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短編小説「秘密基地」

月子には秘密基地がある。
自宅近くの高台にある神社だ。
何かムシャクシャしたことがあると、夜中に家族の目を盗んでこっそりその神社に行くことが、月子のストレス発散法の一つになっていた。

月子の部屋は二階にある。
とある映画で、主人公が二階の自室からこっそり抜け出して夜の街に繰り出すシーンを見てから、月子はまるで自分が映画の主人公にでもなったかのような気分で部屋を抜け出し、夜な夜なその神社へ向かっていた。
昼間に行くと訪問者が割といるが、夜中は全く人がおらず、人目を気にせず空を眺めていられることが、その神社の好きなポイントだった。
特に、社の裏側にあるベンチに座って月を眺めながらボーっとする時間が月子にとって癒しの時間になっていた。
家族に話すと夜中に出歩いていることを怒られると考え、月子は誰にも言わずにこの神社に来ていた。

ある日、月子は兄の卓と喧嘩をした。
腹の虫が収まらなかったのでいつも通り夜中に神社へ出向くと、月子の特等席のベンチに人影が見えた。
いつもは誰もいないのに、今日に限って人がいる。
その状況にも月子はイライラした。
文句を言おうと近づくと、その人影が振り向いて月子の方を見た。
「君も月を見に来たの?」
後ろ姿だけでは分からなかったが、先客は、どうやら月子と同じ中学生くらいの少年に見えた。
声はまだ声変わりをしていないように感じた。
「そうよ、悪い?」
月子はそう言ってしまった後で、見ず知らずの他人に不機嫌をぶつけてしまったことを反省した。
少年の方は何も気にしていないようで、何かの曲を口ずさみながら月を眺めていた。
そのまま立って月を見るのはプライドが許さなかった月子は、少年の隣に座って月を見ることにした。
「満月だね。」
「そうね。」
二人の声以外には虫の声と少しの車のエンジン音しか聞こえない。
無言で過ぎる時間がゆっくりに感じた。
「君は月が好きなの?」
「君じゃなくて、月子。名前に月が入っているから月が好きなの。」
「そうなんだ。良い名前だね。僕は翔。今日は満月だって聞いて、ここに来たんだ。」
月を見ている翔はどこか寂しそうに見えた。
それ以上は何も話さず、二人は自然と解散した。

それから月子が行くと、翔も来ていることが多くなった。
最初は自分だけの秘密基地に他人がいることに少し不満があった月子だが、穏やかな翔と話していると、自分の中にあったモヤモヤが消え去っていくのを感じて、月子は不思議な気持ちになった。
兄の卓の愚痴を言っても翔は聞いているのか聞いていないのか分からないような相槌をしては「月子ちゃんって面白いね。」と微笑んだ。
それからも、会う度に月子と翔は色々な話をした。
日に日に翔の笑顔が増えていっているような気がして、月子はどこか嬉しく思っていた。
ふと、月子は翔のことを、名前以外何も知らないことに気がついた。
そもそも出会ってまだ数週間ほどしか経っていない。
友人と言えるかも分からない距離感だ。
月子は勇気を出して、翔に、どこの中学校に通っているのか聞いた。
聞いてから、もしかしたら翔が中学生じゃない可能性も考えたが、聞いてしまったのだから仕方がないと開き直った。
翔は何かを言おうとして、躊躇っているようだった。
中々言葉を発さない翔を見て、月子は、
「ごめん。何か変なことを聞いた?私、卓にもよく無神経だって言われるの。答えたくなかったら答えなくて良いからね。」
月子が謝ると、翔は「違うんだ。」と言った。
そして、「今は話せないけど、一週間後、またここで会ったときに答えても良いかな?」と言った。
「分かった。けど、なんで一週間後なの?」
「明日から一週間はここに来れないから。」
「そうなんだ。」
どうして来れないのか聞きたかったが、今聞いても答えてくれないと感じて、その日はそれ以上何も追及しなかった。

それから約束の日まで、月子は神社に行かなかった。
翔が来ないと分かってて行くのは何故か気乗りしなかったのだ。
月子は、自分でもそんな気持ちになるのが不思議だった。

神社に行かないまま、翔と約束した日になった。
天気予報は晴れだったのに、夜になると雨が降ってきた。
普段なら雨が降っている日は神社には行かないのだが、翔との約束を果たす為に、月子は神社に向かうことにした。
自分の部屋にサンダルしか準備をしていなかったから、雨靴を取りに玄関まで降りて行った。
家族は寝静まっているはずだし、雨の音で月子が出かけようとしていることはバレないだろうと、玄関から出ることにした。
ひっそりと靴を履き出かける準備をしていると、思いもよらず母親がトイレに起きてきた。
出かけようとしている月子を見て、「何してるの?」と声を掛けた。
苦し紛れに「ちょっと散歩しようと思って・・・。」と答えると、
「何言ってるの?こんな雨の日にこんな時間から。散歩ならこんな時間じゃなくても良いでしょう?」
さすがにこのまま母親を言いくるめて出かけるのは難しいと感じた月子は、「だよね。」とおどけたフリをして、「おやすみ。」と母親に告げ部屋に戻った。
そのまますぐにでも、部屋から抜け出して神社へ向かいたかったが、母親が寝静まるのを待ってから行動を起こすことにした。

しばらく時間が経つと、だんだん雨も小降りになってきた。
月子はなるべく音を立てないように窓を開けると、いつもより慎重に二階の自分の部屋から地面に飛び降りた。

必死で走って神社に向かったが、神社に着いたのは、いつも神社に向かう時間よりも一時間以上時間が経っていた。
さすがにもういないだろうと思っていたが、約束したからには行くしかない。

月子が神社に行くと、いつもの場所には翔はいなかった。小降りだった雨はいつの間にか止んでいた。
「やっぱりもう帰っちゃったよね。」
月子が肩を落としてベンチに近づくと、ベンチの下にビニール袋があることに気がついた。
恐る恐る開けてみると、そこには翔からの手紙が入っていた。

「月子ちゃんへ。実は僕、病気で学校にはあまり行けてないんだ。今度手術することが決まって、東京の病院に転院しないといけないから、最後にこの町の景色を目に焼き付けたくて、この神社で月を眺めてた。正直、手術が怖くて、成功率も高くないから怖気づいてたんだけど、月子ちゃんと話していて、やっぱり僕も学校に通いたいと思ったんだ。だから僕、手術頑張ってくるよ。手術が成功したら、またここで会ってくれるかな?今日は来てくれて本当に有難う。直接言わずに手紙でごめんね。 翔」

翔の手紙を見て、月子は自分の無神経さに悲しくなった。
翔は学校に行きたくても行けなかったのだ。病気で通院していたなんて分からなかった、なんて言い訳でしかない。謝りたい、そう思ったが、翔の連絡先を何も知らないことに気がついて、月子は項垂れた。

次の日、月子は熱を出して学校を休んだ。
雨に濡れたせいだったのかもしれないが、それよりも翔に嫌われたのかもしれないという気持ちの方が強く、布団の中でふさぎ込んでいた。
悶々と考えながら過ごす時間はとても長く感じた。

お昼を過ぎた頃には熱も下がってきて、月子はいてもたってもいられず部屋を飛び出して神社へと向かった。
翔はいないかもしれないが、今行かないと後悔するという気持ちの方が強かった。
階段を上るのもきつく、いつもより神社のベンチに向かうのに時間がかかった。
いつもは翔と会うのは夜中だが、今はまだお昼過ぎだ。
翔がいる可能性は限りなく低い。それでも、月子は階段を上った。

いつものベンチには誰もいなかった。
「やっぱりいないか。」
平日の昼間ということもあって、神社には老人や親子連れなど数人が境内にいた。
息を切らした月子を見て、近くにいた子供が不思議そうな顔をしていた。
フラフラになりながら月子がベンチの方へ向かうと、後ろから声がした。
「月子ちゃん?」
後ろを振り向くと、そこには驚いた顔をした翔がいた。
「なんで?」
翔にそう聞かれ何か答えようとしたとたん、月子は倒れた。
そこからの記憶が月子にはない。

後で母親から聞いた話によると、熱があるのに走ったせいで、月子は倒れたらしかった。
翔が救急車を呼んでくれて、近くの病院に運ばれた月子は、そこから半日眠り続けた。
病院に呼ばれた母親は、翔と少し話したようで、月子にそのときの様子を話した。
「翔くんね、この町を離れたくなかったみたいね。いつまた戻って来れるか分からないから、もう一度あの神社に行ったそうよ。最後に月子に一目会えて良かったって。」
そう母親に言われて、月子はあの場で倒れてしまったことを悔やんだ。
「翔と最後に話したかったな。」と本音が出た。
「じゃあ、元気になったら連絡しなさい。」
突然そう言われて、月子は困惑した。
「連絡?どこに?」
母親はメモを一枚差し出して、「ここに翔くんは入院するみたいよ。」と言った。
メモには母親の字で病院の名前が書かれてあった。
「月子なら翔くんの連絡先知りたいかなと思って。翔くんに聞いたら教えてくれたよ。」
どうして熱があるのに神社に行ったのかということや、翔との関係のことなど何も聞かずに、そっとしておいてくれる母親の優しさが身に染みた。
「有難う。」
翔との縁がまだ切れていないことが嬉しくて、月子は嬉しさを隠しきれず、母親に悟られないように、布団を頭まで被って寝たフリをした。

元気になったらすぐに翔に連絡してみよう。
そしたら謝って、また会う約束をする。月子は眠りにつきながら、そう決めた。




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