教育に「怒る」は必要なのか?③

皆さんこんばんは、ななまるです!

前回、前々回と「怒る」「叱る」のそれぞれの意味、そしてその一歩先の「諭す」という方針について話していきました。
今回は、なぜ私が「諭す」という方針で指導をしているのかについて話していきたいと思います。


1,「怒る」「叱る」は外的動機付けの要因

私が諭すを推奨する理由の一つには、怒る、叱るのデメリットが挙げられます。
前の記事でもちらっと勉強の悪いイメージが増長されてしまう、という旨を書いたのですが、それを理解するにはまず物事を行う際の仕組みを理解しなければなりません。

何事においても物事を行うための動機、というものが存在します。
心理学では動機というものは内的動機と外的動機の二種類に分類されているのです。

内的動機…自分の意志で、自分の知的探求心や欲求を満たすために行うこと
外的動機…目的や報酬、罰則に対しての感情から行うこと

になるのですが、「怒る」「叱る」ことは受ける側からすれば嫌なことになります。そこから逃れるために物事を行う、というのは外的動機に分類されていきます。

また、ご褒美やプレゼントといったものもまた外的動機になるかと思います。
外的動機の特徴として、即効性が高く、報酬や罰則に慣れてくると持続性が弱まってくる、という特徴があります。
「怒る」「叱る」で言えば、一回目こそ叱られて反省するものの、二回目三回目とその刺激に慣れてくると以降反省を見せなくなる、というところでしょうか。ご褒美で言えばどんどんご褒美のレベルを上げていかなければやる気を出してくれない、という状況に陥ってしまうのです。

2,自己決定感の阻害にもなり得る

また、人には駄目だと言われることほどやりたくなる、という心理学でいうところのカリギュラ効果と呼ばれるものが存在しますが、「怒る」「叱る」ことで、これの逆の状態が起こりえるのです。
心理的に言えば「自己決定感の阻害」というのですが、言われたら言われるだけやりたくなくなるのです。

「今やろうと思ってたのに!」
「これからやるところだったの!」

というセリフはだいたいこの「自己決定感の阻害」によって発されているかと思います。

小学校低学年ならともかく、中学生高校生になって親に勉強をしろ、課題をしろと注意され叱られるのは自分で物事を決めることにおいて不満が生まれてしまうでしょう。
これもまた注意された物事をしたくなくなる原因の一つです。

3,コントロールができなければ害にしかならない

それ以外にも家庭教師の関わり方によっては生徒にとって悪いものになりかねないことがあげられます。

家庭教師はほぼマンツーマンの指導です。
基本的には生徒と私だけで授業を進めていくのですが、稀に、生徒さんがちゃんと授業を受けられるか不安になった親御さんが一緒に授業を受ける家庭もあります。ですが、大体私の場合その後数回で安心していただけるようで授業に同席することはなくなります。

要は生徒と先生が基本的に二人きりの状態で、言い方は悪くなりますが放置されるという状態になります。
その状況で、もし仮に家庭教師が生徒に対して「叱り方」「怒り方」を間違えていた場合、生徒にとっては害にしかならなくなります。

生徒と先生の間にできた信頼は、結びつきが強ければ強いほど影響も大きくなります。それは生徒だけでなく、先生側としても同じことです。次第に自分が指導する生徒がより成長するために力を入れるようになるでしょう。
ですがその力の入れ方を誤ると「怒る」「叱る」のコントロールが感情に支配されて難しくなると考えています。
先生側は過剰な期待を生徒にぶつけ、それに生徒は押しつぶされかねません。耐えられたとして、期待に応えられなければ先生側は落胆を抱えることになり、ストレスになることが多いのではないでしょうか。

適切な負荷をかけられなくなると、お互いにデメリットしかないのです。

そうして過度な負荷をかけ続けられた先に待っているのは勉強に対する忌避感です。最悪の場合トラウマになるかもしれません。

4,生徒との心の距離感を保って「諭す」

では、なぜ私が「怒る」「叱る」をせず「諭す」をできているかというと
それはひとえに「生徒と一線を引いているから」です。
私が強く興味を持っているのは生徒の成長であり、生徒自身ではありません。悪く言ってしまえば他者への興味関心が薄い、という感じでしょうか。
だからこそ生徒が何度問題を間違えようと、宿題を忘れようとイライラとすることはありません。その子自身の行動には興味がないからです。

もっとも、普通の人はそこまでドライに考えることは難しいと思います。他者に興味を持たないことはデメリットも多いはずです。
だから生徒との心の距離を一定の距離感で保つ、ということを心に留めて指導をしていくといいと思うのです。

関心を持つなとは言いません。
関心を持つのはとてもいいことですが、生徒とは適切な距離感で接するべきです。それは生徒のためであり、自分自身のためでもあります。
お互いに楽しく、ストレスのない授業にするためにも、適切な距離感で指導をし「諭す」ということを心がけるようにすると良くなるのではないかなと個人的には思います。


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