見出し画像

2つのうち、1つ選んだからと言って、選ばなかった方を否定したことにはならない。

こんにちは。お疲れさまです。

だんだん寒くなっていますが、いかがお過ごしでしょうか?
ワタシはちゃんと季節の変わり目に体調を崩しています。あー。

さて、今日は題名にもあるように、「2つのうち、1つ選んだからと言って、選ばなかった方を否定したことにはならない。」という話をしたいと思います。

ワタシの特技?特徴として、「人をあまり嫌いにならない」というところがあります。

悪口・陰口もあまり(ほとんど)話しません。(嫌がらせや嫌悪感を抱かせる行為をされたら別です。)

子供の頃からこの傾向があり、高校生の頃にはみんなで悪口大会のような雰囲気になったときに、一人だけ「ワタシ、嫌いじゃないけどね。」という内容を話した結果、その場をシラケさせるという経験があります。

今思えば、一緒になって話した方が「一体感」が生まれたかもしれません。
その場はそういうことを話せば良かったのかもしれません。

ですが、今思ってもワタシは一緒になって言わない。

言う必要がないからです。思っていないことは言えないからです。

偽善者のように聞こえるかもしれませんが、それでも結構。
価値観の相違ですね。人それぞれなので、そういう考えもありますよね。


先日、ある方とお話をしていました。
その方とは、話す内容的に合わない部分がありました。(もちろん、全部ではありません。)
ワタシの考えとは違うんだなぁ。と感じたところがチラホラありました。共感する部分が多くないと言ったほうが伝わりやすいかも知れません。

だからといって、その人自体は嫌いになっていません。
「話が合うかどうか」と、「その人の存在に対する感情(人格)」は別物なのです。

「話の好みが違う人」ただそれだけです。

また、自分の意見を話した結果、違う意見を持つ相手からしたら「否定された」と感じる人もいます。

「AとBがあって、Aを選んだのはBが嫌いだから」が一択ではないんです。
BもいいけどAが良かった。そういうことなんですが、そう考えない人もいます。勿体ない気がします。

自分と違う意見を批判・否定と受け取る人は勿体ない。

なぜそう思うか。自身もその傾向があるので意識的に変えようとしているところだからです。

ワタシの場合は、否定された?と思うと(勝手に)傷つくからです。気分を落ち込ませているんです、自分自身で。そして傷つかなように自分を守るために相手に良くない言動が出る。それは勿体ない。


それとは別に、キングコングの西野亮廣さんが話していた内容にもありましたが、意見が違う=人格否定(その人ごと嫌いになる)をしてしまうと、その人の新しい考え方や意見が次から耳に入ってこなくなるのも勿体ないからです。

自分にとっても有意義な意見だったり、ヒントになるような話題であっても一度嫌いになってしまうと、自分自身に取り込めない。それは自分の視野を狭くする・選択肢を減らすことになるでしょう。勿体ない。

ワタシは、モノはよく処分しますが、情報や人の考え方や意見についてはどんだけでも聞きたいし参考にしたい。そこは盛大に勿体ない精神炸裂です。笑

少し話が逸れましたが、年を重ねるごとに「固定概念」とやらがどんどん頭の中を占めていきがちです。それは自分の首を締めていくのと同じはず。

どうか、柔軟で健やかなコミュニケーションがいつまでも出来ますように。



ではまた。






宜しければサポートお願いします。活動費に役立てたいと思います😊🙌