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手のしわを見て思うこと


祖母に何もできなかった


幼い頃、私は兄弟の中でも一番祖母に構ってもらっていたと思う。
祖母の膝の上に座るのが好きで、膝に座るとほのかにお香のいい香りがした。祖母は、手先も器用で、何でも手を動かして作る人。
日記もずっとつけ続け、日々を丁寧に生きる人だった。

祖母が80代になり、認知症の症状が進み、独居するのも難しい状況に。
高齢者施設(特別養護老人ホーム)に入所することになった。

私は、その時20代後半。幼い長女を抱えて、時々施設に会いに行く。
会話もかみ合わず、私の名前も忘れてしまった祖母。
祖母にしてもらったことは山のようにあるのに、結局顔を見せることくらいしかできない。日に日に衰えていく祖母の姿を見ると何もできない無力感に襲われた。

30代は、夫の仕事に帯同し、2、3年おきに引っ越しをする転勤族だった。
その間に次女出産。夫も仕事が忙しく、家事は私に任されている。仕事で自分のキャリアを築いていくのは難しいと感じていた。
だが、ワンオペに近い育児をする中で、社会とのつながりを無性に求めていた。

『転勤しても主婦として暮らしの中のスキルを活かす仕事って無いだろうか…』

そう思った時に祖母の顔を思い出す。

私に「介護のお仕事」ってできないだろうか


人の命に係わる仕事だから、そうそう簡単にはできないことも理解できる。
でも祖母の様子を見ていて何もできない自分が歯がゆかった。認知症を知らないから、どう接すれば良かったのか分からなかったから。
それが家族であれば尚のこと。変わりゆく姿を正面から直視するのは辛い。

その辛いと感じていた視点を変えることは出来ないか。介護現場でプロとして、目の前の相手と関わっていきたい。そう思うようになった。

資格取得と現場での介護

週末、幼い子供たちを両実家に見てもらい、ホームヘルパー2級(現在は介護職員初任者研修)の勉強を始めた。介護の基本を座学と実技で学び、実際の施設に足を運んで研修を受けて資格取得した。

当時、子育ての中で出会った方に、訪問介護の会社を紹介していただき、子どもが幼稚園に通う間、訪問介護のお仕事を始めた。1人住まいのご家庭に入らせてもらい、限られた時間の中で生活を整える主に生活援助の介護。プライベートの空間に入るので、最初は心を開かれなかった方とも何度も顔を合わせるうちに、昔のことを話してくださるようになったり、今のお困りごとを聞かせていただけるようになったりと少しずつ信頼関係を築いていけた。

その後、認知症デイサービス施設での仕事を始める。送迎から、日中の日常生活の援助、入浴や排せつなど身体援助を行う仕事だ。認知症の症状も人それぞれ違う。その方に合わせて寄り添うケアをチームで仕事をする中で学ばせてもらった。

介護は皆で支え合わないと成り立たないと実感した。認知症デイサービスの現場での実務も3年経ち、介護福祉士受験の機会をいただいた。試験を受けて国家資格を取得した。

介護福祉士になってから

今度はより暮らし全般をサポートする認知症グループホームでのお仕事にシフトしていった。
日勤と夜勤と3交代、24時間体制で一人一人に合わせた介護をしていく。アセスメントにそって看取りまでのきめ細かい介護を実践の中から学ばせてもらった。

私は三女の出産のため、1年育児休業を頂いた。その間、コロナ禍。私はその渦中、育児に専念させてもらった。

復帰後、介護現場も状況が一変していた。顔の表情を読みながら、相手と会話をしていたのに「マスク」で目しか見えない。もともと地声が通りにくいこともあり、「えっ?」と聞き返されることも多くなる。

認知症の人とどのように接していけばいいのか、どう関わればいいのか。
「今の私に何ができるのか?」介護のプロとして現場に立ってはいるけど、祖母を見送った時の無力感に近い感覚に襲われた。

変化が訪れるとき

そんな中、三女が救急搬送された。
夜中に熱性けいれんを起こして1時間近く意識のない状況が続く。長女や次女にはなかったことだったから、慌てていた。子育ての経験を重ねても、自分の中で経験のないことが起こると、冷静さを失ってしまう。

この出来事も一つのきっかけとなって今後を考える機会になった。復帰まで現場にはいろいろサポートしてもらったが、退職の意思を伝えた。

私の介護福祉士としてのキャリアは、一旦ここで終わる。今こうして振り返ってみると、色んな人のご縁やつながりで働かせてもらっていた。ご利用者様、ご家族様、先輩職員、他職種の職員から教わったことは私の財産になっている。

道半ばだが、確実に言えるのは、認知症になった祖母を目の前にした時の私とは違うということだ。

手のしわは刻まれていく

幼い頃、膝に乗せてくれた優しい祖母の柔らかい手を思い出す。

人生折り返し地点。

年齢が少しずつあの日の祖母に近づいていくにつれて、私の手にしわが刻まれていく。
タイピングする手を眺めながら、今後は、このnoteにも少しずつ介護に関することも書き記していきたい。



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