見出し画像

たとえばゆるい幸せが

どうも、ふじくんです

タイトルはASIAN KUNG-FU GENERATIONのソラニンの歌詞。

たとえばゆるい幸せが
だらっと続いたとする
きっと悪い種が目を出して
もう さよならなんだ


最初、僕には別れの歌に聞えた。
ただ切ないだけじゃなくて温かさもある。
とても不思議な感覚になった。

これをイマドキの言葉を借りるとエモいと言うのだろう。
センチメンタルの中に人の温かさを感じると僕はエモいという感覚になるのだと気づいた。
ゆるい幸せとさよならなんだという対比の歌詞がそれを引き起こしている。

ソラニンの言うゆるい幸せとは何なのだろうか。
まず僕には具体的に表せない。

どこにでもある日々のことかもしれなければ、どこにでもある恋愛かもしれない。
どこにでもある家庭のことであるかもしれないし、どこにでもある青春かもしれない。

僕は全てが当てはまると思ってしまった。

次の歌詞。
「だらっと続いたとするという」の部分はそれがいつまでも続くと思っていることだろう。


それがゆるい幸せだ。


上手く伝わらないだろうけど、僕はそう思う。
当たり前が続くと思えることは何よりも素晴らしいことなんだと。
決まった形はないからゆるい幸せという表現になったと考える。

悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ

そしてそれが当たり前じゃないと知った時。
僕らはいつかやってくるさよならにようやく気づくのだ。

これ程に幸せなことはないだろう。
ソラニンは毒だがジャガイモにとっては必要な物。

どこにでもある何かは、きっと幸せとさよらならすると毒になる。
それに気づく時まで成長のために背中を押してくれる。
毒になると、当たり前だった幸せと決別させてくれる。


あなたのゆるい幸せが長く続きますように。
そしていつかその幸せから独り立ちするための毒になりますように。


あぁ、エモいって便利だ。


終、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?