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夢という着ぐるみを着せられている

私は幼い頃、パティシエになりたいという夢を持っていました。その時は本当にパティシエになれるものだと思い込んでいた。しかし、幼いながらも母親にパティシエはお前に向いてないと言われ事なきを得ました。

私自身が何かをして他人を喜ばせたいという願望があり、人のためになる仕事を探す旅に出ました。
ある日は、介護福祉士。ある日は、保育士。ある日は、看護師。

この全ての願望を打ち砕いて来たのは母親の言葉でした。

ここで私は諦めきれないと思い、パティシエという夢も忘れられず、調理師になりたいと思うようになりました。

高校では、総合学科の公立に入りました。
ここで私が本当にしたいことを見つけようという思いで行き着いた高校でした。

料理の才能がないなら他の道を探そう。
そう固く思いました。

総合学科では、料理や裁縫など家庭科のような学科が存在しました。
そこで2年間、料理と裁縫を学び様々な資格を取得することが出来ました。

ここでやっと私は調理師になってもいいのかもしれないと思えるようになってきました。

もし、私が調理師になれたら、
私の作った料理で人を笑顔にしたい。好き嫌いがあるような子でも苦手な料理を克服出来るような料理が作りたいと思っていました。

私だけにしか作れない味、料理。私だけしか見れない笑顔、達成感。

私は調理師になるためには何が必要かを考えました。それは、料理の腕と調理師になるための資格でした。

高校卒業後
私は県外の調理師専門学校にいきました。
他県から来ている生徒が多くて驚きました。

まず、入って1番びっくりしたのは校則です
髪は黒色が絶対です。元から茶髪の子でも黒色に染めなければならないほど厳しく、ピアスはもちろん、男の子は髭も許されませんでした。
髪の毛の長さも規定があり、それを破ると実習に入れて貰えないなどざらにありました。

私は、調理実習を通して少しずつではありますが、料理の腕が上がったと思います。
高校で基礎調理や衛生管理、魚の捌き方などを学んでいたので授業を置いていかれるということがほぼありませんでした。

当時、一人暮らしをしながら専門学校に通っていたので、学校では実習で料理、家でも料理を作ることが多く、友達などに私の料理を振る舞うことも増え自信がつきました。

専門学校は、無事資格を取ることができ卒業することが出来ました

そこから現実を突きつけられる日々が続きました。

新卒で就職したところは、特別養護老人ホームでした。
入居者の方達との話す機会はまったくなく、毎日毎日大量に残された残飯を見ながら、あー誰の笑顔も見れてない、美味しくなかったのかなとか考え込んでしまいました。

就職した所は、正直やりがいを感じれませんでした。

私は心の病気を患ってしまい、それを気にこの仕事を辞めることになりました。

そこから私は地元に帰り、実家の設備工事を手伝うことにしました。

ほかの業種にも手をつけていた方がいいがもしれないと思ったんです

この選択は私の人生での大きなミスだったかも知れません。

私は実家に帰った事で、料理で人を笑顔にしたいという気持ちが薄れてきました。

毎日料理を作るのが日課です
そこで、味が薄いなどこんなもの食べれないなど色々文句を言われるなど、辛い日々が続いています。

私は将来自分のお店を出したいという気持ちがありました。
親に相談したら、こんな下手な料理じゃお店は出せないなどいわれました。

お前はお店を持てるほどの実力はないからもし出すなら地元で出せと言われ続けています。

私はお店を出す時は自分のタイミングで自分のしたい所でしたいと思っていて、最近は、早く地元でお店を出せと催促してきます。

私の夢は私で決めたい。
そう思う日々です。


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