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絶対的な悪役は主人公と協力しないからこそ、魅力があると僕は思うんだ。-ハーフ大学生の日記

 読者の皆さん、こんにちは!
先ほど、「明け方の若者たち」という本を読んで、震えが止まらないハーフ大学生ことYuukunです!

 昨日、カツセマサヒコさん作の「明け方の若者たち」買って、先ほど読み終えたのですが、震えが止まらないですね、はい。
まだ、社会にも出ていない若造の僕が、こんな本を読んでもいいのかと思いつつ、「面白そうだな。」と超絶単純な気持ちでこの本を買ってみたところ、衝撃を受けましたね。

とりあえず、本のレビューはいつかnoteで書くとして、僕と同じ大学生の人はこの本をオススメするので買ってみてください!面白いですよ笑

 ってなわけで、今回は「悪役は主人公と協力しないからこそ、魅力がある」について書いていこうと思います。

アクション系の漫画やアニメにおける絶対的な悪役ポジションって、必ず1人はいると思うんですよ。めちゃめちゃクズで、頭のてっぺんから足のつま先まで、もう”悪”という絵の具ですべて塗りたくられたような奴。そんな奴って、一周回って魅力的に感じると僕は思うのですよ。

 僕的な絶対的な悪役の魅力というのは「強く誰にも救うことのできないほどに悪であり、カリスマ性を持つもの。」であると考えております。この魅力は、主人公とは完全な敵であるということが大前提なのですよ。

主人公はそんな悪役に仲間を倒されたりして、めちゃめちゃ怒って、悲しんで、新たな能力を覚醒して戦う。

少年漫画におけるテンプレ中のテンプレ。そして、いつの日か主人公たちだけじゃ、かなわない敵が出てきて窮地に陥る。そんな状況から、颯爽と絶対的な悪役ポジのやつが助けに来る胸アツ展開、最近多い気がします。

ここで僕はいつも、「なんでそうなるかな~?」と心の中で思うのです。

皆さんは思いませんか?
あっ、思いません?

それでは、具体例を1つ挙げましょう。

 僕は幼少期の頃から兄の影響から漫画とアニメの「ドラゴンボール」が大好きでした。漫画はもちろん、1巻~42巻までしっかり読んでおります。
(ちなみに、僕は魔人ブウ編の悟空VSベジータが好きです。笑)

そんなドラゴンボールでは、常に悪役が出てくるのですが、大体は本当に自分勝手な敵が多いです。

しかし、僕的にこいつこそドラゴンボール界におけるカリスマ的で絶対的な悪役が一人いるんですよ。



誰だと思いますか?



この記事の画像で分かった人はいると思いますが、
そうです!

フリーザ様なのですよ!

 このフリーザ、宇宙人でめちゃめちゃ悪い奴の中でも悪い奴なのである。というのも、ことあるごとに気に入らない星は滅ぼすか、侵略して売りさばく。しかも、自分勝手で部下をゴミとしか見ておらず、気に入らないのは殺したり、宇宙船外に吹っ飛ばしたりと...。
(清々しいほどの悪ですね!)

さらに質が悪いこととして、こいつはすっごく強いのである。何回も形態変化をして、ことごとく主人公たちを苦しませ、最終的には主人公のライバルや親友を殺していまうのである。

これほどまでに、読者を絶望的な感じにさせ、憎まれるフリーザという悪役は、まさに「絶対的な悪役」として幼い僕の心に刻まれたのである。

それから数十年、僕のフリーザ像は変わらず、「絶対的な悪役」としてのポジションは揺るぎなかった。

しかし、事態は急変するのである。
(※ここから先はドラゴンボール超に対して、僕なりの否定的な事を書いております。ご不快に感じる方はご遠慮ください。)

 僕の幼少期を楽しませてくれたドラゴンボールは、現在までに何度かリメイクされ、映画化、アニメ化と人々の人気は衰えることなかった。
そんな時に、ドラゴンボールZの次回作的なものとして「ドラゴンボール超」と呼ばれるものがアニメ化され、全国に放送されることになる。

 筆者の僕も楽しく見ており、高校生活や大学生活が忙しくなると、見れない時もあったが、時折見ていた。

そんな時、「宇宙サバイバル編」というものが放送されることになる。
これは、簡潔に言えば「主人公たちが住む、宇宙以外にも多くの宇宙が存在し、その数ある宇宙の中から宇宙最強を決めるためにトーナメントを開催する」という何ともぶっ飛んだ流れにである。

 主人公陣営が属する「第七宇宙」からは続々と出場選手が選出される中、出場予定の選手である1人が、冬眠とかいうふざけた理由で欠場となってしまう。(未だに、筆者はこれに納得していない。)

そんな欠員をどう埋めるか、考えていたところ主人公がとんでもない暴挙に出る。

「フリーザを呼ぼう!」

この時の僕は「え?なにいってんだこいつ」と本気で思った。
その後、本当にフリーザは主人公サイドの”仲間”として参戦することになる。

この時、僕のフリーザ像にピキっと小さな亀裂がはいったのである。

さて色々と端折り、いよいよ最終決戦になった時、主人公一人ではどうしても倒すことのできないボスが出てくる。
そんな時に、僕の永遠の悪役像であるフリーザが主人公と共闘することになってしまう。

この時、僕の中では
「やめてくれ、お、俺のフリーザ像を汚さないでくれ...。」
と悲痛な叫びが上がっていた。

そりゃそうだ、幼少期に漫画で見たあのカリスマ的な悪役、悪の中の悪であるからこそ魅力的なフリーザが、目の前で相対する主人公と協力しているのである。悲しくいられないはずがないであろう。

 また筆者は厄介なことに、マキシマムザホルモンというアーティストが好きでもあり、ホルモンの曲の中に「F」というフリーザの事を歌っているものがあるため、より一層フリーザへの愛があったのだ。
(よかったら聞いてみてほしい、いかにフリーザが悪い奴なのかわかると思う。)

 この悲しみを例えるなら、ずっとファンだった推しのアイドルがある日、突然結婚してしまう。そんな時に発言する虚無感といっしょなのである。
(よくわからない例えだったらごめん。でも、通じるよね?笑)

「お、お、俺の悪役が...。」

僕のフリーザ像は粉々に消し飛んだのである。主人公とは絶対に敵であるという僕の「絶対的な悪役の理想像」は、主人公と協力するというありがちな展開で、跡形もなく消えたのである。

ちなみに、YouTubeでこの共闘動画を見ることはできるのであるが、コメントを見ると

「鳥肌が立った。」
「この展開は胸アツ!」

といったコメントが溢れていた。
「え~、僕がマイノリティなのか...。」
僕と同じ意見を持つ人がおらず、悲しくなった...。

 そんなことがあり、僕の絶対的な悪役 フリーザは僕の中で普通の悪役として格下げしました。作品に対しての批判をするつもりではないのですが、あの展開には僕はこれから先も納得することはないと思います。

やっぱり、魅力のある絶対的な悪役というのは、主人公に倒されて、そこでおしまいにした方が良くて、僕みたいに変な理想像を持った人間ががっかりさせないようにしてほしいです。笑
(かなりのわがままである事は承知しております。笑)

 冒頭でも書いた通り、僕的な絶対的な悪役の魅力というのは「強く誰にも救うことのできないほどに悪であり、カリスマ性を持つもの。」であると考えており、これこそが彼らの魅力であるため、安易に続編を作ってはいけないのであると思います。

 さて、長々と僕の悪役論を書いてしまいました笑 
最後まで読んでいただきありがとうございます。
僕の理想像にあう、次の悪役は果たして出るのか...笑
これからの作品が楽しみです笑

そんなわけで、今回はここまで!英語の勉強でもしてきます笑
それではみなさん、ADIOS!

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