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ヤングケアラーの経験から思うこと

ヤングケアラーの経験から思うこと

「ヤングケアラー」という言葉を最近よく聞くようになりました。
自身の人生経験が近年になって、社会問題として取り上げられるようになってきたことに驚きました。
私が当事者だった20年程前はそんな言葉自体なく、ただただ辛い毎日を過ごしていました。
社会問題として取り上げられていること、そして、世の中がその件を改善の方向に向かわせようとしている風潮が経験者として嬉しいです。


今回は自身の経験と、その経験から考えていることを書きたいと思います。


「ヤングケアラー」とは?


法令上の定義はありませんが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされています。

出典:https://www.mhlw.go.jp/stf/young-carer.html


私のヤングケアラー経験


私の経験は…

①小学生の頃から、知的障がいを持った妹の面倒見や責任を丸投げされてきた
②小学生~中学生まで、料理以外の家事を全てやっていた
③高校三年時に祖母の介護手伝い(その後、介護疲れからうつ病を経験)
合計すると5年程でしょうか。25歳で実家と疎遠となったので、人生の約5分の1程度のヤングケアラーの経験。
偶然が重なり5年程で終わったのであって、当時は永遠に続くと思っていました。


①小学生の頃から、知的障がいを持った妹の面倒見や責任を丸投げされてきた。


私の家は当時母子家庭で、妹は知的障がいをもっていました。
そして、妹に関することで何かあった時の責任は全て私でした。

学校帰りの寄り道禁止。基本的に友達の家で遊ぶの禁止(休みの日も同様)。万が一友達の家で遊ぶときは母妹も必ず一緒で、母妹二人が同じ部屋でなければならない。外出はほぼ出来ない。
事前申請で許可があった場合のみうちの家に来るのはOK、ただし、「大声で笑うの禁止」なので(笑うと都度呼び出される)、友達はだんだん来なくなりました。
他にも「お小遣いで勉強のもの以外買うのは禁止」など禁止事項は当時からいろいろありましたが、ほとんど学校⇔家の往復生活でした。


小学校の友達に「もっとユウミちゃんと外で遊びたいな」と言われたり、
「いつもいつも…お母さんに言われてるとはいえ、付き合いが悪いよ!」と言われました。
母に「もっと外で遊びたいな…」と伝えるも

「あんたが面倒見なかったら誰が妹ちゃんの面倒見るの!!!???」
「妹ちゃんはたったひとりの妹でしょ?そんなこと言う(妹を置いて出かけたい)なんてひどいと思わないの!?」
と怒鳴られました。
遊べなくて友達に上記のように言われたことについては、
「(付き合いが悪いと言われるなんて)アンタが嫌われてるからでしょ。アンタはどんな人間からも嫌われる性格をしてるから。人のせいにしないでくれる!?」
”どんな人間からも嫌われる性格”…小学生だったので心から傷つき、思い出しては泣いていました。

悲しくても、母子家庭だから仕方がないのかな…と家事をしながら(以下②で記述)思っていたところ、母は彼氏を連れ込むようになりました。

私は小学五年生ながら、
「この人は妹ちゃんのことを私に丸投げして彼氏とデートしてたんだ!」
と、雷に打たれたような衝撃がありました。
その日は寝る時に大泣きしたのを覚えています。(母の前で泣くとウザいと激怒されるので)


「私が散々、友達の誘いを断ってきたのは何だったんだろう…?」と思いつつも、その生活は続きました。
もともとあまり家にいない母でしたが、母が彼氏を家に連れ込むときは、部屋のドアを閉めて「開けたらぶっ飛ばすからね」と言われていました。


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以下は①の余談です。


そんな母ですが、ある時から妹を囲うようになりました。

妹の障害年金が支給されるようになったからです。
はじめこそ妹は作業所に働きに行っていましたが、暫くして母は妹を家に閉じ込めきりにするようになりました。
母は世間体を気にする人でしたが(「連れて歩いて恥ずかしいガキはいらない」とよく言われていました)、

理由は世間体だけでなく、恐らく障害年金目当てだと思います。

私はその時大学生でしたが、
「障害年金は妹のように障がいを持っている人が社会に出る支援のために税金から出ているもの。」「一生家に閉じ込め切りでは生活習慣病になってしまったり外との交流がなくなってしまうから、障害年金が減ってしまっても外に出した方がいい」(※妹自身が作業所を嫌がっているわけではなかった)」という意見を母に伝えました。

すると、
「私が産んだんだから好きにさせろ!!!」
更には
「あんた今まで妹ちゃんのこと一切面倒見てないくせに!!!!!」

一切…?小学生の頃から母がいないときはずっと見ていたのに。友達に何を言われても我慢したのに。

あまりにショックすぎて思わず母の前で泣いてしまったのですが、イライラされてその後は無視されました。(母がぶち切れヒステリーを起こしても私が話に食いついていると、存在無視され話を強制終了される)

別の日に改めて話したときは
「じゃあアンタが全部ひとりで面倒見なさいね!!!」。
家族に障がいをもった人がいる場合は、家族みんなで協力して生きていくものだと思っていたのですが、25年頑張ってもどうにも話し合いは出来ませんでした。


②小学生~中学生まで、料理以外の家事を全てやっていた。


小学生の頃、本気で「私は家事をするために生まれたんだ」と思っていましたし、「毎日深夜まで家事してたら”過労死”で死ねるかな?死んだら楽になるかな?」と考えていました。(小学生の思考)

厳密にはお小遣い制(〇〇(例:お茶碗洗い)をやったら一日に1回まで10円。紙に日付を書く→月末に計算)となっていましたが、うちの場合は「建前上はお小遣い制で、実際は強制」でした。


小学生のある日たった一度だけ、「今日はテストが沢山で疲れちゃった。お茶碗一回分の10円、お小遣いから減っちゃうけど……今日はそのまま寝ちゃおう」と寝ていたところ、

深夜に帰ってきた母にたたき起こされブチ切れられました。
「なんでやってないの!!!??やるかやらないかどちらかにしろ!!!今からやってから寝ろ!!!」。

「日本あるある」の「外から見たら正統方法だが実はブラックだった」「どちらでも良いよ(ただしやらなかったら分かってるよね?)」という圧力です。(※母は職場ではお局です。)

~中学生までとなっていますが、母が再婚して、家事からは解放されました。

私に家事をやらせていたことが周りにバレると世間体が悪かったのか、「アンタに家事なんて一度もやらせたことなかったでしょ」(毎日やっていたのに…?記録もあるのに…?)と言われ、家事をやっていたことは「なかったこと」にされました。
とはいえ、家事から解放されてまず思ったのが「これでもっと勉強できる!」だったのを覚えています。


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以下は②の余談です。

ちなみに、お茶碗洗いの時にゴム手袋は禁止(「キレイに洗えないから」という理由)でハンドクリームなどは与えられなかったので、子どもながら手はカサカサ、爪は二枚爪でした。


母が再婚してからは家事は母がやっていましたが、私のお弁当箱だけは「あんただけ学生で楽してるから」という理由で洗ってもらえず(自分で洗うのは全然良いのですが、家族の中で私の分だけ…と悲しかった)、
ある日寝落ちて大慌てで朝洗ったら(もちろん素手)洗い方が母の基準に届かず「洗い方が汚い!!!やり直し!!!!!」とキレられ、流しにお弁当箱を投げつけられました。あまりの勢いに跳ね返り、床に落ちました。
お弁当を作っていただいている立場なのだから、前日のうちにお弁当をキレイな状態でその人に渡すのは当然、とのことでした。


素手でも、ゴム手袋をつけていても、キレイに洗えていればどちらでも良いと思うのですが、皆さまはどうでしょうか?


お弁当については、大学生になり母に「お弁当を作るのは大変なことだから、私のアルバイト代から自分で用意するよ?」と伝えると「そういう訳にもいかないでしょ!」と怒られました。
「自分で作るなら許してもらえるかも…」と早朝アルバイトの前に母も分も作り「朝ごはん喜ぶかな?」と考えてみれば、起きてきた母に
「何やってんの!冷蔵庫の中のものは”何日分”って計算して買ってるんだから!勝手なことしないでくれる!?」と怒鳴られ、
なら自分で材料を買えば大丈夫だろうかと思えば、冷蔵庫に入れたその日のうちに
「ねえ!これ邪魔なんだけど!いつ退くの?」と怒られました。
今でも謎です。


③高校三年時に祖母の介護手伝い(その後、介護疲れからうつ病を経験)


私が高校三年時になったころ祖母の末期がんの関係で、介護手伝いをすることになりました。
本来ならば母の兄・母の兄の嫁が介護を手伝っても良かったのでは?と思うのですが、母の兄は祖母と絶縁していたため、うちが金銭面含めすべてやることに。

母は日中仕事で夜は寝なければならなかったため、私は夜担当になりました。介護のため、登校日は全て欠席(減点)。

高校一年時から志望大学のために勉強を頑張っていましたが、高校三年時4月から介護手伝いに集中しました。
担任の先生はこのことを知っていましたが、母がブチ切れる性格のためか、何も言えず。


私は所謂おばあちゃん子で、祖母が大好きだったのですが、介護疲れから「祖母には長生きしてほしいけど、祖母が長生きすればするほど私の人生はどうなっちゃうの…大学は…」と考えてしまい、自己嫌悪に陥る日々。

その頃ちょうど(家族のピリピリを察してか)妹の調子も悪く、妹の調子が悪いため母の機嫌も悪くなる→私にあたる…の繰り返し。

これが永遠に続くのではないかと、本当に地獄のような一年でした。

祖母は末期のがんだったので、約一年で介護生活は終わりを迎えました。介護疲れと、毎日の昼夜逆転と栄養不足(夜はコンビニが多かった)でうつ病となりました。19歳は毎日6時間は自殺のことを考えていました。


ヤングケアラーの経験から思うこと


全ての子ども及び未成年者が「学び」の前では平等であってほしい


家庭によって貧富の差があるのは仕方がないにせよ、
学校で学び、自宅で勉強したいと思ったら勉強できる状態であってほしい。

親によって学び(もちろん、学び以外の面もですが)の機会が失われるのはいけない。家事や育児、介護によって教育の機会が奪われるのはあってはいけません。

「母子家庭だったんだから家事とか面倒見をするのは仕方ないでしょ。そんな家庭山ほどあるよ」と言う方もいるかもしれませんが、
親が大変だからって、子どもを虐待したり、子どもの自由を奪って良い理由には絶対になりません。


子どもの頃はのびのびと遊べる環境であってほしい


きれいごとで難しいことかもしれませんが、子どもたちにはたくさん遊んだ時代を”経験”してほしい。

私の経験ですが、大人になった時に子どもの頃の思い出がほとんどないことはとても悲しく、寂しいことでした。与えられた環境下で最大限努力をしてきましたが、子どもの頃にしか経験・体感できないことは本当に沢山あります。
大人になってからいくらお金を積んだとしても、「子どもの頃の思い出」って、一生買えないんですよ。

国に対して思うこと


未来に絶望しないような国に


増税に次ぐ増税、共働きが必須になれば家事・育児・介護は誰がやるようになるかというと、大人が仕事をしなければならない以上、必然的に「子ども」になってしまう家庭も多いでしょう。

そして、不況になればなるほど、ストレス・負担は、弱い者へ弱い者へ、家庭の中であれば子どもへと向かいます。
子どもたちがそんな状況にならず、未来に対して、大人に対して希望を持てるような国になったら嬉しいです。

教育に対しての予算もどうか削らないでほしい。
子どもたちが充分に学べるような環境を整えれば、長い目で見れば日本の繁栄につながっていくと信じています。

義務教育内でも周知してほしい

義務教育内でヤングケアラー問題にも触れてほしいです。(社会問題化しているので、もう触れているのでしょうか?)
「こういう状態ではないですか?」「こういう時はここに相談してね」等


ヤングケアラーに関係する事件


彼女は成人していますが、この家庭内で子どものポジションであるので、
ヤングケアラーだと思っています。私の頭に強く残っている事件です。


ヤングケアラーの経験がある方は恐らく分かっていただけるかと思うのですが、ヤングケアラーの多くが「一人に押しつけられている状態」ではないでしょうか?
協力者や、民間のサポート等があれば苦しさも違ってくると思うのですが、子どもの立場故に当然そのような知識もなく…難しいです。



おわりに


今回は自身のヤングケアラーの経験・その経験から考えていることを書きました。

家庭内の問題はヤングケアラー問題だけでなく、様々な種類の虐待など問題は山積みですが、本来は心安らぐ場所である「家庭」という場所で苦しむ子どもが、0人になることを願うばかりです。
きれいごとかもしれませんが、本気で思っています。

私の「子どもの頃の思い出」は二度と手に入りませんが、これからの子どもたちは、たくさんの思い出を抱えて大人になっていけますように。


2022年1月24日 フェイクスイーツクリエイター ユウミンカフェ


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