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情報を集めるばかりで、大切なことが見えなくなる

スマホひとつあれば、大抵のことは調べることができて、すぐに情報を収集できるようになりました。「調べて分かるようなことは聞くな」と言われる日が来るなんて、驚いてしまいます。

今はそれが当たり前で、生活はとても便利です。その反面、物事に対する「意味」を考えることがなくなったようにも感じます。

結婚式やお葬式、ビジネスでのシーンで事前にマナーを調べることがあると思います。服の色とか、靴の種類、座る位置など、私も調べた経験があります。その時、ただ答えを知るために検索し、問題を解決しているはずです。

マナーの本質は相手への心遣い。だから、本来は相手に対する配慮を行動や身だしなみとして反映したものがマナーだと思うのですが、そういったことを理解する前に答えにたどり着く、といった流れが当たり前になりました。それが間違っているということではありません。

便利にはなりましたが、圧倒的に考える時間や力は減りました。
私は、知識が豊かになるということは、「答え」をたくさん知っていることではなく、その「意味」や「経緯」を知り他に活かすことができることだと思うのです。そうすると、一石何鳥にもすることができますよね。

だから私は、すぐに答えを出す必要があるもの、その歴史や意味を知っておいたほうが良いものを判断できる自分でありたいなと思っています。

何かを生み出そうと思った時も、情報を集めすぎないようにしています。今の世の中の“普通”を知るためにインプットは大切ですが、それだけでは、新たなものを作るという点で超えれない壁があります。
できないこと、分からないことを全て検索して解決していては、自分の中から新しい発想が生まれることはありません。

最近何かの本だったか、衝撃を受けた話があります。

インプットすることは誰にも否定されない。だから心地がいい。
アウトプットすることは他者から評価をされることもある。時に否定されることだってある。

といった内容でした。
私たちが学んだり情報を集めたりするのに、なかなかアウトプットすることができない理由はそこにあるのではないかと思いました。

アウトプットすること、目に見える形で表現することは、否定されるかもしれないリスクがあるのです。だからインプットすることはアウトプットすることに比べて心地がいい。知識が増えていくことで、何でもできそうな気がしてきますよね。でもいざそれを自分が発信する立場になった時、途端に怖くなって、「まだ勉強が足りない」「もっと完璧にしておいた方が…」となってしまうものです。

私も自分に思い当たる節が少しありハッとさせられました。
たとえ間違っていても、自分なりの答え、カタチを発信できると良いですね。

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