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ひとり、インドを行く

とある週末、夫とは別行動で出かけた。思いのほか暗くなってしまった帰りの夜道。頭が妙に冴えちゃって、いろんなことを考えていた。

わたしは一人の時間が自分には必要だと思っている。夫にも「結婚してもひとりの時間も欲しい。一人で旅もまだまだしたい。」なんてわがままを言っている。夫は自由にさせてくれている。

一人の時間が好きだと思えるのは、一人の時間がわたしの人生に必要だと思えるのは、一人じゃない時間があるからだということも分かっている。わたしは一人きりじゃない、と。そう思えているから。会いたい人が心の中にいつもいるから。だからわたしは一人が平気なのだ。そいうことを考えていたら、なんだか急に寂しくなった。わたしはまるで遠い遠い場所から帰るかのような気分で、暗い暗い田んぼ道を一生懸命運転した。

一人でいる時間の、その何倍も、誰かといる時間は愛おしい。誰かと共感したり、分け合ったり、そういう日々が心の底から愛おしい。あの頃、一人きりで頑張ったなという記憶はわたしをずっと支えてくれるけれど、きっと期限があるような気がしている。それよりもきっと、誰かと頑張った記憶のほうがずっとずっと、わたしの心に残っていく。ずっとずっと。

でもやっぱり一人の時間が必要なのだ。愛するために、愛されるために。たった一人きり、旅をする時間がわたしには、人には、必要なのだ。

今日は一人きりで行った、一番心に残る旅のことを書こう。あの冬のインドへの旅のことを。

大学4年生のとき、わたしは一人でインドへ行った。親には反対されるだろうと思い、わたしは友達と行くと両親に伝えた。お父さん、お母さん、ここに白状します。本当にごめんなさい。

デリーからコルカタという地域へ向かって、ガンジス川を沿うように旅をした。コルカタには大学時代の親友がいて、最後にその子に会うことがゴールだった。今、沢木耕太郎の『深夜特急』を読んでいて、ちょうどインドのシーンがあり、あのスリルを思い出している。

インドの旅は寂しくて、怖くて、ひとりきりで、それでドキドキして、楽しかった。なぜ一人で行ったのか。自分を試したかったのだ。生きて帰ってこられたから言えることかもしれないが、あのときは命がけで旅をしてみたかったのだ。生きている、ということをどこまでもどこまでも感じながら、そのギリギリのところで旅をしてみたかった。そしてあの子にインドで会いたかった。

何度も道端を歩く牛にぶつかりそうになりながら、車に轢かれそうになりながら、野犬にほえられながら、時間通りに来ないバスを永遠に感じるような長い時間待ったりしながら、あの子に会うことだけを心のお守りにして進んだ。

いよいよあの子に会う。わたしは寝台列車に乗って、バラナシからコルカタへ向かった。21:00発の寝台列車に乗るため、わたしはバイクのトゥクトゥクに乗った。暗い夜道、クラクションが鳴り響く。わたしはドライバーのおっちゃんにぴたりとくっついた。ここでいいかい、とおっちゃん。ここでいいのかどうかも分からない。けれど、人はたくさんいるし、きっと大丈夫。きっと。わたしはおっちゃんにお金を払い、またひとりになった。駅に改札などはなく、電車のなかでチケットをチェックされる。駅にはたくさんの人が”住んでいた”。家のように、そして住人たちは家にずかずか入ってきた小娘をみるように、物珍しそうにわたしを見た。

待っても待っても列車が来ない。待っても待っても来ない。まあ30分くらいは遅れるだろう、と思い、とりあえず待った。が来ない。待っても待っても来ない。1時間たった。わたしは不安になって、駅のホームに待つ人に声をかけた。小さな子どもを抱いたお母さんは「待つしかないわ」と言った。その様子からこれくらい日常なのだと読み取れた。不安で心配だけれど、行く当てもない。頼れる友人はここから列車で8時間先。列車に乗るしか手段はない。わたしはぐっと耐えて待った。2時間経って、3時間経ち、日をまたいだ。駅のホームでは、みんながじっと待っていた。深夜1時近くなったとき、反対ホームの電光掲示板が光った。書いてある言葉は読めなかった。アナウンスは聞き取れず、わたしはため息をついた。

すると、さっきのお母さんが近づいてきてくれて「あっちのホームに到着が変わったらしいわ。」と教えてくれた。なんと。4時間近く遅れた上にに、違うホームに到着するなんて。それでもようやく、わたしは列車に乗れて安堵した。列車には2段ベッドが2つずつで一区切りになっていて、わたしの場所は2段ベッドの下段だった。わたしの上段と隣のベッドもう人が寝ていて、かすかないびきの音からすると年上の男の人のようだ。やっと重い荷物を置くと、一気に眠気がやってくる。すると、隣のベッドのおじさんが起きて「靴は奥へ、パスポートと財布は衣服の中にしまいなさいな。」と教えてくれた。小綺麗な格好をしたおじさんは他にも色々注意すべきことを教えてくれた。

わたしは言われた通り、パスポートと財布を衣服の中にしまってすっかり眠った。朝方5時近く。わたしより歳下に見える男の子がやってきて、朝ごはんの入ったボックスを渡してくれた。ずいぶん早い時間だなあと思いつつ、食パンとハンバーグのようなものが入った中身をみるとお腹も空いてきて、窓から薄明るい外を眺めながら食べた。

となりのおじさんも起きてきたので少しだけ話をした。駅に止まりおじさんは降りると言う。「君の駅はこの次だよ。」と教えてくれた。

もう一眠りしてしまった。途中、小さな男の子がやって来て食事を片付けてくれた。外はすっかり太陽が昇って照っていて美しかった。もうすぐ着くらしい。あの子に会える、そう思うと胸が高鳴る。高揚で目が冴え出した。わたしは荷物を整え、デリーやバラナシとはまた違う景色を眺めた。この街で暮らすあの子を思うと心がきゅっとなる。寂しくはないのだろうか。

列車を降りるとすごい人混みに巻き込まれる。遠くにあの子の笑顔を見つける。濃いオレンジ色の服を着て、笑顔で近づいてくるあの子。ぎゅっと抱きしめると、一気にホッとして涙が出た。

あぁわたしはこの瞬間のためにインドに来たのだと思った。ただ一人寂しい夜は、このためにあったのだと思った。日本を出ても、遠くへ来ても、知らない場所でも、わたしたちはいつだってひとりじゃない。

そのあとの街散策は彼女が案内してくれた。巧みに言語を操る彼女をみて、信念を持って勉強をした人間の魂を見た気がした。怖い夜だってあっただろう。それでも彼女はここに住み、学び、働き、文化の違う人たちとコミュニケーションをとり続けた。その全てに脱帽した。

インドは思っていたよりも混沌としていて、思っていたよりも命懸けで、それで優しかった。どんな場所でも、みんな必死に生きている。

みわ、わたしに知らない世界を見せてくれて本当にありがとう。

わたしの初めての海外一人旅はこうして一生心に残るものになった。一人で旅をすることをこれからも大事にしたい。ひとりきり、たったひとりきり、人は生まれ死んでいくことを、決してひとりになどなれないことを、再確認する旅。わたしにとって一人旅は、知らない間にどこかに置いてきてしまった自分を取り戻す旅なのだ。いつまでもわたしはわたしであり続けるために。

▼星野リゾートの一人旅


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