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太鼓先生

小学生のころ、芋くさいジャージを“みぞおち”あたりまで上げ、黒い髪をふたつに結って、デカイ黒縁メガネをかけて、毎日片手に太鼓を持ったかなり古風な先生がいた。


なんの脈略もなく、小学生くらいの記憶がズンっと現れることがある。しかもわたしは限りなくどうでもいいことを色濃く記憶に残すクセがあるようだ。



太鼓先生は担任ではなかったが、合同授業で一度だけ体育の指導を受けたことがあった。当然、終始太鼓を鳴らしていて、いつもと違う違和感と大きい音への嫌悪感を抱いていたのはどうやらわたしだけのようだった。


授業の終わり際、太鼓先生がドン!っと叩くと座り、もう一度ドン!っと叩くと起立するという謎の儀式があった。

ドン!ドン!立つ!座る!のペースがだんだん早くなっていって、立つ座る立つ座る…と皆必死についていく。



当時のわたしはそれが気持ち悪くて怖くて仕方がなかった。皆なんの疑問も持たず、一心不乱に太鼓の音に合わせて立つ座るを繰り返すのだ。

わたしは、くだらねえ!やってられるか!とその場で棒立ちを喰らわせるほど度胸のある人間ではない。
指摘されない程度に控えめの「はあ?ダルぅ?」って顔をしながら、ダルそうに音に少し遅れて立つ座るを繰り返すしかなかった。



太鼓先生の太鼓指導、あれほんとうに何だったのだろう。
小学校という集団生活を成り立たせるためには、太鼓の音ひとつで生徒たちを一様にコントロールする必要があったのかもしれない。先生なりの教育方針だったのか。



そういえば長々と謎の詩なのか格言なのかを暗唱させ、毎朝唱えさせていた先生もいた。その先生も、ドヤ顔で唱えるそのクラスの生徒たちも非常に怖かった。



小学生のころから、理由もなくルールで縛られたり足並みを揃えさせられることが苦手だったんだなと思う。

つくづく、学校という同じ方向を向いて同じペースで行進しなければならない環境って相当しんどい。今26歳のわたしの心持ちで小学生に戻ったら3日でダウンするだろう。

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