千年の時に触れる2 | 屋久島日記
2024/08/04
連日の4時起き。いやぁ、眠い。寝たい。と思いながら、なんとか動き出す。外は真っ暗で、遠くを見ると星々がまだちらちらと輝いていた。いよいよトレッキングの日。
今回はガイドさんをお願いし、ツアーで行くことに。ルート的に迷うことはなさそうだけれど、ペース配分などコントロールできるほど山道に慣れているわけではない。万が一、の時のためにやっぱりガイドさんがいてくれた方が安心だね、となった。買える安全は買う。結果として、バスのチケットの買い方や乗り方、休憩場所、写真を撮ってもらえる、などなどツアーにして良かったなと思った。
屋久杉自然館に着くと、まだ朝の5時前だというのにたくさんの人がいた。ガイドさんと合流する。どうやら始発である5時のバスに乗るのは定員オーバーで難しそう。トレッキングのスタート地点は屋久杉自然館からバスで30分ほど行った荒川登山口というところ。結局5時40分のバスに乗ったので、トレッキングを開始したのは6時を回っていた。
まずはトロッコ道を行く。これが約8キロ。そのあとに山道が約3キロ。往復で22キロの真夏の大冒険が始まった。
今回のツアー参加者はわたしたちを含めて6名で、全員20〜30代ということで、ガイドさんは「これはハイスピードが期待できるなぁ」と嬉しそうだった。ガイドさんは5日連続のガイドらしい。早く帰りたい気持ちはよく分かった。それにしても5日連続とはすごい。最高で29日連続でガイドしたことがあるというから、これはもうガイドさんにとっては散歩道なのかしら。世の中にはいろいろな仕事があるよなぁ。
とにかく歩く、歩く、歩く。ひたすらに歩いた。人はなぜ、山を登るのか。これまでも何度か考えてきたこの問いを考えるには十分な時間がありそうだと思ったけれど、いつの間にか無心になっていた。目の前に訪れるたくさんの自然をただただ受け入れて、ただただ前に進む。汗が出る。手がむくんでくる。つま先やくるぶしが少しずつじんわりと痛み始める。息があがる。それでも、わたしはただただ歩き続けるしかなかった。
そうして9時前にトロッコ道の終点に着いた。鼻をもぎ取りたくなるようなトイレに行き(ここより先はトイレはない。)このあとは山道が待っている。「ここからが本番だぞ〜」とガイドさんが言った。登り始めると、またすぐに息があがった。さっきよりも苦しかった。平坦な道を歩くのと、坂道はこんなにも違うものかと感じながら、それでも歩みを止めないことだけが、わたしにできることだった。
屋久島は366日雨が降る島、とはよく聞いたものだが、どうやら夏場は雨がすっかり降らないらしい。雨に備えてリュックカバー、レインウェアなどなど持ってきたが一切使わなかった。気温としては歩くのに心地よく、何より木々が太陽の光をさえぎってくれたのでうんと涼しく感じた。そういえば夏ってこんな感じだったよなあなどと思った。
正直なところ、どうしても縄文杉が見たいわけではなかった。縄文杉レベルの杉は道中たくさん見られる。なんなら車で見に行ける屋久杉もあるとガイドブックに載っていた。
ただ、歩いてみたかったのだ。千年の時に触れながら、自分はどこまで歩けるのか、試してみたかった。そして、そのとき、どんな風にわたしの身体はこの自然に癒されるのだろう。どんな風に、自然はわたしを受け入れてくれるのだろう。ということを知りたかった。自然の中で感じられるであろう感覚を想像してみてはどこか期待していた。きっとそれは神聖な感じがして、研ぎ澄まされるようで、心の中にある様々なモヤモヤを取り除いてくれるのだろうと。淡い期待で自然にすがりたかったのだと思う。
でもそれは大きな見誤りだった。自然はわたしを受け入れてくれず、わたしはどれだけ山の中に入っても癒されることはなかった。苔むした大木やどこまでも透明な水、一体どこからやってきたのか分からない大きな大きな岩、見たことのない植物を目にするたび、あぁもうわたしたちはどうしたって自然の力には太刀打ちできないのだということを思い知らされ、そして日々、人間が行っている様々な愚行はすべてここではお見通しなのだと悟った。自然はわたしたちを跳ね除けた。わたしたちにはもう知り得ない時の中で、命を守っているようだった。
わたしは、情けなくて、恥ずかしくて、そしてとても怖かった。いつか本当に自然の猛威の前に身動きできなくなることが。それでも、この景色を失いたくない、失ってはいけないという確かなる思いだけが心の真ん中に残った。
それから11時頃、縄文杉まで辿り着き、しばし休憩を取って復路を行く。来た道をまたひたすらに歩く。同じ場所なのに光の差し方や、自分の心身の状態で見え方が少し違うようだった。復路はほとんど休憩をとらずに歩き、なんとか22キロを歩き抜いた。
達成感と同時にやってきたのは無力感だった。相矛盾する感情に戸惑いながらも、でもそれは決して負の感情ではなかった。うまく表現できないのだけれど、でもそれでいいのだ。これはあの場所へ訪れ、歩き、触れ、感じたものだけの特別な気持ち。わたしはこの気持ちをこうして日記に書くかとても迷った。迷いながら、やっぱり、どうしても忘れてしまうことが怖いので書いている。忘れてはならないような気がして書いている。わたしが見たこの景色を、わたしたちは後世に残せるのだろうか。あれからずっと考えている。
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