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辛さの根源はどこにあるの?
今日はアドラーくすのき会の定例勉強会に参加してきました。その時に、ちびーずの通ってる学校からメールがきたので見てしまいました。ライフタスクとなって、劣等感が反応してしまいそれから辛い状況になっています。
端的にいえば、「アイドリング路駐して送り迎えしないでくれ!」というメールでした。昨日が大雨なのに、私もちびーずも傘をもっていませんでした。そのために、一度お迎えの連絡をいれて、駐車場に止めて二人を迎えにいった後に、前で待って貰って車を寄せて乗せたりしていました。
ちびーずには、朝に近くのスーパーにとめていくことを約束していました。その約束が変わってしまったので「前に車つけるからまってて!」といったのを学校のスタッフが聞いたらしかったです。それを「事実を確認せずに、路駐してアイドリングしているから辞めてくれ」といわれたのが「こいつらなにもわかってねーじゃん!きれい事ばかり言いやがって。幼児二人を毎日送り迎えするのがどんだけ大変なのかわかってるのか!」という認知になってしまったのが辛さの根源でした。
結局まるで前に路駐して送り迎えしてるような言動をしているこちらの問題だったのです。しかしそれを最初から確認せずに言われたことが余計に辛さをましたということでした。
結局のところ軽やかに「すみませんでしたー。気をつけますー。」といえばよかったのを深刻に捉えてしまったのも問題でした。最近、ちびーずの学校に対して信頼がないというか、なぜか所属感が薄くなってる感じがするんです。それが何故なのかわからないです。きっと所属感が薄くなることで達成したい目的があるのでしょう。
子供の学校に対して共同体感覚がもてなくなっています。それは私の私的感覚の問題?スキーマーが発動してるから?彼らの成長がわからないから?なんだろう?いやそうではなくて、共同体感覚を感じるところをオフになってるからなのかな。
学校に対してどこのセンサーをオンにしたら共同体感覚を持てるのかということだと思います。結局のところ、辛いと感じるのは私の問題なのですから。分かってくれないスキーマーに対して引っかかりがでそうなのを必至におさえています。そのときにいままでどうしたか?empty chairもしたけど、「彼らは彼らの仕事があるからしょうがないよね」でした。これもなんか違う。
彼らがだしている「私がここにいてもいいよ」というメッセージを受け取れる状態じゃないです。
あ、わかった。
「貢献感がない」からだ。子供の学校に対して親がなにを貢献できるかわからないから辛いんだ。もっとたぶん動いたほうが自分にとってプラスになるんじゃないかな。動かないことで貢献感がないということを正当化してるんだ。
もっと動こう。前にむかおう。共同体に自然に軽やかに貢献しよう。たとえ仕事で利益相反なことがおきても解決しよう。
そゆことなきがする。
やっぱり外在化することめちゃ大事。
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