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【ふせん】センスは知識からはじまる_#026

概要

書評というほど本全体に対する批評は薄く、
読書感想文というほど総合的な感想ではない。
気になった言葉に対して感じたことを「ふせん」として書き記すシリーズ。

センスは知識からはじまる


気になった言葉たちと感想など

「センスのよさ」とは、数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力である。

センスは知識からはじまる

「センスがいい」のひとことで片付けてしまいたくなる場面は多々あるが、本書はこの曖昧にされがちな「センス」と論理的に向き合っている。
より多くの人に「なんとなく良い」と感じさせるものがセンスがいい状態と仮定すると、この一説のとおり最適化された状態こそがセンスがいい状態であり、最適化する能力がセンスだといえるだろう。


普通とは、「いいもの」がわかるということ。  普通とは、「悪いもの」もわかるということ。  その両方を知った上で、「一番真ん中」がわかるということ。 「センスがよくなりたいのなら、まず普通を知るほうがいい」と僕は思います。

センスは知識からはじまる

なにもないところからアイデアを出しても、それは既存のものと同等であったり、独創的すぎてもセンスがいいという評価にはなりにくい。
理論的にセンスを求めるのであれば、アウトプットの前に一定のインプットを行うことが重要なようだ。


それなのに旧態依然として「まず市場調査ありき」という日本企業は、あえて新しいものを生まないように努力しているかのようです。

センスは知識からはじまる

前述の話と少し対立しているようにも見えるが………。
インプットは日頃から意識しておいて、動くべき時にすぐにアウトプットできるようにしておくべきであり、日本企業はそういった初動が遅いという話だろうか。
「伝統」という考え方もあり、なかなか新旧の織り混ぜは簡単なことではないと思うが、新しいものをインプットすることも大事にしたい。


新しいものに接した時、過去のものや過去の知識に照らし合わせて考えるのが自然だということです。

センスは知識からはじまる

これまでの知見があることで、目の前の新しいものがこれまでとどう違うのかを分析することができ、このギャップを見つけ出す観察眼が大事なのだろう。
また、過去は過去で、ここに強く縛られないように目線はこれからの未来に向けるべきであることも覚えておきたい。

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