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全世界の「がんばり屋さん」へ捧ぐ、テトリスゲームの教え

こんにちは、今福悠です

このnoteをみてくださり
ありがとうございます

さてさてここで

突然ですがお尋ねします。

あなたは
”がんばり屋さん” ですか?

・・・
”がんばり屋さん”かどうかって

明確な基準がないから

自分を”がんばり屋さん”とみなしていいのかって
むずかしいですよね

かくいう私は

自称、”がんばり屋さん”。

(でも周りから見たら
そう見えないらしく、
それを知った時はショックでした)

おおっぴらに
「私がんばり過ぎるところがあって
時々苦しいの」とは

なかなか人に相談しにくい。

だからこそ
がんばり屋さんは

がんばり屋から抜け出しにくいのかな
なんて思います。

***

わたし自身も

『的外れながんばり過ぎ』から
なかなか抜け出せず

「もう私の人生ずっとこうなのかな?」
と諦めモードで過ごしてきましたが

きのうの夜、
小6のムスメとテトリスゲームをしていた時に

ふいにこんな学びが
降りてきたんです(笑)

***

小6のムスメは

自他ともに認める負けず嫌い。

だからテトリスも
ひとつのミスも許さない勢いで

高得点を叩き出し続けます。

一方わたし自身は

もともとゲームはめっちゃ弱い(笑)

「どうせ全然ダメやろな~」
と思っていたら

思いのほか上手に出来て
とってもご機嫌に‥(笑)

だからね、結局

ムスメとの対戦では負けたけど

「負けた」とかが全く気にならないくらい

楽しかったんです

***

その、対戦してる時からね、

「あぁ…

私、楽しいかどうかよりも

テトリスを正しくたくさん消すことに

躍起(やっき)になっていたんだなぁ」

「テトリスブロックをたくさん消すことが出来たら

たのしくなる、幸せになる、認められる」って

信じていたんだなぁって
思ったんです。

***

でも実際は

テトリスブロックをたくさん消すには

楽しさを感じている暇を許さないくらい

緊張と重圧に身を置く必要があって。

そして得られるものは

前より少し、
「ブロックを消せただけ」。

・・・テトリスゲームの中には
ここまでやったら合格点、なんてのはなく

どこまでやっても
無限にブロックは降り続ける。

そんな世界に挑み続けて

いったいどこで

自分の幸せを感じられるんだろう・・・

***

ふとそんな風に

自分の今まで見ていた価値観を

客観的にみせられたような
感覚になりました

正解や上昇をめざすのは

キラキラして楽しい部分もある。

だけど

その過程を「たのしむ」姿勢が抜けて

「正しいことをやらないと
幸せになれない」と思い込んでいると

実はどこまで進んでも
幸せを感じにくい仕組みになっている

だから
「がんばらないと幸せになれない」と思う

”ツラいがんばり屋さん” からは抜け出して

ただ「これ、楽しいな~」て思うことに

自分の時間や労力を
使っていけばいいんだ

(がんばらなくって、大丈夫なんだ)

って。。。

こんな風に思えたことを

これからの自分がどのくらい

日常の中で活かしていけるか分かんないけど。


・・これからは正しく!
って意気込むと

なんか出来なそうな気がするから(笑)

また間違っていいから

とりあえず「今やりたいこと」を

ちみちみ叶えていこうって思う

きのうは節分、豆まき&巻き寿司しましたか??(オニさんが豆をこん棒で打ち返してきたら勝ち目ないよね 笑)

今日も読んでくれて
ありがとうございます^^

今福悠

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