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喜びと不安。~初めは、みな天才と言うけど〜

家に帰ると入浴中の妻と子ども。
手を洗ってるとお風呂から呼び出しが。
迎えにいくと、いつものアヒルのジョウロでお湯をバシャバシャ。
うん、今日も楽しかったんだな。

着替えは最近、“着替えさせる”から“着替える”に。
ただ、シャツを足から通そうとする困ったちゃん。
しかも、わざと。
注意しても面白がるので、たちが悪い。

あれだけ自分で、自分で、と言いながらもズボンだけ履くと飽きて大人しくシャツを着替える。
子どもあるある。

夕飯の用意をする間、妻が子どもと2歳児向けの問題集をしていた。
イラストを次から次へと答えていく子ども。
「天才じゃない!」
妻は言う。
世の親は子どもが生まれて初めは何度も「天才」という言葉を使うのではないか?
一体いくつまで言葉に出すのか?
それがいつの日か、
「うちの子が大谷翔平くんだったら」
「うちの子が藤井聡太くんだったら」
なんてことを言い出す人もいる。

本気でそう思ってないと思うが口にだすだけでも、あの頃天才と呼ばれた子どもはどう思うか…


自分には子育ての理念のようなものはハッキリしない。
ただ、親の後悔を子どもの人生に託すのはお門違い。

今は正直、その日その日がいっぱいいっぱい。
それでも真っ直ぐな目でこちらを見てくれる子どもに真正面から受け止められるようになっていきたい。


子どもの可能性には希望がたくさん詰まっている。


寝る前、ソファにベロで○を描き続ける子ども。
そして自らティッシュを取って拭いてる…
「奇才だー」







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