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ワーホリ総括:「Sorry」に「It's OK」と返せた感動

こんにちは。
オーストラリアでのワーホリを終え、日本に帰ってきました(1か月前に)

いろいろとnoteに書きたかったこともあったのですが、忙しさや楽しさにかまけて書かず、完成しない下書きばかりが溜まっています。
そのうち思い出しながら更新していこうと思いますが、いまの気持ちを忘れないように振り返り&反省をしたいと思います。

やりたいことはできたか?

私がワーキングホリデーに行く目的は、以下の記事に書いています。
まずはそれが達成されたか、から振り返りにお付き合いください。

①海外に住んでみたい

海外に住んでみたい、はもちろん達成できました。
”海外に住んだ”という事実は、たった半年間でしたが私の中で大きな意味になりました。

子供の頃、憧れたことのある海外生活。
忙しくて一生叶うことはないんじゃないか、
歳をとってからきっと行けなかったと後悔するだろな、
そんな思いがありました。

もう一生そんなことを考えなくていいんだ、と思うと心が躍りますし、清々しました。
すがすがしい気持ちでいっぱい、憧れたことある人はワーホリor留学で、自分の心を満たしてあげるべき。

これでようやく次の目標に向けて、前を向いて歩いていけそうです。本当にワーホリ行って良かった。

②海外の文化を知る

バイロンベイのカフェ

学校やご飯会、バーベキューなどで様々な国の人たちと交流できました。
コーヒーが好きなので、いろんなカフェに足を運びました。

オーストラリアには、外で酒を飲んではいけない、という法律があって「いろんな国があるんだな」と最初は驚きました。

南米系の人たちは、どこでも音楽をかけたがるし、賑やかだし、すぐに酒を飲もうといいだすし、なんだかほっこりしました。

日本なら「サービスのレベルが低い」「接客がなってない」なんてよく聞きますが、オーストラリアでは笑ってしまうレベルでみんな”ちゃんと”働いていません。

  • 店の閉店時間=スタッフの退勤時間だし

  • オーストラリアにチップ文化はないので基本的に過度なサービスをしません

  • 店に入っても「いらっしゃいませ」なし、席への案内なしも多いし

  • 出勤したらとりあえずCafeに行ってコーヒーTakeoutするし

そんな生活スタイルがとことん愛しいと思えました。愛せそうだった。
時給なのだからその時間に給料分働けばいいのよって。
日本人なら親切丁寧!過度なサービス!そんな風に思えていたけど、金額に見合った働きで、仲間と楽しく働ければそれでいいんだなって。価値観をたくさんぶっ壊してもらえました。

生きるために仕事をしているって、すごく魅せてくれました。
仕事が生きるための目標になっている人は本当に少ないと思います。(日本って、生きる=仕事になりがちじゃない?どうかな)

③なんでもいいので仕事する

行く前は「ホテルの清掃、工場の生産ライン、日本食レストラン」で働いてみたい、と書いていた私。
結局やった仕事は、ハウスクリーニングでした。3カ月?

シェアハウスの清掃をちょこちょこやりました。ほんとうにちょこちょこ。月に200豪ドルくらい(笑)
笑ってしまうくらい現地の仕事してない(笑)

と、いうのも夏くらいに11月に日本に戻ることが確定したので英語の勉強や現地での生活メインで過ごして、仕事はフリーランスの方だけで補おうとシフトチェンジしたからです。

ワーホリ中の収支については今後まとめようと思っていますが、
私はワーホリ資金として200万用意していたので、半年だと意外と余裕なことに気づいたんですよね。

でもレジメ配りはやりました!英語で話しかける練習になったし、レジメも海外文化ではあるので、学びになりました。仕事は取れなかったけどね!

④誰かと一緒に住む、ホテル以外で

みんなで作ったカップケーキ

私は2023年5月から10月までの約半年をゴールドコーストで過ごしました。
内訳はこんな感じです。

  • ホテル:2週間

  • 外国人3人とシェアハウス:1ヶ月

  • ゲストハウス:2週間

  • 日本人シェアハウス①:1ヶ月(住み込み清掃)

  • 日本人シェアハウス②:3カ月(住み込み清掃)

意図したわけではありませんが、かなり引っ越しの多い生活だったかなと思います。この中で1番勉強になったのはゲストハウスですね。90%外国人の環境だったので英語のモチベーションが上がりました。詳しくは以下日記。

⑤英語を勉強する

私が学校に通ったのは17週。
正直にいうと17週では思っていたより英語は伸びませんでした

耳が慣れて、いちいち頭の中で翻訳しなくてもなんとなく言っている意味が分かるまで3カ月かかりました。
そこからスピキングとかが伸びていくんだろうなという気がして、流暢に話せるとかは程遠いです。

「なのでどのくらい話せるの?」と聞かれたら
「オーストラリアで生まれた子供の小学3,4年生レベル?」でしょうか。
(日本に置き換えてもらったらわかりやすいかと)
単語や短文は口に出るけど、詳細を説明したりとかは難しいです。

初めは、英語で話すとき

  • 過去形になっていない

  • SとVの順序がおかしい

  • なぜかBe動詞と動詞が混在した文章になる

  • 過去分詞に変換するの忘れる

とかいろいろ事件でした。文章がめちゃめちゃで、スピキングが全然伸びなくて、泣いたこともありました。
頭の中で一回文章を組み立てて話すってことがスピーディすぎてできなくて、こんがらがるんですよね・・・それが初め。

それでも6か月経ったら、文章が文章として話せるようになったり、使いこなせてなかった受動態とかCouldとかIfとかが、口から出るようになってきてそれなりに成長は感じました。

一番感動したのは外国人の方とすれ違ったときに
「Sorry」と言われて
「It's OK」と自分が答えていたときです。(そこなん
それまではずっと「Sorry」が口に出ていました。
日本人ってすぐ「すいません」って言ったりしません?なので私は自分の頭が少しずつ英語脳になってきてるんだなと感動しました。

度胸はついたか?

学校のクラスメートと。

「度胸はついたか?」
この質問には迷いなく
「Yes!」
と答えられます。
度胸というか、人によく見せようとか、失敗したら恥ずかしいな、という気持ちがかなり消えました。

英語が話せないから話しかけない…なんて過去の自分は随分もったいないことをしていたんだなと思いました。
下手な英語でも通じます!
だってみんな聞こうとしてくれるんだもの!

だから大事なのは「相手に伝えようという意思、気持ち」だったのだと気がつきました。
語学学校でエレメンタリーという下のクラスから始まった私。
そのクラスで、担当になった先生が「とにかくなんでもいいから言ってみな」と言葉が出ない私の言葉を待ってくれました。

そういう気づきが得られたから、高いお金を出してでも私は語学学校に行って良かったです。

敷かれたレールを歩かなくていい

ゴールドコーストで何度も行ったSandbar

ワーホリで知り合った人は、いろんな考え、様々な境遇を抱えてオーストラリアに来ていました。
最後に学校で仲良くなった日本人の女の子の話をしようと思います。

彼女は高校卒業後、仕事に就きその会社で6,7年働いて、オーストラリアに来ました。
地元で就職したため、ほとんど地元から出ず、初めての海外でワーホリに来たそうです。
その彼女が私に言いました。

「ワーホリに来て、敷かれたレールを歩かなくていいんだって気づいたよ」

彼女の過去は詳しく知りませんが、私の心にその言葉は温かく響きました。
人から聞かされる話では、頭で理解できても本当の意味では腹落ちしません。彼女はオーストラリアで生活をする中で、視野が広くなりそういう言葉を口にしたのだと思いました。

そうやって世界を広く見れる人が増えること、
自分の鎖を自分で切っていいんだって気づける経験ができること、
私はその場面に立ち会えてとても嬉しく思いました。

私は常日頃考えていることがあります。
大なり小なり、自分が生きやすいようにはみんなできるはずってこと。
ただ「そうしていいのか?」って世間体やプライドやなにやらでできない人は多いですよね。

もっとこの世界で生きやすい人が増えたらいいな、と思います。

ワーホリ中に出会った日本人のみんなは、なにかを追いかけたり、探そうとしている眩しい人ばかりだった。
私は美しく生きている人を推したい、これからそういうふうに生きていけたらって想いをワーホリ生活でますます強くしました。

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