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入院生活14

やや、久しぶりだが文章を書きたくなったので、書くことにする。
今日のテーマは受け入れるということだ。
あなたは誰かを受け入れたことはありますか。
僕はこれまで、入院生活を通しても沢山の人の考え方を受け入れてきました。親、医者、看護師、先生、友達…
自分と異なる考え方を受け入れるとはかなりしんどいことだと振り返ってそう思います。
入院生活で出逢ったバングラディシュの女性は僕にコーランを読むべきだと勧めてきました。コーランが一番大切な書物でそれさえ読めば大丈夫だと。だけど、それはイスラム教の考え方で、僕は受け入れることが最初はできなかった。でも、すぐに、彼女の社会的背景を理解することによって、イスラム教の考え方をも理解することができるようになった。あなたは何を信じているのと尋ねられ、臨床実習生は日本人は宗教に真面目じゃないんだと返していた。僕もそう思ったが、僕は信じているものがないわけではない。僕は科学を信じている。
I believe in science.
ここで多くは語らないが、僕は全ての物事が科学に見える。時空を扱っているその時点で。
と前置きはこれぐらいにして、本題に入ろうか。
僕は今日からやっと再び外の世界に触れることができるようになった。部屋移動で窓側の場所じゃなくなってちょうど退屈していたころだったので、ちょうどいい。これは前の入院のときの話なのだが、僕は病院を探索した。そこで、僕は1階が一番下だと思い込んでいたのに、なんとびっくり地下1階があったのだ。受け入れるということはどれだけ自分が下から相手を見るかということ。つまりどれだけ相手を上に立たせるかということだと僕は思っている。そこでだ、僕は地下1階のみならず、実際存在しなかった地下2階を心のシャベルで掘った。その後地下3.4.5…と続けて掘っていった。そして数千回掘った先に辿り着いた場所は地球の裏側、ブラジルだった。だが、ずっと日本から地下を掘り進めて来たわけだから、そこは僕にとっては日本といっても差し支えないはずだ。だが、そこで出逢った人がそこはブラジルと言った。ということはそこはブラジルなのだ。それを信じる。それが、受け入れるということなんだと僕は思う。
僕は地球が球だと思わない。
君は山を見たことがあるかい?どう考えても地面が凸凹になっているように見える。これのどこが球だというのだ。でも君はそれを信じているんだろう?
地凸凹と地球でもどちらも僕はほしと呼ぶ
どうかな。素敵な言葉だと思わないかい?
おなじこのほしに生まれて良かったね。
おたがいに受け入れることができれば、もっといいほしになるのかな。

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