見出し画像

就職の神

ハロワで障碍者向けの就職説明会があると言われて名古屋まで行ってきたのが先週か先々週だった。通称ウインクあいちと呼ばれる、愛知県産業労働センターはJR名古屋駅の桜通口から歩いて5分もしないところに建っている。

俺はだめな人間なのでこんな時期にマスクを忘れて名古屋まで出てきてしまった。「もうだめだ」と思い隣のパチンコ屋に入る。薬局で買おうにもマスクが600円もする。「意味が分からん」と鼻息を荒げてパチンコの前に座りその600円を稼ぎ出すくらいのつもりでハンドルを握っていた。

当然乍らパチンコ屋もマスクをしていない客は困るようで、しばらく打っているうちに店員が駆け寄って来て、「マスクはお持ちですか」と口が動く。ガチャガチャした音が煩くて店員の声はどこかにかき消されてしまう。

「ないです。すみません」
と言うと、破顔して「少々お待ちください」といってどこかに引っ込んでしまった。ひょっとしてマスクをくれるのかもしれない。そんな風に思っているうちにカスみたいなリーチがかかって外れる。店員があらわれてマスクを手渡す。

何のために名古屋にいるのだろうか、と自分に問い直す。すると上半身は吉岡里穂で下半身は3本脚の馬である神が「就職だよ」と言ってくる。パチンコ玉がヘソに吸い込まれて何故か三国志の武将の名前がつけられた美少女たちが派手な動きをしながら回転していく。

就職説明会は12時からで、今の時間が13時過ぎ。終わるのが16時だから、まだもう少しだけここで遊べる。やたら胸のでかい夏候惇のエロいチャイナドレスが破れる。そこまでしても眼帯だけはちゃんと身に着けている。この世の終わりを感じる。

パチンコ店を出たのが14時過ぎで、まだ全然間に合うな、と思いながら隣の就職説明会の会場に向かう。入口から入ってすぐのところに看板が立っている、本日のイベント「就職説明会8F」。分かりやすくて感動する。俺の人生にもこんな風に看板を立てておくべきだった。

しかしエレベータは複雑で1~7階行きとか、8~13階専用、などとエレベータの癖に乗せる客を選んでいやがる。糞野郎。俺は手あたり次第ボタンを押して全てのエレベータを地上に呼び出す。するとやたらシャキッとしたスーツを着た奴らが地上に舞い降りたエレベータに滑り込み、不思議そうな顔で俺のことを見ている。どういうことだ。

まさかあいつらも8階行きなのか、けどあんなふうに簡単に8階行きのエレベータを見分ける能力が人間にあるとは思えない。俺はなぜか「ありがとございす」とよく分からない感謝の言葉を伝えて彼らが地上数十メートル上空へと打ち上げられるのを見ていた。かなしき哉、先人たちよ。最初に何かを成し遂げる人間の陰に、最初に何かを成し遂げようとして、意味もなく地上数十メートルの途方もない空間に打ち上げられる人間がいる。

しかしエレベーターの上のランプを見ていると1に灯っていたそれが途中にある階を飛び越えて8Fのランプが灯る。俺はエレベータの中から不思議な顔をしてこちらを見ていた彼らの顔を思い出していた。まだ若い連中だったが今思うと彼らと彼女らの顔にはどことなくすべてを悟りきった人間の潔さがあった気がする。あの視線、あれは俺にすべてを託すという意味だったのか、あれは特攻隊員の顔だったのか。そう思うとたまらなく恥ずかしい気持ちが沸き上がってくる。

彼らの犠牲を糧に8Fに辿りつくためのエレベータを呼び出す。何度押してもその隣のエレベータが訳知り顔で止まり「チン」と間抜けな音を立てやがる。見向きもしないで彼らが開拓した、人の死が積み重なって道となりしあの麗しの西部のエレベータを待っている。

ようやくお目当てのエレベータが到着し俺はそれに乗り込む。中は案外普通だ。8Fというボタンもある。先人たちの息遣いが聞こえる。

8Fに着いた俺は就職説明会というやつの凄さに圧倒されていた。8Fのフロア全域に企業ブースがびっしりと設営されており、コロナの影響を感じさせない。正直気圧され帰りたい気持ちになった。でも大丈夫だ、俺にはこいつがある。俺はパチンコ屋で店員に託されたマスクをここぞとばかり着こみ、受付に向かう。

受付では若い女にアルコールを手にぶっかけられ、「新卒ですか?」と聞かれる。意味がよく分からなかったが「新卒だ」と伝えると、女は再び「本当に新卒ですか?」と聞いてくる。これじゃ押し問答だ。

新卒というのはよく分からんが俺は新卒だ、という意を伝えると。女から「本日の説明会は新卒の方に向けての各企業の説明会となっております」と言われる。もしかしたらこいつは精工に作られた受付ロボットなのかもしれない。頭がショートしてやがる。

しかし周りを見回すと少し違和感がある。そこにいる全員が黒いスーツを着てビシっとした格好をしている。サンダルTシャツ短パンの人間は俺一人だ。「もしかして葬式ですか?」と聞くが、女は相変わらず頭がショートしていやがる。

埒が明かない、と思った俺はポケットの中からくしゃくしゃになった就職説明会のチラシを取り出し女に見せる。

画像1

すると女は「こちら6階になります」と言って俺の手にもう一度アルコールをぶっかけた。

そうか、何かが違うとははじめから思ってたんだ。気を取り直して階段で下へと向かう。階段はいい。降りた分だけ下に行くし登った分だけ上に行く。意気揚々と階段をおりて6階に辿りつくとシンとした空気の中でしょぼくれたおじさんが絨毯に落ちたごみを拾っている。

俺の持っているチラシを見るや否や「ごめんね、その説明会中止になっちゃったの。コロナで企業さんが入ってくれなくてね」と言った。確かに電光掲示板には中止と書かれていた。

画像2

8Fにはいっぱい人がいたから分けてもらえばよかろうと思うのだが、そう伝えても「ごめんねえ」と妙に語尾を伸ばして謝るだけで埒が明かない。しょぼくれたおじさんの謝罪を受けたくてここに来たわけではない。

仕方なく踵を返し、そのまま階段で1階まで降りて行った。何のために名古屋まで出てきたのか。上半身が吉岡里穂で顔から腕が生えている神が「どんまい」と言った。

パチンコ屋に戻るとさっきの店員が暇そうにしていたからマスクを返そうとしたのだが、破顔したまま「どうぞ、どうぞ」と埒が明かない。「じゃあ、ありがとうございます」と伝えて、さっきまで打っていた三国志の武将がなぜか爆乳の美少女キャラになって戦っているよくわからない台の前に座った。げきあつ! とボイスが流れやたら乳のでかい女たちが戦い、画面が唐突に金ぴかになった。「ボタンを押して」という声とともにそれまで平坦だったボタンが勢いよく飛び出してきた

画像3

勢いよくそいつを押すと、ガラスがパリンと割れる演出と、乾いた音を立てて画面が真っ暗になった。外れるなら最初から「ボタンを押して」などと乞うな、糞やろうが。

そうして俺は帰路についた。就職の神が俺の頭の中で真剣な顔をして「ボタンを押して」と言っては悶絶しながら笑い転げる遊びをしていた。何度もだ。

もしよかったらもう一つ読んで行ってください。