私はダサい奴が嫌いらしい
私は昔から“ダサい”奴が嫌いだ。
自分の中でこの“ダサい”の定義ができていなかったのだが、最近1つわかったことがある。
それは「安全な場所から大きな口を叩く」ことである。
自分は安全な場所から一歩も出ていない・何もしていないけれど、行動しているような人に対してあーだこーだ偉そうに文句を言ってる人はよ〜くいる。
ツイッターでインフルエンサーを攻撃している人なんてほとんどそうなのではないかな?
思えばこういう人って小学生くらいの頃から絶対いるものだったような気がする。
「自分はこれが嫌だ」とか「これがやりたいんだ!」みたいな自分勝手な人よりもむしろ、
そのような強い人の影に隠れながらヤイヤイ言っているような人の方がなんだか私は昔から嫌だったかもしれない。
高校生の頃、生徒会長に立候補した女の子が一部から叩かれていたのだけど、そういう強い波にとりあえず乗っかっていた人たちにどうしようもない憤りを感じたのはきっとそういうことだ。
出る杭はビックリするほど打たれる。
人と違う動き、チャレンジをする人はなんやかんや言われるものだ。
時にはその心ない言葉に惑わされ自信を失うことが多々あると思う。
でもよく考えると、その心無い言葉をかけてくる人は何かにチャレンジしていたか?何を成し遂げていたか?
とはいえ、私自身がそれを確実にやってこなかったかと聞かれるとそうではないかもしれない。
自戒をこめて、「安全な場所から大きな口を叩く奴が嫌いだ」と言っておく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?