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教えるということ

教師の仕事について7年目

色々な体験・経験をしてきた


でもでも、悩みは尽きませんね、、、

日々勉強の日々です

今日はその中で見えてきた新たな悩みについて考えてみようと思う




もろ教師としての僕のあがき






でも、悩み?というか課題と一口にいっても、前に比べると随分と変わってきていると思う



初めの方は1つ1つの「方法」がわからなかった


どうしたら、話を聞かせられるのか、ノートが綺麗に書けるようになるのか、すぐに1列に並べるのか、クラスで喧嘩が1つもなく1日を過ごせるようになるのか

そういった、ただ、1日を平穏無事に終えるだけのスキルが圧倒的に足りなくて、問題を解決できる「方法論」を探る日々だった

でも、それは当然で、各教科のねらいや、授業の作り方は教わっても、余った給食の配膳の仕方であるとか、みんなが納得する委員会や当番の決め方なんていうものは大学では教わってきてはいないからだ

ただ、大学は「職業訓練学校」ではなく「学問をする場所」なのだから、いわゆる実践知は実際に仕事につき、経験を積まないといけないものだと思う。そういう意味では当たり前の悩みだった


もちろん何がよりよい指導なのかという疑問について明確な答えは見つかるわけもなく、日々手を変え品を変えつつ試行錯誤の日々ですけれども、、


ただ、社会に目を向けるとそうこうしている間にも本当に大きな変化があった




学び方が多様になり、学校だけが学びの場所ではなくなった。

知識を問われるだけの問題は見られなくなった


「言われていたことを忠実に」をできる人材は、「指示がないと何もできない」と言われるようになり、

「言われたことに疑問をもつ生意気な人材」は、「新たな価値を生み出す」人材と見方が変わった







「僕らは何を教えればいいのか」
そして、それはすなわち


「なんのために教えるのか」



これが最近の僕の課題です





教えるってことにフォーカスしてみる

主に僕らが育んでいく子どもの資質・能力は3つある

・知識、技能
・思考・判断・表現
・学びに向かう人間性


どれもこれもとっても大事なことだと思うけれど、特に大切なものは何かって考えてみる

「知識・技能」

これは、言葉の通り、日本の首都は東京のような知識や、跳び箱を開脚とびでとぶ時に使う技能などのこと
これは学校以外でも習得しやすいものじゃないかなって思う。学習塾でもそうだし、いわゆる「AIドリル」は一斉授業で教えるよりも何倍もの効率で知識の習得を促すことができる、、らしい

「思考・判断・表現」

 知識と知識が結びついて、新たな課題を解決したり、価値に気づいたりする力。いわゆる「活用」する力。これは、ペーパーテストでは簡単に評価することができないって自分では感じてる。ただ、これも、AIによる自動採点が進んでいるし、子どもの思考を促すようなカリキュラム作成が、自動生成されるようなものができることはそんなに遠くない未来に訪れるんじゃないかなって思う

じゃあ、一番大事なものは何かって考えると、、、



それは

「学びに向かう人間性」




何はないかなって思う

結局のところ、答えのない、自ら課題を解決していかなければならない世の中にあって、心が折れることなく、楽しみながら試行錯誤してく力。そのマインドっていうのは大前提としてもっていないと困るものじゃないかなって思うし、逆に言えば、そこさえもっていれば、その他の力って勝手についてくんじゃないかなって思う。もちろん発達の段階的に「習得のしやすさ」は大事だとは思うけれどね


書いてみると、僕自身の理解もまだまだ曖昧だなぁ、、
勉強しなきゃ、、



と、まあそれは置いておいて、要は、「学びに向かう人間性」こそ、僕らが一番子どもたちにつけていかなきゃいけないものなのじゃないかなって思うんですよね


じゃあ、それって、どういうこと?
そういう力をつける授業ってどんな授業?

って考えてみようと思う




話は変わるけれど


皆さんは「学校」の思い出は?と、聞かれてどんなことを思い返すだろうか

部活、友達と遊んだこと、会話、、、、多くはそういうものだと思う





だが、学校で過ごす時間の大半を占めるのは言わずもがな、


「授業」



である。



なのに、そういった思い出はほとんどない。僕自身もそう。。


覚えているとすれば、いかに眠たい授業の時間を楽しく過ごすか、寝ているのをバレないように誤魔化すか


そんなことばかりだ



「それもいい思い出じゃん」「学校は勉強を学ぶことが全てじゃないよ」



なんて風に僕も思ってた



でも、教える側になって思う


退屈な授業って「罪」だなって


そして、そこに、さっき言った

「学びに向かう人間性」を育む授業の形があるんじゃないかなって思う



簡単にいうと

子どもの心に「火」をつける授業

そういうものなんじゃないかな



じゃあ、どんなものかっていうと

別に美しい必要はない、泥臭くても何でも、子どもが前のめりになって考えるような、そういう中で周りとやりとりをしたり、自分で悩んだりしながら課題にみんなで挑んでいくような


そんなものじゃないかなって思う




いい授業って言われるものってたくさんある

ただ、品がいい授業、いや、「ただ品がいい授業」はもはや時代にそぐわないんじゃないかなって思う


全員が姿勢良く座っていて、手がきれいにあがって、子どもの言葉から中心概念が出てきて、、、


そんな形に拘っている文化って、学校にはあると思う



でも、形なんかどうでもいい

必要なのは「子どもがいかに頭を働かせていたか」「考えた!って満足感を味わうことができているか」


何じゃないかな





リセットしよう


今までの固定概念を捨てよう



考えよう


これからの社会のありようを


そして、そこに暮らす人々を






今後の数年が、この先、50年、100年を決めるんじゃないかって僕は感じてる





みなさんはどんな社会になっている思いますか?



今日はこれでおしまい。

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