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人は知るべき力量の時にそれを知る

 必要だと思った時、重要性を感じる教養があるときにその物事を知ろうとします。

例えば、小学校低学年の時、政治なんてどうでもいいでしょう。政治のニュースが流れたとしても、そのニュースは自分にとって必要な情報ではないので頭に残らず、一瞬で忘れます。

それが、就活生や社会人になったらどうでしょう。社会や面接の場面で政治のニュースの話題を出されるかもしれませんし、小論文を書かされるかもしれません。そのために一生懸命覚えます。

自分が必要だ、と思うとき、その物事を覚えようとするのです。

そして、自分にとってその情報が必要だと思うことは、ある程度の視野や教養、タイミングが合わないとやりません。
例えば、就活に置いて政治のニュースが話題に出されるかもしれない、小論文に出るかもしれないという教養が必要ですし、それを知ることは自分の就活が始まる前でしょう。また、政治という物はどういう物かということや何故その話題を出すのか相手の意図を探ろうとする教養が無いと、何故就活においてその話題が出るのか理解できません。

他には私も、この人の言っている意味が分からなかったけど、今ではわかると思うことがあります。
例えば、物事に批判的な人を見て、「この人は何を言っているのだろう、近づかないでおこう」と思いますが、その意見を受け入れる程度の知識や教養があるとその話を理解することが出来る…と具体例を出した割には抽象的でしたが、そう思います。

知るべき力量、というのは今流行の言葉で言えば自分のマインドでしょうか。
自分の人格から好き、興味がそれぞれ出てきます。

上手く書けませんが、「自分が運がいい」と思っている人は道に落ちている100円玉を見つけられるけど、「自分は運が悪い」と思っている人は道に落ちている100円玉を見つけられないというように、
自分の気持ち次第で視野が広がったり物事を知ろうとしたりします。

自分が見たくない情報は見たとしても知らなかったこととして知ることもなく右から左に流れてしまいます。
例えば、「ネットでは人はナルシスティック、サディスティックになりやすい」という情報を自分が見たとします。でも、その情報が自分にとって必要でない、不快、都合が悪い場合、自分がネットを活用している時にはすでに忘れるのです。

後から、なぜこの物事の重要性に気づかなかったのかと思うこともあるとお思いますが、それは過去の自分には必要性を感じる力量が無かったからだと思うのです。


結論は、情報選択をしている時は自分の状態が表れているという事です。

上手く書けませんでしたが、ありがとうございました。

冬譜

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