なぜ私は高校サッカーに惹かれるのか
第97回 高校サッカー選手権が終わった。
最後までやっぱり強かった青森山田が見事優勝🏆。
優勝が決まった瞬間、ヒザから崩れ落ちて泣いていたのは青森山田の選手たちの方だった。
22年連続という史上最多出場記録を保持し、二年前の選手権優勝などという王者のプレッシャーに解放された瞬間だと私は受け取った。(泣)
一方、昨年の決勝戦からずっと応援していた流経大柏の関川郁万くん。
昨年は決勝戦で前橋育英に敗れ準優勝。
それから手術やリハビリの後、夏のインターハイでは全国出場を逃すなど幾度の苦労を乗り越えてきた。
選手権決勝の場に戻ってくるため、そしてリベンジを果たすためだけに全てを賭けてきたと言う。
準決勝の瀬戸内戦で大勝した際も、気を緩めることなく決勝戦だけを見つめていた。
今年は絶対にリベンジしてほしい!そう思って応援していたのだが、1-3で青森山田の勝利。
その“終わり”はあまりに儚く感じた。
関川くんだけではない。高校サッカー選手権では、三年生は試合に負けてしまった瞬間引退が決定する。
三年間ともに戦ってきた仲間たちとプレーできる最後のチャンスなのだ。
選手権が終わり卒業をすれば、それぞれ次のステージへと進むことになる。
Jリーガーになる人、大学に進む人、就職をする人、いろいろだ。
それが高校サッカーの儚さであり、醍醐味でもあると私は思う。
“儚さ”は侘び寂びの文化として日本人が古くから親しんでいるもの。
私の解釈だけれど、私たちがその“儚さ”に心惹かれる理由はそれを決して悲観的なものとするのではなく、受け入れ、むしろ時間の経過に美しさを感じることのできる日本人特有の感性を持っているからなのかも。
そして、選手それぞれが次のステージで活躍している姿を見ることが、その“儚さ”をさらに前向きで輝きあるものへと彩ってくれる。
それが私なりに解釈している高校サッカーの魅力だ。
関川郁万くんや、高校サッカー選手権でプレーしたすべての選手の未来が楽しみ!
(関川くんのヘッドを生で観れてよかった!)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?