ずっと考えていた「愛」と「幸せ」のこと
幸せというと、今までのわたしは、自分がやりたいことを実現したり、それを通して誰かのためになれることだと思っていました。
最近その感覚が少しずつ変わり始めています。
今わたしが一番幸せだと感じることは、誰かの幸せを心から願えることです。
今までわたしは、「愛」についてたくさん考えてきました。
好きな人ができたり、一緒に居たいと思う人に出会えても、どうしても最後にはこの「愛」というものが何か分からず、相手を受け入れることへの恐怖を拭えずに終わってしまいます。それならば一人でいるほうがずっと心が軽いと思えて、そんな極端な性格が長続きできない理由のひとつです。
そんな風に色々考えていても解決することはなく、わたしはしばらく一人でいることを決めていたのですが、そんなタイミングでわたしの気持ちを変える小さな出来事が起こりました。
5年ほど前に友達になった人の話です。
昔わたしが正社員で働いていた会社に、彼女はアルバイトとして入社しました。
年齢が同じだったこともあり、すぐに意気投合。
といっても、わたしが同世代の女の子が入ってきてくれたことが嬉しくて、たくさん話しかけて少しずつ仲良くなったような記憶です。
わたしよりもずっと落ち着いていて、静かにゆっくりと話すおばあちゃんのような人です。
会社を退職したあとも、家に遊びに行って美味しいご飯を作ってもらったり、お互いのこれからのことや恋の相談など、近況報告をし合うような仲でした。
いつも一緒にいるわけではないし、3ヶ月に1回くらい会う程度。お互いに忙しくて、普段から連絡を取ることはありません。それでも久しぶりに会えた時は本当に嬉しくて、また明日から頑張ろうという気持ちになります。
仕事のことや、自分のプロジェクト、人間関係で心が苦しくなった時、わたしはいつもその友達に連絡します。
「今から電話できる?」
と言ってくれて、長々と話を聞いてくれるのです。どうやったらわたしが苦しまず良い方向に進めるかを自分のことのように考えてくれて、いつも助けてくれます。
3年前に立ち上げたバースデーランウェイというプロジェクト。このアイデアを思いついた時もすぐに彼女に連絡をして聞いてもらいました。
1回目の開催から協力をしてくれて、朝まで寝ずに一緒に衣装を作ったり、結論の出ない悩みをカフェをハシゴしながら語りました。
わたしが悩んでいるとき、彼女はノートを取り出して、紙に整理しながら楽しく解決方法を一緒に考えてくれるのです。
圧倒的にわたしがたくさん話している気はしていますが、彼女の話を聞くこともあります。昔から彼女の考え方に興味があり、いつもたくさん質問してしまいます。
ついこの前、その友達と出かけた帰り道にもいろんな話をしていました。なんてことない話もしたし、今後のことやもっと先の将来のことも。
そうやって話した帰り道、わたしは
「彼女のやりたいことがうまくいってほしいな」「幸せになってほしいな」
と、ふと思いました。
そんな気持ちを抱きながら歩いた帰り道は、わたしが今まで経験したことのないくらい幸せな気持ちでした。
そんな風に心から幸せを願える人に出会えたことが嬉しくて突然涙が出そうになりました。
その時初めて、ずっと悩んでいた「愛」について、少しだけ分かったような気がしたのです。
例え相手の未来にわたしがいなくても、相手の幸せを願えることが大切なのかもしれないということです。それは恋愛感情に限ったことではないということにも気付きました。
大切な人だからこそ、それは時に難しいことかもしれませんが、わたしはその感情を知ることができて、またひとつ幸せが増えたような気持ちになりました。
その友達とは、未だに苗字にさんづけで呼び合うような仲です。ずっと敬語混じりで話すのも少し面白くて、彼女らしいです。一緒にいる時は何も飾らない自分で居れるし、何も考えずに感情を言葉にすることができます。わたしもまた、彼女がやることなら応援したい、力になりたいと思います。そんなことを本人に伝えたら、
「ぇえ、嬉しいです。こちらこそありがとぉ〜。」
とおばあちゃんみたいに返事をしてくれるのが想像できます。
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