り、
避難所名簿の入力や支援情報交換の
お手伝いをしたりしてみたものの、
遠く離れたところから
傍観しているような現実離れした
感覚しかなく、

被災地を思っているよりも、
そこにいる先生を思っている
気持ちの方が強かったのかもしれない。

罪悪感と無力感は感じるものの、
私には、行ったことのない、
知っている人のいない土地を
リアルに思うことはどうしても
できなかった。

あのどこかに先生がいる、
ということだけが、
被災地と私を繋ぐ
小さな小さな点だったのだと思う。

入学式はまだギプスのままだった。
初めて会う人達の好奇の目がいやだった。

理由を聞かれるのも答えるのも
面倒くさい。

なぜ、わざと怪我なんかして
 見せびらかそうとしたのか、
ちょっと前の自分の気持ちが
理解できなかった。

一人暮らしは
怪我のため棚上げされてしまったが、
門限があるってことにして
誘いを早々に切り上げるのにも都合がよく、
すっかり他人との交際が苦手になって
しまった自分にとっては楽だった。

高校の友人たちとも疎遠になってしまい、
私の日常はリアルではない土地への、
ネット空間を通しての
リアルじゃない一方通行が
主となっていた。
 
大学に入ってすぐギプスは外れたが、
しばらくはシーネで固定して
三角巾で腕を吊っておかなければ
ならなかった。

肘は痛みもあり、ガチガチに固まり、
肩から手首までの筋肉が落ちて
不自然な細さになっていた。

リハビリに通わなければ、
と言われていたが、
私は1回だけで通うのをやめてしまった。

人目につくのが 嫌で、
シーネも三角巾も1週間くらいで
外してしまい、動かない左腕を右手で
抱えるようにして過ごした。

無理矢理使っているのが
リハビリになったのか、
1月ほどで知らない人には
気付かれないほどに治ってしまった。

ただ、腕に体重をかけたり、
急に肘を動かしたりすると、
キーンと痛みが走り、
一瞬呼吸が止まり視 界が
白くなるようなことがしばらく続いた。

その感覚は、
なにかを思い出させるような、
甘いような、
切ないような苦しいようなものだったが、
私は意識の下にそれを 押し込めて過ごした。

現金なもので、
腕が治るとともに大学にも慣れ、
秋には彼氏もでき、
普通の明るく楽しい学生生活を
送っている自分がいた。

先生からの連絡は途絶えたままだった。

被災地に行くこともできなかった。

被災地に行けば
先生を真っ先に探してしまう。

それだけは、いくら馬鹿な私でも
失礼で身勝手な行動だとわかっていたから。

冬の、底冷えのする寒い日には、
骨折した左肘が痛んだ。

骨の奥の奥から疼くような重い痛み。


ある日、
彼氏とカフェで話している時に

「どうした?」と聞かれ、
ふっと我に返った。

その時私は、肘をテーブルに付き
ゆっくりと体重をかけながら、
その痛みにとろけるように夢
中になっていた。

そのことに自分で気付き、
顔がカッと赤くなった。

なにしてるんだろう私?


2012年9月26日 (水)

ambivalence-2

カフェを出てからもなんだか
フワフワしてて、彼の話に集中できない。

曲がり角を真っ直ぐ行こうとして
「こっちだよ」
と腕を引かれた私は足をもつれさせ
彼に倒れかかるように転んでしまった。

「ごめん!大丈夫?」

「う...ん」

返事はしたものの、私は動けなかった。

身体の下敷きになった左足首が、痛い。

脇を支えてもらってなんとか立ち上がり
彼にすがりつくようにして歩いてみた。

鋭い痛みが踝に走った。

「い...いっっつ」

涙目になりながら
(ああ...いつもは先生が
すぐに手当してくれて、
松葉杖を使わせてくれたんだった...)

思い出し、先生の姿がまぶたに浮かんで

訳もわからず私は泣いた。

泣き崩れてしまった私に、
彼は慌ててしまい、
危うく救急車呼びそうになったくらい。

大袈裟に泣いてしまったのが
恥ずかしくなったほど左足首は酷くはなく、
数日松葉杖を使っただけで、
足に体重をかけすぎなければ
歩けるようになった。

ただし、前とは違う箇所の
靱帯が伸びてしまったらしく、
なんとなく不安定さは
増したかもしれない。

私にとって、
久々の足の痛みは特別なもので、
四六時中神経が
足首に集中しているような感覚。

ふと気が付くと

包帯の足首を見つめていたり
包帯を手でさすったりしていて、
怪我させたと気にしている彼を
心配させてしまったりした。

大学の友人や家族も、
入学当時から怪我ばかりしている
私を気遣ってくれる。

こんなたいしたことのない怪我で
人に心配や迷惑をかけてはいけない。
本当に大変な方々は
世の中にたくさんいるのに...。

ある夜、足首の包帯を見つめながら
私は思った。

先生と同じ左足に巻かれた包帯。

先生があの日足を捻った後、
優しく巻いてくれたことを思い出す。

見つめていると
なにもかも忘れて
あっというまに時間が経ってしまう。

いけないいけない。頭

をブンブンと振り払い、
パソコンに向う。

ネットで知り合った
被災地の高校生の子からのメールに
返信を送る。

最近日常の何気ないことを
書いてくれるようになったのが嬉しい。

もうすぐまた3月。

彼女にはいつか会いにいく
約束をしているけど、
自分が行って何ができるのか、
本当に行ってもいいのかまだわからない。

それにしても、
先生はどうしているんだろう。
当時まだ松葉杖を使っている
状態だったけど、
足はどうなったんだろう。

先生なら松葉杖のままでも
キビキビと現場しきってそう。

ジャンヌダルクのような先生を
想像してふふっと笑った後、
ドキッとした。

また無意識に
足首の包帯を触ってしまっていた...。

だめだ。
包帯するのやめよう。
もうそんなに痛くないし。

包帯は、
何もできないことへの免罪符。

そして先生との楽しく甘い生活への
執着心の象徴だ。

先生はもう違うステージに行って
しまっているのに、
私はまだ一年前と何も変わっていない...。

足首と先生のことを考えないようにして
無理矢理眠りについたけど、

夢には真白いリボンのような包帯と
ハイヒール姿の先生が出てきて、
目覚めた時私は泣いていた。

次の日から、
私は足のことを意識しないように
過ごそうとした。

でも、靱帯のゆるんでいる足首は
時々鋭い痛みを伴って
私の意思を裏切ってくれる。

春から夏にかけても
何度も痛めてしまい、

腫れ物にでも触るように
私に接するようになった彼と
一緒にいるのも辛くて、

フェイドアウトするように
別れてしまった。

夏の間、私はまた引きこもって
暮らすようになっていた。

左足は、痛めても手当もせず
放置しておいたため、
常に痛みがあり、
ぎこちない歩き方しかできない。

階段や段差は怖くて
おそるおそる体重をかけて
1歩づつ進む。

降り切ってホッとした後
なんでもないところで踏み出した足が
グギッとなったりすることもあり、
イライラして手に持っていた物を
地面に投げつけたり、
大声で泣きわめきたくなる衝動に
何度も駆られた。

引きこもって観ているネットや
テレビには、明るく前向きに
生きようとする被災地の方々、
オリンピックやパラリンピックで
自分の可能性にチャレンジしている
選手たちが映る。

感動しながら自分の情けなさに
さらに落ち込む。

そして、

思わず競技中の怪我のシーンや
体操選手などのテーピングに
心奪われている自分に気付き...

自分で自分が怖くなる。


2012年9月27日 (木)

ambivalence-3

今年の夏はひたすら暑かった。

運動どころかあまり歩いても
いないため体力も落ち、
食欲もなく半病人のように
なってしまった。

外に出れば 照りつける
太陽に目眩がして倒れそうになり、

冷房の効いたところでは
足が芯から冷えてズキズキと疼く。

自分はもうダメになってしまったんだ。

もう何もできないんだ....。

ある夜、
眠れないままベッドで
ぐったりしていた時、
机の上でメール着信音が鳴った。

だるくて動きたくなかったけど、
あの高校生からかもしれない、
と重たい身体を起こし
立ち上がろうとした時、
立ちくらみがして
足から崩れ落ちてしまった。

ブチッと音がして
左足首を突き抜けるような痛みが襲い、
私は足を抱えて文字通り転げ回った。

足が燃える!と思った。

気が狂いそうな痛みの中でも、
不思議に頭の中は冷えていて、
家族に気付かれないように
歯を食いしばって
声を押し殺していた。

野生動物の唸りのような
グウウウウウウグウウウウウという声と
ハアアッハアッッッという荒い息が聞こえる。

自分がそれを発してるのに
最初気付かなかった。

上から自分を見下ろし
観察しているような感覚.......
一瞬気を失っていたのかもしれない。

床を這うようにして、
激痛が襲い続ける足を引きずり、
何度も痛みで踞り動けなくなりながら
クローゼットに辿り着き、

中にあった白い箱を
引っ掴み床に中身をぶちまける。

封印していた湿布と
包帯を手当たり次第に使い、
全身を震わせ
泣きじゃくりながら左足首に
包帯を巻いた。

巻いても

巻いても

痛みとフラストレーションは

抑えられず、

むしろ腫れていく足首とともに

増大していく。

涙が次々と溢れて、

包帯の上に落ちていく。

痛....い

足が痛い!

先生助けて!

先生に会いたい

先生が憎い

私を狂わせておいて、
さっさと違う世界に行ってしまった
先生が憎かった

先生に包帯を巻いてほしかった

一緒に松葉杖で歩きたかった

先生にもっといろいろ
教えてほしかった

先生に憧れていた

先生のように
強くて綺麗な女の人になるには
どうしたらいいの?

こんな自分はいや

強くなりたい

自分が何をしたいのか
全然わからない

自分がいやでいやで
消えてしまいたい

どうして連絡もくれないの?

どうして放ったらかしに
してるの?

一緒にずっと楽しもうって
言ったくせに嘘つき!

私なんかどうでもいいの?

こんなに頭も身体もおかしく
なってしまった自分が憎い

私がおかしくなったのは
先生のせい

なのに、
私を放ったらかしにしている
先生は酷い!

憎い

会いたい

戻りたい

出会った頃に、
世界が変わってしまう前に、戻りたい

先生助けて!

助けて!

...このままじゃ壊れてしまうよ
.......助けて

ああ....痛い

足が

痛い

胸が

痛い


2012年9月28日 (金)

ambivalence-4

痛みに耐えている方が楽だった。

もっともっと痛みで身体も心も
一杯になれば...何も思い出さず、
何も考えずに済む。

朝まで時折気が遠くなりながら、
ずっと横になって
身体を丸め痛みを堪えていた。

少しだけ夢を見た。

真っ白な包帯が繭のように
私を包み、暖かい空気で
ふわあっと宙に浮いている気がした。

ああ...気持ちいい...死ぬのかもしれない

身体中の力が抜けたような感覚の後

もの凄い衝撃が左足を襲い、
私は初めて絶叫した 

私の悲鳴に慌てた
母親が走り込んできた。

母の問いかけに
満足に答えることもできず、
ついに救急車で搬送されてしまった。

足首は靱帯が1箇所完全に断裂
他も数本部分断裂していた。

力の抜けた状態で思いっきり
捩じれたらしく、
足の甲とふくらはぎの細い骨に
亀裂骨折。
膝も少し捻ってしまっていた。

膝を少し曲げた状態で太ももの中間から
つま先までシーネ固定され、
全治2か月の重症。

医師の説明を、
私は他人事のように聞いていた。

もう、どうでもいい。


あの時のメールを読んだのは次の日の夜


先生からの残暑見舞い

ご無沙汰しててごめんね
残暑とか大変だけど
変わりなくやってる?
1週間後会いましょう(o ̄∇ ̄)/


行くもんか
今更先生になんて会いたくない

それにこんな状態じゃ外出も無理だし


でもやっぱり私は我慢できなかった。

会いたいからじゃない。

先生をきちんと問いつめなくちゃ
気が済まないから行くんだ、
と自分に言い訳する。

母親が留守の間に抜け出した。


まだ残暑は厳しく、
包帯でグルグル巻きの足は
痛くて暑くて重くて気持ち悪い。

巻き直すこともできないから、
消炎スプレーをありったけ
包帯の上からかけた。

むせ返るほどのメントールの臭い。

動くだけで
痛みに気が遠くなりそうだったので、
気付け薬代わりにちょうどいい。

腫れとシーネと包帯で
丸太のように太くなっている左足では
スカートしか履けなかったが、
マキシは暑いし歩きづらい。

開き直って膝丈のスカートで
行くことにした。

さすがに歩いては行けないから
途中までタクシーを使う。

運転手さんに気を使わせないよう、
そんなに痛くない、
という振りをするだけで
疲れ切ってしまった。

力を振り絞ってタクシーを降り、
呼吸を整える。

痛み止めの効果はとっくに切れてて、
波打つような痛みが押し寄せてくる。

松葉杖を1本づつ前に出してから
身体を引きずり上げるように前に進む。

ほんの少しずつしか進めず、
何度も何度も痛みで動けなくなる。

体重をかけている左肘が
だんだん痛み始める。

汗と脂汗と涙で顔がグチャグチャになり
ダラダラと雫が垂れる。

懐かしいマンションで
私を出迎えた先生は、
左足全体にメタルのような装具をはめて、
相変わらずタイトな
ミニスカートを履いていた。 

嬉しそうに笑いかける先生から目をそらし、
中に入って、という先生の言葉を
首を振って拒否し、聞く。

「どうして...今頃戻って来たの?」

「いや、さすがに貯金も底をついたから
働かなくちゃって( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ」

「そ...う...」

私のことは関係ないんだ。

私がどうしてるかなんて
気にしてなかったんだ。

唇を噛み締め、涙をこらえる。

左足全体がズキズキズキズキ痛み
身体が震え、
立っているのがやっとだった。

「ところで、その足いいじゃない?
痛々しくって。
左足全体ってとこが私とお揃いねっ♡」 

「なっ...!」

何を言ってるの?楽しそうに。

私はこんなに辛かったのに!

思わず先生に掴みかかり、
その衝撃で左足にまた激痛が走った。

「いっっっっっっ!!!!!!!!」

先生にしがみついたまま動けない。

痛くて悲しくて悔しくて
涙がボロボロボロボロ出てくる。

「言ったじゃない?
あなたには才能があるって」

しばらくして、ため息をついた後、
先生が言った。

「・・・・?」

「才能を伸ばしなさい。
だれでも出来ることは限られてるし、
人の代わりはできない。
みんな違う人間なんだし。

他人の痛みや苦しみなんて
本当はわかりやしない。

誰かが誰かを救えるなんて
奇跡のようなもの。

傍にいること。思うこと。
それだけでもいいのよ。

もうあなたも世界も変わってしまった。

戻ることはできない。

あなたにはあなたにしか
できないことがあるんだから」

「でも...」

言いかけながら、思った。

なぜ先生は私が悩んでたことを
知ってるんだろう?

「ん?なあに?」

「さ、才能って、なんですか?
なんの役にも立たない才能なんか...!」

「ふふっ。目覚めちゃったんだから
しょうがないじゃない?
風が吹けば桶屋が儲かるって、ね。

なにがどう影響するかなんて
わかんないわよ。

とにかくね、自分を愛せなかったら
他人を愛するなんて
できないんじゃない?

ありのままの自分でいいの。

なにしたいかわからなかったら、
とにかくなんでもやってみればいい。

今はなんの役に立たなくても、
いつか...たぶん、
なにかできるわよ。」

一気に喋った後、
先生は一息ついて私を抱きかかえ、
ソファに横たえさせてくれた。

装具の左足を痛そうにさする。

「先生...その足...」

「ああ...あっちでも
いろいろ痛めちゃって。
もう完全に治ることはないみたい」

あっけらかんと言う。

「でもね、この足、かっこいい!
って大人気だったのよ。
こういうの大好きな人って
意外と多いのよね。

だからあなたは異常なんかじゃない。
ま、多少異常だとしても
犯罪犯してる訳でもないし、

あなたの今日の姿を見て、
ラッキー!
よっしゃああ今日もがんばるぞ!
と思った人が気合い入れて働いて
経済を発展させるかもしれないじゃない?

...まあ、あの、放っといたことはゴメン。
あたしってほら、
前しか見えない人間だから」

相変わらず強引、
だけどすごい説得力。
脱力しちゃうほどポジティブで楽天的

ああ、やっぱり先生だ

安堵と開放感と
思い出したように襲って来た
凄まじい足の痛みで気を失う


気が付いたら家のベッドにいた


先生と会った日、残暑が終わった


あの暑さが嘘のように
爽やかな空気になり、
気持ちもすっきり晴れてしまった


喉元過ぎれば、
とは言えないほど
猛暑も私の鬱期も長かったけど


私はこの身体と心で生きていこう


両性具有のような

罪悪感と陶酔感を抱えながら

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