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#3 気まぐれ日記 | 人混みが苦手なワケ

10月27日(金)
昨日家に帰ったら友だちから手紙が届いていて嬉しかった。ぎっしりと便せんに言葉が綴られていて、たくさんの想いが伝わってきた。日程調整をいろいろしていたのだけれど、なかなかタイミングが合わなくて、今は会う必要がないかな?という気でいた。会いたかったけれど、会わなくても多分お互い健康にやっていけるだろう、という意味で。滅多に会えなくても、一通の手紙がぐっと距離を近づけてくれる。離れた場所にいても、どんな風に生活をしているか、ちゃんと幸せであるか、どんな風に生活をしているか説明されなくても、言葉のチョイスで分かる。手紙にはそんな素晴らしいパワーがあるのだと再認識させられた。素敵な手紙を本当にありがとう。

10月28日(土)
カナダに住む韓国人の親友とひさびさにメッセージのやりとりをした。わたしたちがこれまでに送り合った何百枚もの近況を伝える写真を見返していた。彼女に最後に会ったのはコロナ前の19年11月。あらからもう4年が経つ。この4年間、わたしたちは写真と言葉でたくさんの気持ちを分け合ってきた。わたしたちは本当にたくさんの人生を共有してきたのだ。それはそれは本当にたくさんの。離れているのに、違う環境にいるのに、不思議といつも同じようなことで悩んだりしていて。連絡をくれるタイミングがいつも最高で。会えなくても、こんなにも大切な人がいつも心の中にいることの豊かさがなんて幸せなことなのだろうと胸がいっぱいになった。 

missyou

10月31日(水)
ハッピーハロウィン。
あれは、わたしにとっては重要な問題だった。でもそれをきっと大袈裟だと思って笑ったんだと分かって悲しかった。たかがそれだね、という言葉があまり好きじゃない。

実家の近くで発砲事件があり、母にメッセージを送った。犯人は捕まっていないらしく「外に出歩かないでね。」と言うと、「立てこもっているから大学芋!」と来た。”大丈夫”と打ち間違えたらしい。不謹慎ながら笑ってしまった。最近大学芋の話を誰かと としたのかなと想像した。とにもかくにも安心な世の中を。せめてここだけは、と祈る。

わたしもさつまいも食べたよ


とんでもない満員電車で悲惨な事件を思い出した。ぎゅっと閉じ込められた車内はもうどこにも逃げ場はなくて、電車が曲がるときには遠心力できゅーっとさらに苦しくなり、ああこうやって大勢の人は苦しかったんだ、と思うとなんともいえない気持ちだった。

昔、たしかまだ小学生の頃、年末に初めてアメ横に連れて行ってもらった。未知の世界はそれはそれは面白かった。人混みではぐれないように必死になりながらも、その光景にわくわくした。

ところが、そんな浮ついた気持ちも束の間、歩いている途中、人混みの中でパパの脚に誰かが持っていた袋に入っていたカニの尖った先っぽが刺さったのだ。ビニール袋から突き抜けたカニの鋭いはさみが。パパの脚からは血が出た。そして、その男の人は、逃げようとした。

怪我は大したことなかったけれど、とてもとても怖かった。人混みに限らないけれど、思いもよらないところに凶器がある。人混みでは逃げ場がないこと。そして人混みの中では、責任逃れができてしまうこと。痴漢もそう。みんなが近いから、だから見えない。わたしが人混みを怖いと思うのはこのときの体験があるからかもしれない。なんてことを満員電車の中、目をぎゅっとつむって思い出した。あれからアメ横には行っていない。

11月2日(木)
実家に帰ったらママがメルカリのやり方で騒ぎでいた。とんでもない価格で設定していて、それでは送料でマイナスである。セカンドストリートに持っていくことを提案した。そんな他愛もないやりとりも、平和な時間で幸せだった。

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