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お金の価値は金額の何倍にもすることができる

借金で喉元にナイフを突きつけられて死ぬ気でビジネスを立ち上げようとしていた最初の頃の話だが、金を出すから愛人とかセフレにならないかみたいな事を言われた事がある。
ハラワタが煮えくり返り、骨の髄まで怒りがしみわたるような、もうモツ鍋とテールスープでもできそうな勢いで怒り狂った。

いや、金は欲しかった。
だって「明日までに50万円払わないと家を取られるんだけど」と母が電話かけてくるような状況だった。
金は欲しかった。
だが、お前に買われるなんて我慢がならん!
40万円くらいとか言われてさらに腹が立った。

うちに借金いくらあるか知ってんのか。
まあ安心していいよ、億はないはずだから。

最低でも1000万円からですな。
最低入札価格ですよ。それなら考えましょう。

そして、固く誓った。
お金は受け取らない。商品の販売以外でのお金は絶対受け取らない。

ここら辺の顛末は過去のnoteに山ほど書いてある。

そして、紆余曲折を経て、今度は自分のビジネスを立ち上げ会社にして売上も着々と伸び(まだ利益が伸びるところには足りてない)、少々のお礼をあちこちにすることができるようになってきた。

もちろんお礼的なものは現金を渡すことはないけれど、それを贈る事で全員がちょっとずつプラスになるものを贈ることを心がけている。

単純にまだお金はたくさんない(一文無しとか無一文とかいわれる)ので、少ないお金でも最大の効果が発揮されるように工夫している。

お取り引きの商品を別のお取り引き先のお礼に使うのが一番多い。
友人たちとは飲み会よりも、お取り引き先でもある各地の美味を振る舞う会を催したり。

お取り引き先の商品をよりたくさん購入できることは、お取り引き先へのお礼でもあるし、それを友人知人のお世話になった方にお贈りするのは広告にもなるし。

モノというより、行動で示していくのが一番。

その場に行くことや、商品を購入することが一番(相手にとって)価値がある事だと思ってる。
私が億万長者なら話は違うのだろうけど、まだ数万円しか自由に動かせないから、そのお金でできる最大の価値を探していく。

それは結局、行動なんだと思う。「買う」というのは、行動だ。

お金のやりとりだけを見てしまいがちな買うという行動を、金額の何倍にも価値を膨らませることができるはずだと信じて、現時点でのベストを選び続けていく。

私のところにきたお金はみんなのために価値を何倍にも膨らませて送り出せるようにしたい。
それは、結局行動でしかなし得ないことだ。どうやればいいかわからないという事もあるかもしれないけれど、自分のできる行動は相当少ないから、結局選択肢もそれほど多くないので悩む必要はない。
誰から買うのか、その商品を一番喜ぶのは誰か、適切な量はどのくらいなのか、今送ってもいいのか迷惑なのか、いくつかの条件が合った時だけお贈りする。
使えるお金も少ないから、お礼をお贈りする相手は厳選!

借金に押し潰されそうになったおかげで、わずかなお金の価値を徹底的に膨らませてビジネスを立ち上げる事ができた。
ビジネスはお金を使って価値を膨らませてお金を増やす仕組みだから、理にかなってた。

だから、私のところにきたお金は、全員にとって価値あるものになり、金額の持つ価値を何倍にも膨らませて送り出したい。
お客さんにも、お取り引き先にも、お世話になった人にもなるべく多くを届けたい(相手の負担にならないというのも価値のひとつだと思ってる)。

これは借金に追い詰められたから得た体験だった。
お金の価値は金額の価値ではなくて、金額の何倍にも、あるいは何分の一にも、増えたり減ったりする。
そういう加工ができる。
そのことを知ったし、体験したし、加工方法にもアタリがついた。

商売は、人の心に触れる機会が多い事が楽しみのひとつだけど、もうひとつの楽しみはこのお金の価値を金額の何倍にも膨らませる遊びが何回も体験できるって事だ。

(私は運良くお金の道筋を立てて借金から逃げだせたけど、逃げだせない人の方が多いと思うから、借金は背負わないようにとアドバイスはしておきます)

ホテルでパーティ開くのもいいのかもしれないけど、もっとお安い金額だけどみんなが幸せになれる事を今できる範囲でやること。
いつかじゃなくて、今やる事。
それができることは、ほんとにありがたい事だなと思います。
前は全然できなかった。

もし今後、大金持ちになったら、……札束銭湯でもやりましょうか。(発想が貧困)

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つよく生きていきたい。