一期一会について | 屋久島/指宿日記
屋久島を出発する前になんとか食べたかったヤクシカにありつく。小さなイタリアンレストランでヴェスナンというヤクシカの肉とくるみとチーズがのったピザを注文。お店は大混雑で店員さんはてんやわんやだった。
順番待ちをするときに名前を書く紙がなく、みんなそれぞれが自分は何番目だよな、と心の中で考えながら待っていた。そしたらわたしたちのあとにきたおひとり様の男性がなぜだかわたしたちのことを抜かして席についた。勘違いしたとは思えない状況だったのでわたしは思わず怒りの感情にさいなまれた。あぁずるってよくない。と思いながら、ピザがあまりにも美味しかったのでまあいいか、という気持ちになった。でもやっぱり思い出すと、あれはないよな、と思う。
それからレンタカーを返して、高速船で屋久島から指宿へ。本当は種子島へ行きたかったのだけれど、なんとレンタカーが取れなかった。車なしにはまわるのが難しいとのことだったので、ギリギリまで迷った末に諦めることにした。まあ行ってしまえばヒッチハイクするなり、なんとかバスを乗り継ぐなり、できたのだろうがなんとなく今は迎えられていないのだと感じて、おとなしく諦めた。でもまた必ず行きたい、縁のある場所なはず、と思っている。なんとなくだけど。
指宿港に着いたので、友人と別れてひとりゲストハウスへ。脅威の2800円という安宿で、設備や清潔さやなにかそれ相応のクオリティなのではないかと覚悟の気持ちもあったのだが、そんな不安はどれも的中せず。綺麗な寝具、広い許容スペース、揃ったキッチン備品、水圧の強いシャワー、ワンコインでできる洗濯機。などなど、2倍くらいの金額を出しても納得のいく宿だった。
もう夕方だったので宿から歩いて10分ほどの宿のオーナーさんが進めてくれた公衆浴場へ。脱衣所が猛烈に暑く、お風呂からでたあとも汗が止まらず吹き出てくる。濡れたまま洋服を着ようとしていると、同じタイミングでお風呂からあがったおばちゃんが「あら、あなた背中がまだ濡れてるわよ。」と言って、背中を拭いてくれた。わたしが「すみません。。。」というと「いいのよ、こうして出会わなければ、こんなことできないんだから。」と言ってくれた。このおばちゃんとはきっともう会うことはないだろうが、おばちゃんがくれた優しさは心に触れるなにかがあった。
指宿では、定番の砂風呂、長崎鼻、龍宮神社などへ出かけた。長崎鼻の帰り道、立ち寄ったカフェでアイスティーとスコーンをテイクアウトすると、「どこから来たの?」とオーナーさんに聞かれ答えると、そんな遠くから来てくれたから、とクッキーもつけてくれた。このカフェの評判の理由が分かった気がした。その気前の良さ。気前がいい人を久しぶりに見たような気がする。長く永く、あのお店が続くといいなと思う。
旅をしていると、もう二度と会うことがないだろうという出会いがたくさんある。また会えたらいいな、とも思うけれど、それが一度きりだから美しいこともある。もう一度、と強く思っても叶わないこと、もう二度と会えない人たち、もう二度と味わえないものたち、そういうもの/こと/人が増えていくたびに、寂しくもあるけれど、人生が豊かになっていく気もするのだ。もう二度と戻ってくることのない日々や時間はいつだってあるのに、変わり映えのない日々ではそんな大事なことを忘れてしまって、旅の中ではそれを強く強く感じられるからかもしれない。
優しさをもらうこともあるし、もちろんそうではないことだってある。全ての場所で、全ての人が、よそ者を歓迎しているわけではないからだ。その場所を誰にも取られないように必死に守っている人もいるし、見つからないようにしておきたい場所もきっとある。旅人である以上、そういうことも知っていなければならないといつも思うのであった。
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