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子どもに教えられたこと

「あきらめないこと。」

「生きることは学ぶこと。学ぶことは生きること」

それが子供に教えてもらったこと。


3年前、息子は中学受験にチャレンジした。都会のお受験事情とは若干異なるけれど、地方都市でもそれなりにお受験の「作法」というものはある。遅くても小5の夏くらいまでには、地元で名前が通った塾に入れて、対策を練るというのが一般的なお受験対策。

親にとって、なぜ中学受験をさせるかといえば、普通はそのあとに控える高校受験、大学受験を考えて、少しでもいい学校へということでさせるのだと思う。うちの場合、ちょっとだけ違っていた。

地元の学童野球チームは結構強く、息子の代が小6の時、関東大会に出場した。息子はその学童野球チームに小3で入部したが、半年で辞めた。入部のきっかけは同じクラスの仲良しの男子が小1から学童野球チームに入っていて誘われたからだ。息子は体格にも恵まれ、それなりに上達した。辞めた理由の大きなものの一つが、私がついていけなかったことにある。

フルタイムで働いているが、土日は家事を回さないと家の中がとんでもないことになる。息子の入ったチームの練習は月、水、金の放課後と土日はほぼ丸1日。朝は遠征先によっては4時とか5時台に集合。週末のほとんどが野球でつぶれる。

その当時、軽度ではあるものの心疾患が持病として見つかった私にとって、息子の学童野球につきあうのは非常に心身への負担が大きかった。息子はそれを察してだと思うが、だんだん「行きたくない。つらい」と言い始め、半年後には辞めた。代わりにテニスを習い始めたが、野球は大好きで夫とよくキャッチボールをしていた。

息子は「中学にいったら野球がやりたい」といっていた。ただ、高校受験を考えると、中学から野球部に入部するのは勉強との両立が難しいと思った。本音を言えば、野球部は親の負担がかなり大きい。子どものことを一番に考えてあげなければいけない。しかし、あまり無理ができない中、野球部の保護者として彼に付き合うのは正直しんどいなと思っていた。親としてひどいと思ったが、息子の思いをなんとかあきらめさせようということもあった。

『万が一、中高一貫に合格したら野球をやってもいいよ』

という条件を出した。

息子は小5から塾に通い始めたが、ついていくことが厳しく、成績はいつも一番下のクラス。塾の勉強を一緒にやりはじめると、必ず喧嘩になった。「もう教えてもらわなくていい」と言われ、じゃあ、仕方がないから一緒に勉強する姿勢だけは見せようと思い、息子の受験勉強開始とほぼ同時期に申し込んだ放送大学の教科書を黙って隣で読んでいた。大抵1ページめくって寝落ちしていたが。

昔、やりたかったのは精神分析とか心理学なのに、本当にやりたいことはあきらめて、「就職に有利」とか「使える学部」ということで、大学受験の時、法律系やら経済系の学部を受験をした。同世代は第2次ベビーブームで人数も最多。受験は厳しかった。結局行きたいところではなく、合格していけるところに進学し、就職した私。趣味の一つの読書の中で、それなりの数の心理系や精神分析に関する本を読んできた。でも、いつか体系的にきちんと学んでみたいという思いをもち続けていた。息子が中学受験の勉強を開始したころ、私自身も公私にわたりいろいろな事件があって、心がひどく揺さぶられていた。昔あきらめたことをもう一度学ぶと何かが変わるかもしれないと思った。だから放送大学の受講を申し込んだのだ。

「お母さんも半年に1回は大学でテストを受ける。あなたも来年1月に試験でしょ。お母さんはお母さんでやるから、あなたはあなたでがんばりなさい。」

1月初旬が本番だったが、10月とか11月の模試の成績は最悪で、DとかEとかそんなのしかなかった。12月の初旬、夫の父が亡くなった。特に持病もなくとても元気だったのに、突然逝ってしまった。とてもかわいがってくれたおじいちゃんが亡くなり、相当ショックだった息子。ずっと泣いていたが、お棺に入れたおじいちゃんへの手紙には、「ぼくはちゃんと合格して、野球をやる」と書いていた。冬休みの講習会で奇跡が起こった。急にぐんぐんのびはじめて、直前特訓の模試の成績が、「受かってしまうかも」というくらい伸びた。

「これは・・・万が一があるのか?」と思ったが、結果は不合格。息子は地元の公立中学にはいかないといったので、受験したもう一つの別の中高一貫に進学する手続きをした。ただし、この学校には野球部がない。息子は半年で学童をやめているので、シニアでやれるほどの能力もないし、やらせる気もなかった。夫はわずかな可能性を信じていたのか、息子にグローブを買ってあげていた。

「このグローブの出番はもうないのか。」と息子。

私は、「残念だけど、通学するのが楽だからいいんじゃないの。朝も7時まで寝ていても間に合っちゃうくらいじゃない?かわりにテニスを本格的にやったら?新しいグローブはお父さんとキャッチボールするときに使えばいいじゃない。お疲れ様。よくがんばったよ。」といって励ました。

2月の上旬の土曜日に、進学予定の学校の1日入学があり、制服着用ということだった。その週の水曜日に授業参観があり、午後は休暇をとって参加をする予定だった。息子とは授業参観後、制服を取りに行こうと約束をしていた。

午前中、職場でスマホがなった。机に置いて、席をはずしていた。戻ったら後輩に「さっきスマホがぶーんぶーんいってました」と言われて、着信を確認した。そういえばクリーニングに出した洋服を取りに行っていなくて、「早く取りに来てください」って連絡なんだろうと思って留守電すら聞かなかった。その後夫から電話がきて「今、〇×中学校の教頭先生から電話があった。繰り上げで合格だって。今日中に行くか行かないか返事をくれだって。」という連絡が入った。

手続きを行った学校は家から自転車で10分。給食もあり、経済的には負担がそれなりにあるものの、母親の私としてはとても楽。学校説明会で見た授業の様子やカリキュラムもよかった。ただ、彼にとってはやりたい野球ができない。本命だった学校は野球部はもちろんあるが、給食はなく私は毎日弁当をつくらなくてはならない。学校は遠く、バスで通学となると朝は6時半のバスに乗らなくてはならない。彼は5時半には起きて通学しないと間に合わない。慣れてきて自転車通学ができるようになったとしても、往復25キロ。自転車通学で部活並み。それで野球もやったらどうなるんだろう・・・。おまけに繰り上げで補欠で入学。成績は良くないだろうから、賢い同級生に囲まれて、委縮しちゃったりしないんだろうか。遠いから行きたくないとかなってしまうのではないか。そんなことが頭を駆け巡る。なぜなら、かつて親元を離れて遠くの学校にかなりの時間をかけて通学し、落ちこぼれて挫折しまくった私自身の姿を思い出したから。まあ、今となってはあの頃苦労してあの学校にいったから、たくさんの素敵な大切な友人ができて、今も楽しくやれているので、よかったといえばよかったけれど、非常に苦しくもがいた時期でもあった。それを思うと、希望はかなったけれど、本人の意思にまかせていいのだろうか。


授業参観にいって、息子に繰り上げ合格の事実を伝えた。そして自分の経験から、毎日遠距離通学を続けるしんどさとか、自分の能力より上の人がたくさんいる学校にいって、うまく順応できないこともあることも伝えた。

「どうする?」「え、俺、もちろん行くよ。野球部にはいれる。やった~」

息子は大きなチャレンジをして、彼の大好きな野球に例えるならば、「負け試合ほぼ確定。9回2死2ストライク。最後だから補欠の俺が代打。たぶんセカンドゴロか三振で終わる」という場面でまさかの一発がでて、サヨナラという状況を目の前で見せてくれた。手放しで喜ばなければいけないのに、うれしいけれど、大丈夫なのか?私という不安が広がっていた。

息子をつつがなく通学させるためには、6時半のバスにのせる必要がある。そのためには、4時半には起きて、弁当を作り、朝ごはん夕飯の準備もして、洗濯機を回して、息子と一緒に6時25分には家をでなければいけない。というように頭の中でいろいろシミュレーションをすると、かなり心身に厳しい状態。それでも、息子のこのまさかの逆転劇を見せられて、腹をくくらないわけにはいかなかった。野球部に入部はOKにしたけれど、2つだけ条件をつけた。

・練習着や靴下は自分で下洗いをすること。

・成績がビリだったら退部。ブービーまでは認める。


息子が入学した年に、職場が変わって、通勤時間が倍以上になった。息子も1年生。私も仕事では1年生。同じ1年生同士で頑張るしかない。毎朝の弁当週末に大量に主菜を作り置きするなどしてなんとかやりくりできるようになった。市販の冷凍食品を使えば楽だけれど、「俺、食トレしたい」という息子。しかもよく食べるので、市販の冷凍食品だと割高。だったら・・・ということで、こんなことになる。

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だいたい、週末は近所の肉が安いスーパーで大量に肉を買う。中学男子、特に野球部男子に必要なのは肉とコメ。これしかない。キロ単位のから揚げ、ハンバーグ、チャーシュー、鶏ハム、肉そぼろ炒め等々を作り置きして、冷凍。それと卵焼き系を回す。

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息子は中学1年の秋からバス通学をやめ、自転車で通学するようになった。往復25キロ。正直車でもちょっと遠いと感じる位置にある息子の学校。1度コンビニからでてくる車にぶつけられたが、ねん挫ですみ、なんとか毎日元気に通っている。息子の学校の野球部は弱小だったが、中2の時に大学まで野球をやっていた体育の先生が顧問になり、ほんの少しだけ強くなったが、公式戦では1勝もできなかった。今年は勝てるんじゃないか?と思っていた矢先に臨時休業。そして学校再開が6月。このまま引退でも仕方がない状況だったが、幸いにも交流戦として地区予選と同規模の大会が7月中旬に開催された。残念ながら悲願の公式戦1勝はかなわなかったけれど、中学校の野球部は引退した。そして今は高校の先輩と一緒に硬式の練習をして毎日を過ごしている。あなたの頭の9割は野球なのか?というくらい野球ばかり。成績は・・・。こうご期待!ってところか。体のほうは、私の弁当がきいたのか、身長はいまいち伸びていないけれど、体重は10キロ以上増え、往復25キロのチャリンコ通学の成果もあって、ぱっと見の体型は野球体型でいわゆる「ぷりケツ」になった。これで見掛け倒しじゃなく、ここぞの一発が連発できるようになったらいうことはない。

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あきらめないこと。好きなことに熱中すること。それは大切なことなんだなと改めて思う。好きなことだったら、多少いろいろ困難があっても、続けられるし、乗り越えられるんだろうと思う。息子の姿にそれを学んだ。

一方母である私はといえば・・・。

放送大学の受講はどうなったかといえば、この秋で受講は5年目に突入する。この4年間の間に、職場が3つかわり、仕事も全く違う分野の仕事を3つやっているので、そちらで覚えなくてはいけないこともある。だから毎学期2~3科目とるのがやっとだけれど、細々と続いている。朝の弁当を作っている間や通勤の車の中での時間にスマホで講義を受講し、昼休みに15分だけテキストを眺めてみたり(読むではなくほぼ眺める状態)。大抵1月と7月のテストシーズンは一夜漬け状態に陥っているけれど。「計画的に勉強しなさい。」なんて子供に偉そうにいえるまでもなく「集中力。メリハリ」といって毎回ごまかしている。

「心理学を勉強しているのに、まったく子供の心理を理解していない」と息子にも娘にも言われるが、机の上の勉強はできても、本当の学びにはなっていないのかもしれない。あのね、あなたたち、お母さん、実はテストはそこそこできてるよの!

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母としてはいつまでたっても未熟だ。大人としてもいい年になったのにまだまだ未熟な自分にいつも出会う。子どもの姿を見て、あきらめていたことを始めるきっかけを得た。子どもを通して、たくさんの学びを日々の生活の中で得ている。

育児は「育自」。子どもを育てるけれど、親である私も育つ。教育は「共育」。教え育てるだけじゃない。ともに育つ。「学習」は「楽習」。学び習うことは本来、楽しい習いなのだ。

こんなおかーちゃんだけど、いつもありがとうね。ゆうとなつ。





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